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言葉にならない感情を、言葉にしないまま残すということ。【雑記】

最近、朝の5時くらいに起きて外を歩くことを始めてみました。

今回は、朝の散歩中に自分が行う、ある1つのルールを決めたら、面白いことが起きた、という話。


■ 散歩っていいですよね

私は、目的もなく歩くということが好きです。
ただ歩いていると、思いもよらないものを発見したり、意外なことを思いついたりすることができるからです。

朝の時間は限られているのでそう遠くには行けないのですが、見慣れた街でも一歩路地を進むと知らない景色があって、それを発見することが楽しいんです。

なぜ、朝に散歩をする習慣をはじめたかというと、朝の時間に余裕を持たせたかったからです。忙しい朝の時間帯にあえて散歩という余裕のある時間をつくることで、リフレッシュして一日を過ごせるようになりました。


■ 写真に残すこと

私は、朝の散歩の時間にあるルールを設定しています。

それは「必ずその日見た印象的なものを写真に収めること」です。

道に生えている雑草でも、朝日が昇る空でも、道に落ちている煙草の吸い殻でもいいから、「あ、これいいな」って思ったものを写真に残す。

それを写真に収める理由は考えません。直感で「撮りたい」と思ったものを撮るように心がけて散歩をしてみました。

そのルールを1週間くらい続けたところ、面白いことが起きました。

何気なく撮った写真を見ただけで、その日、自分がどんなことを考えていて、その場所がどんな空気感だったのかが鮮明に思い出されるのです。

この時、私は写真のすごさというものを思い知りました。

写真は、言葉にならない感情の記録でもあるんです。

全く同じ場所を歩いても、その日の気分によって、写真を撮りたくなるものは全く違ってきます。

例えば、この写真。

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この風景を撮ったとき僕は「あ、これいいな」と思ってカメラを向けたのですが、後々見返してみると、こんなことを想って写真に収めたんだなあと自分の中で納得しました。

フェンス越しに倒れている子供用のおもちゃらしきもの。辺りは雑草が生えていて、それが使われてから長い時間が経ったものであると推測される。
子どものおもちゃと自分の間には、針金のフェンスが立っていて、こちらからそれに近づくことはできない。

自分も、子供のころに戻りたいと思うことがあるが、そのころの写真や映像を見るだけで、実際に過去に行くことはできないし、自分の中の記憶からはだんだんと無くなっていく。そんな儚さや空しさが、この景色を見て思い出された。

写真は、自分の中の言葉にできない感情をとどめておくことができます。

そして、まるでモノクロの銀塩写真のように、後から言葉になって自分の内側から滲み出てくる。
そうなったときに、その写真はよりあざやかに見えるのです。

そんな小さな感情の発見が、私を幸せにしてくれます。


■ さいごに

今回のように、日々感じることをnoteに書いてもいいなと思いました。

自分の感情を言語化することで、さらに感性が研ぎ澄まされていろいろなものに気づけるようになりたいです。

自分の中でアウトプットのハードルがすこし下がった気がします。
これからも自分のペースで投稿していきたいと思います。

最後まで見ていただきありがとうございました。

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