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コスパ重視はコスパが悪い

コストパフォーマンスというビジネス用語は、人を黙らせる説得力がある。効率、時短、節約は賢い。「コスパが悪い」ことはするべきではない、と。

やや強引だが、外出先でコーヒーを飲む際の諸要素を数値化してみる。

外出先のコーヒーのコスパ分析

缶コーヒー:お店や自販機でいつでも安く飲める。
コンビニコーヒー:近所のコンビニで本格的なコーヒーを気軽に飲める。
スタバ:おシャレな空間で本格コーヒーを楽しめる。
バリスタ世界一のお店:こだわりの空間で最高の味を堪能できる。

もちろん、人によって味覚も財力も忙しさも住む場所も違うので、この数値は絶対ではない。引きこもりは外出コストが高いし、大金持ちには100円と980円の差などないようなものだ。条件が変われば数値も変わるので、基本的にコスパは全員が共通の答えをもつものではない。

ただ、こうして表にしてみると、コンビニコーヒーのコスパのよさが際立っている。実際に現在のようなコンビニコーヒーが登場してからの売り上げは好調で、コーヒーで客を呼んでついで買いをさせる効果もあるようだ。
おそらくコンビニコーヒーとスタバのコーヒーを飲み比べしても、味の優劣がわからないという人も多いだろう。

その上で注目すべきは、それぞれの体験価値の優劣である。スタバでコーヒーを飲むというのは、純粋にコーヒーという飲み物の味を楽しむのではなく、スタバというおしゃれな空間を楽しむ体験が満足度を上げている(なんならコーヒーをおいしく感じさせてくれる)。飲食のパフォーマンスは味だけでは決まらない。スタバの少ない地域であれば体験価値が増すので、地方のスタバはコスパが高い


スタバよりも体験価値が高いのが世界一のバリスタが注ぐコーヒーを堪能することである。世界一のお店でコーヒーを飲んだら、人に自慢できるし、インスタにも載せられる。そして、コーヒーの味も最高だ。この極限の味を体験できる人間は数少ない。なにせ店は一つしかないし、値段も高いのだから。
よほどのコーヒー好きでもないかぎり、バリスタの店に行こうとは思わない。近くのコンビニでおいしいコーヒーが飲めるし、世界一とはいえ、980円のコーヒーが150円のコンビニコーヒーの6.5倍おいしいわけでもない。


バリスタコーヒーの味や、地方におけるスタバ信仰は、客観的な体験価値としてある程度は数値化できる。コスパにおける満足度(パフォーマンス)とは、個人の特徴を排除した客観的分析なのだ。もちろん、満足するかどうかは個人の問題なのだが。

ただし、いくつかの選択基準のなかで、自分の基準を「コスパ」にしたことは、個人の判断である。そして、感情や感覚でなく、「コスパ重視の選択をした」ということで得られる満足感もまた、パフォーマンスの一部なのだ。

コーヒーマニアは(マニア心を無視した)コスパを基準にはしない。もちろんコーヒーに限らず、本当に好きなものに対して人はコスパを基準にすることはない。アイドルの推し活もしかり。
逆にいえば、コスパという基準が発動するのは、好きでないものに対して、ということだ。
例えば家電は、多くの人にとって必要なものであっても、好きなものではない。だからコスパ重視の選択で満足する。人によっては、車、服、住居、進学先、仕事なども、コスパで決めることもあるだろう。
コスパで選択すれば、失敗する可能性も少ないし、誰に文句を言われることもない。「自分は間違ってはいない」と、他人にも自分にも言える。

コスパ重視で生きるとは、バリスタコーヒーを飲まないということだ。意味不明な機能を備えた家電や、低燃費のオープンカー、センス爆発ファッションとは無縁だし、長時間労働や学歴差別を経験せずにすむだろう。
そんなの必要ない、と言えばそうなのだが、人の好き嫌いや関心は、こうした、一級品や、こだわり、余剰、無駄、欠乏、苦悩、失敗といった体験から生まれてくるものでもある。上でも下でも、極限に触れると人の心は動きやすい。つまり、ここからコスパを度外視した好きや興味が沸いてくるのだ。


コスパで選ぶということは、感動を捨てるということ。


効率的で失敗のない行為を選択することの満足感と、大好きなものに惜しみなくコストをかけて得られる満足感のどちらが高いパフォーマンスであるか
は、お近くのマニア達を見れば明らかだろう。
コストパフォーマンスは利益追求のためのビジネス用語であるということを忘れてはいけない。人生の基準として採用するのは得策ではない。上手に6を得るより、勇気をだして10を得た方が、人間として得るものは大きい。

コスパを重視していると、10を知らない井の中のカワズになってしまう。それでも安全に6を得られるのだから、ダメとは言えない。
市場原理はコスパを重視して安全かつ大量な6を生産する。テクノロジーによって少しずつ7、8に上がることもあるが、10にたどり着くのは難しい。
その間に、コンビニコーヒーの発展がバリスタのカフェを経営難に追い込むかもしれない。そうなるともう、10を体験すること自体ができなくなる。社会全体のコスパ重視はこの世から本物を奪っていく。
コスパを重視することは、個人や社会のパフォーマンスを下げる、コスパの悪い選択になってしまうかもしれないのだ。



現代社会の「井の中の蛙問題」について詳しくはこちらを参照


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