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座右の銘「人は鏡」について考える前と後


結局ふたりとも(私も)相手に真剣に向き合おうとしていないし、都合いいようにするのでいいと思うのです。

これ、私が前の記事で言ってた言葉。↓

私は座右の銘を聞かれたら

「人は鏡」

って答える。

私は意味合いとして人の振り見て我が振り直せ的な面と「自分の思っていることは相手も感じている、相手の感じていることは自分も感じる。」っていう面もあるかなって思ってる。
ほんで後者の意味にしみじみすることが多い。


きっかけは社会人になりたての頃、上司との関わり方に悩んでたかなんかで、初めてくらいで母親に相談した時。
もともと仕事の話を母親にすることは少なかったけど、溜まりすぎてついに相談。
それで母親はこの言葉使って私と話してくれた。具体的なことは忘れたけど、結果自分の在り方を変えて相手の見方・在り方も変わって、なんか前向きに解決できたかも~って話。

それまでもこの言葉は大事な言葉やったけど、このことがあって一層この言葉の意味を体感した記憶がある。


この人好きやな~~!と思ってたら自然と心の距離も近づいていい関係が築けるし、なんか苦手やわ~と思ってたら気まずい空気が伝播する。

大事に思ってくれる人はずっと大事にしたい。
信じてくれる人は最後まで信じたい。
昔から(格言があるからというわけではなく)こういう考え方やから、だから裏切られたり利用されたりしたら、信じてたほど心底見損なうし、この人とは上辺だけでいいや・あるいはもう関わらないって人間関係切ってしまうことも過去にはあったな~。冷酷ともよく言われる。



ただ、最近私は「人は鏡」という言葉に対して極端な考え方をしすぎていたかもなとちょっと思った。


大事にしてくれる人だけ大事にする。


今もこれは間違った考え方だとは思ってない。
でも、相手に向き合う努力を一回もしないまま相手のこと決めつけて「この人は大事にしなくていい」と決めてしまうのは繋がりの可能性も消してるんかもなって思った。

これはセフレに対して「相手もクソみたいな扱いしてるねんから、自分もしれでいいやん」って思った時に考え始めたことで。
もちろんクソみたいな扱いを実際されてるときは間違いなく大事にする必要はないし、そんなに悩まんでいいと思ってる。
けど、セフレという関係は置いといて、人との関わりの中で相手の本心がわからないうちに向き合うことをやめてしまうことで、「お互い分かり合おうとしない」っていう『マイナスの人は鏡』状態が発生してたらもったいないなって思って。


人の空気感とかを敏感に感じてしまうとこがあるから偏見を持ってしまいがちやけど、まずは「私はこの人のどんなところが好きかな」ってポジティブに関わろうとする姿勢を持ってたいなと思った。


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