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20年後も忘れない思い出 〜旅の記録1〜

大半の出来事は、明日には忘れてしまう。
ただインパクトの無いような何の変哲もない出来事でも20年経っても忘れないことがある。
それってなんでだろうと考えてみたけど、自分にはまだ分からないし、分かる日は来るのだろうか

自分にとって忘れない、鮮明に思い出せる出来事はほんの少しだけ。まだ24年しか生きていないからなのだろうか。

自分にとって忘れられない国 "インド" について。

インド というと"価値観が変わった国" "旅人の聖地" "魅惑の国" "うざい国"
など色んな意見を聞いたことがある。(確かネットにも大半の意見はそんな感じだったかも)

ただ僕にはそんな感想は全くなく、ただただ言えることはシンプルに "面白かった国" ということ。

何でインドに行ったかは鮮明に覚えているし、こーやって書きながら色々思い出して来たから書き綴りたくなってきた。少し長いけど酒のアテ、コーヒーのお供に読んでくれると嬉しいな。

※※※※※※※

高校3年生の冬。
13年間続けたサッカーも引退。周りの友達は卒業旅行に何処に行くかの話題で持ちきりだった。
北海道、沖縄、韓国、東京。色んな意見が挙がってたけど自分の中では何処に行くかは、もう既に決めてた。

何かの旅の本で、世界一周した人が言っていた
"インドに行くと価値観が変わる" "インドを放浪(1人旅)できたら、どこの国も余裕" というのを読んで「ゆくゆくは世界一周したいし、先にラスボス(インド)をクリアしとこう」と思い立って、インドに決めた。

それからは、バイトの毎日。
どっちみち短期で高校生が出来るアルバイトは限られていて、引越しのバイト か 配送助手 くらいだった。
引退後で体力は有り余ってたし、自給も良かったしで学校を休みながら1ヶ月ちょっと働いた。
確か15万円くらい貯まったっけ。

逃げ道を作るのが怖かったので、とりあえず航空券を買いに三宮まで行った。
直前だったにも関わらず、関空〜デリー、コルカタ〜デリー、デリー〜関空 と3回のフライトで8万円くらいだった。
もうこれで行くしか選択肢は無くなった。

バックパックとか、その他の細々とした準備をしてたら残金が3万くらいになった。
今思えば無謀だ。関空までのバス代とか色々と何も考えていなかったし、旅の期間は2週間。

もうフライトまでの日程が無かったので、覚悟を決めて3万円で旅をしようと思った。
誰にも言ってなかったけど、旅の前日くらい従兄弟のおじさんに「なんぼ持っていくんや?」と聞かれ「3万円」と答えた。
「これ持ってき」と封筒を渡してくれた。
多分、僕がインドに行くと知った、おじさんは用意してくれていたのだと思う。
帰って開けてみると5万円入っていた。
何を頑張るのかわからないけど、頑張ろうと思った。


 〜続く〜



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