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「べき思考」呪縛から逃れるには?!

日経新聞の朝刊に面白いコーナーを見つけた。「私見卓見」だ。ここでは読者からの投稿で耳寄りの有益な情報がシェアされるようになっている。

2023/1/6(金)朝刊で興味深い投稿があった。株式会社シエーナ代表取締役の吉川直子さんによる

「べき思考」で自覚しパワハラ防げ

だ。長年、私がモヤモヤしてきた人格形成のプロセスのど真ん中を突いている。

吉川さんの投稿によると「べき思考」とは以下の通りだ。

べき思考とは、その人が育った家庭環境や職場環境を通じ、培われ信じてきた思考のことで、その思考は一人ひとり異なる。

会社でも自分の「べき論」に固執してパワハラまがいの問題を起こす人間がいる。自分の考えが絶対であり、当たり前であり、この考えに従わないことは許さないようなタイプだ。

もちろん、自分が信じる信念があり、それに拘り、自分に対してもその基準に基づいて厳しいのだから、それなりの人物であることは間違いない。

ふと、会社や私の周りを見渡して、それほど「べき思考」に縛られている人間は多くないように見える。

私はどうか?

家庭環境では母親の影響が極めて大きい。「ひとに迷惑を掛けるべきでない」この「べき思考」の呪縛に、時に苦しんできた。例えば、あまりに友人に頼らない結果、水臭いと、言い替えると信頼してないと誤解され、心を閉ざした人間と見られたりした(と思う)。

80歳を超えた母は一人暮らしだが、いまだにこの「べき思考」に従って生きている。人に迷惑をかけるな。もちろん、子供である私に対しても、ギリギリになるまで頼らないし頼ることができない。

まるでターミネーターのように「頼る=迷惑」とコマンドがセットされているようだ。絶対に止まらない。きっと、頑固な軍人の奥さんだった優しくも厳しいおばあさんのしつけが母の人格を形成し、私のそれにも影響を与えたのだと思う。

私が母に、もっと頼って良いと言っても、その呪縛と言う名のコマンドから解かれることはない。だから、定期訪問のセールスのように電話やメールや時には訪問して、定点観測をするようにしている。

私が職場環境で得た別の「べき思考」は20代前半の頃だと思う。パワハラという言葉もないパワハラ全盛期。その時、怒鳴られながら植え付けられた「べき思考」はシンプルに「一人称で行動せよ」だ。

この「一人称」、今も私の行動規範になっている。まるでPTSD的に、こんなことしてたら○○さんから怒鳴られるみたいな症状が脳裏から離れないで生きてきた。

そんなPTSDもいつの間にか消えている。それは、私が若い頃のその体育会系パワハラ上司の年齢に私自身が近づき、超えたからかもしれない。

決して「べき思考」を植え付けることは悪いことではない。

質問は、自分は私のスタッフ達に、彼等のこの後の長いビジネスパーソン人生の行動規範となるようなインフルエンスを与えられているのか?

もちろん、パワハラや、ましてや、PTSD症状まで起こすような激しい指導は必要はない。どうだろう?分からない。分かる必要はないのかもしれない。それは一人ひとり異なるなのだから。

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