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ウィル・スミスはこうすれば良かった

アカデミー賞という晴れの舞台で事件が発生。コメディアンのちょっとデリカシーに欠けたイジリに我慢できなくなった米俳優のウィル・スミスさんが、壇上に上がってビンタをかましてしまったという事件だ。

「妻のことであれだけ怒れるなんて格好いい!暴言だって暴力の一部なんだからあの平手打ちは許して然るべき」という意見や、「それでも暴力に訴えるほかの手があったはず」という意見、さらには昨今のウクライナ周辺の侵攻になぞらえ、ウィル・スミスとゼレンスキー大統領を並び称して語る人も現れたりなど、複雑な賛否両論の世界が生まれた。

個人的には、確かに格好良かったけども、後味は悪くなっちゃったなぁという印象・・・そこで、自分なりに「ウィル・スミスさんはこうすれば良かった」という架空の物語を作ってみた。

殴らずにその目的を達したかも知れないウィル・スミス

ウィルは静かに立ち上がり、身につけていた腕時計を荒々しく外して壇上に駆け上がり、そのまましょうもない笑いを取っていたコメディアンに腕時計を突きつけて壇上を後にした。

ぽかーんとする観客とコメディアン。「これを僕にくれるのかい?」などと茶化す。ウィルの尋常ならざる表情を見てなんとなく状況を察するが、意味は依然としてよく分からない。

後にウィルが会見でこう答える。
「ロックの発言は妻に対する酷い侮辱で耐えがたかった。殴ってやろうかと思って壇上に上がったが踏みとどまった。時計をとっさに押しつけてしまったが、謝る気持ちがあるのならアレを返す際に正式に謝罪して欲しい。」

ウィルの紳士的な抗議は賞賛され、後に「暴力による危害を加えたいほどの抗議を表す紳士的な行為」として、腕時計などの所持品を相手に押しつけることが、「Will」を示す行為として定着していく。所持品を押しつけられた相手は恥ずべきであり、誠意を持ってその所持品を持ち主に返さねばならない、という社会通念が誕生した。

21世紀は平和を全てに優先する価値とする時代であり、その先駆けとして激しい怒りを堪えて新しいスタンダードを作ったウィル・スミスは、末永くその紳士っぷりを称えられるのであった。

出展:私のFacebookへの投稿をアレンジ

殴らずに「殴った」レベルの抗議が出来れば良い

個人的には、暴言も立派な暴力であると考えるのだが、世間的にはそれでも実際に身体的外傷を与える暴力の方が重く見られる傾向にある。ただ、殴るには殴るなりのメリットも少なからず存在する。それは、相手や周囲に自分が感じた心の痛みをこれ以上なくストレートに伝えられるというメリットだ。そのメリットだけをうまく享受することができないか、と考えてみた。

となれば、社会通念的に「あれは殴ってないけど殴ったに等しいレベルの抗議である」という認識が持たれる一つの象徴的な行動があればいいという話になるのである。

それから、突発的なことであることを想定すると、事前に何か準備をすることは不可能だ。その日その時、身の回りにあるものしか使えない。

以上を総合すると、「身につけているものを押しつけるように渡す」というのが象徴的かつ非暴力的であり、渡されたものを「返す」というイベントが発生するので謝罪のきっかけも作れる最適な行為ではないか、という結論に達したのだ。

ウィル・スミスは伝説を作れたかも知れない

この行為はまだ社会通念になっていないので、やったとしても意味不明の行動である。だから、著名人が最初にこれをやって、以後に続く人が真似できるような「事件」が必要だった。そういう意味では、彼がとっさにこれを思いついて実行していれば・・・伝説になったかも知れない

私がなんかの拍子にウィル・スミスレベルの著名人になって、同様なことが起きたら実践してみたいと思う笑


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