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"生きやすさ"と"生きにくさ"

今の時代は”生きやすい”のだろうか。”生きにくい”のだろうか。

これまではあまり目を向けられてこなかったLGBTQや人種差別や男女格差などに目が向けられるようになった。
マイノリティにも目を向け、誰もが生きやすい社会を築こうという動きが強まってきているように感じる。

明治時代には同性愛に対する禁止条例(同性間性交渉禁止条例)があったが、最近ではLGBT理解増進法が成立された。
男尊女卑がひどかった昔に比べ、女性の社会参画は大きく進んでいる。

これらを見ると、昔に比べて生きやすい社会になったと言えるかもしれない。多様性が少しづつ認められる社会になってきた。

だが、それと同時に現代だからこその生きずらさを感じることがある。

それは、出るくぎは打たれる日本の悪しき文化だ。
SNSではそれが顕著に表れる。

匿名機能を使って誹謗中傷する。
簡単に多くの人に情報が拡散されてしまう。
インフルエンサーによって流行や勝手な正解が出来上がる。
ネット警察など、、

同調圧力やインフルエンサーによって、”正解だと思われるもの”が出来上がってしまう。
これは現代の生きずらさそのものを表す。

ファッションなどはそのわかりやすい例だと思う。

「あの人はおしゃれ」「あの人はおしゃれではない」
”おしゃれ”とは何だろうか。

おしゃれの定義が知りたい。

服装や化粧などを洗礼したものにしようと気を配ること。

goo辞書

つまり、これがおしゃれだ!という正解はない。

しかし、あたかもおしゃれに正解があるように価値観を押し付ける。

自分が着たい服を着ると、
第三者から「おしゃれ」「おしゃれじゃない」
の2択でジャッジされる。

たしかに、恋人に来てほしい服などはある。
しかし、正解があるかのようにジャッジし、評価するのは良くないことだ。

「きれい」「うつくしい」という価値観と同様、多様であるべき価値観である。

10年前のおしゃれだと言われていた服はいまではおしゃれとは言わない。
海外でおしゃれだと言われる服は、日本ではおしゃれだとされない。

現代では、SNSを駆使するインフルエンサーによって発信され、それを正解のファッションだと信じる。
信仰者は、それが唯一の正解だと勘違いしてしまう。

正解だと勘違いしているだけならいいのだが、異なるファッションをする人をなぜか否定し、「ださい」などという。

そうした間違った正解によって、出来上がるのは、皆同じの単一されたファッションだ。

本来は、個性を表現できるはずのファッションだが、"無難"なファッションを選ぶようになる。

人の目を気にして、服を選ぶ。同調圧力によって、個性を前面に出したファッションにできない。

これらはファッションに限った話ではない。

SNS社会がもたらした影響は大きい。

今後もますます便利な社会になっていく。
もっとマイノリティがら生きやすい社会になるだろう。

しかし、生きやすさの裏には生きにくさが必ず存在する。

最近では「ハラスメント」が問題視され、過剰にハラスメントに反応するようになった。
それによって生きやすい人もいるだろう。救われることもある。

しかし、それは面白い社会なのだろうか。楽しい社会なのだろうか。
周りの目を気にして、言いたいことを言えない社会。

現代の社会は、"生きやすさ"と"生きにくさ"の両面を持っているように感じる。
"生きやすさ"と"生きにくさ"は紙一重なのかもしれない。






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