見出し画像

父の生きた証をネットの海に記録する話(と、おまけ)

ちょっとだけ前振りが長いけどまあまあ落ち着いて。
そう慌てないで。

父親の唯一の趣味は競馬である。
他に趣味は一切無い。最近は嫁に連れられて山に登ったりしているようだが、自分からそのようなアクティブなことをするタイプではない。
リゲインが「24時間戦えますか」とテレビCMしていた頃、父親の休日は月に三日しかなかったらしい。その数少ない休みの日にゴロゴロするでなく、幼少の私を車の助手席に乗せて場外馬券売り場へ走ったものだ。
(子どもを乗せておけば駐禁切られないから)
母親はコンビニとかファーストフードのものを子どもが食べるのを嫌うタイプで、そのようなものを与えられた記憶がほとんど無い。しかし父親は場外馬券売り場に付き合うと、帰り道にこっそりマクドナルドや吉野家など食べさせてくれるので子どもながらにとても嬉しかった。
そんな時代の父親なので2000年代から始まったIT化の波には完全に乗り遅れ、というか一度も波打ち際に近寄ることもなく陸でぼけっと皆が波に乗っている様子を眺めているだけだった。
コロナ禍で馬券が買えなくなると「スマートホンで買って欲しい」と頼んできたので、以来私が買い目を中継している。
かなりアナログな昭和の残党なので、twitterの存在も知らないと思う。
なのでこのようなことを始めた。

そのまんまの意味で、父親の記録を電子の海に残そうと思った。
一年以上毎週記録している。ろくに当たりはしないが、唯一の趣味である競馬の買い目は父親の脳内の記録だ。外れても記録に意味があるんだと思った。記録しないとこの世になにひとつ残らないし。

——と、まあここからが本題だ。
こんな理屈でもうひとつ記録しておこうかと考えた。自分の記録だ。
最近はほとんど書かなくなったが、かつて私は空いている時間のほとんどを小説につっこんでいた。世に出ている(書店に並んでいるエンタメ)長編小説は一冊でだいたい十万文字だ。十万文字の物語を書くのはかなり大変だ。そんな〝十万文字〟軍団がHDDのなかに何作品も眠っている。大手出版社の賞にはだいたい出した。当時のペンネームで検索をかければ三次選考四次選考に残った記録がいくつか見つかる程度には真剣に書いていた。書いているものが報われて某出版社から書籍として出してもらったこともあるが、勿論それで飯を食えているわけではないので終わった過去の話だ。
絵は描けないしピアノも弾けない。
文章を書くことが得意だといっても、テキスト十万文字をtwitterやyoutubeでお披露目することは難しい。ところが、天下のamazonでは誰でも簡単にセルフ出版できる。本来は出版社に認められた人だけが世に出せるはずの十万文字を電子書籍という形でamazonの棚に並べられる。
個人的な意見を言えば、出版社の小説新人賞という苛烈な競争を勝ち抜いていない作品を並べるのは良いことではないと思っている。せめて賞は逃しても出版社に拾われたとか、なにかしら他人を納得させる担保は必要だと思う。趣味で書いているわけではないからなおさらだ。
しかし、自分の書いた十万文字を一冊の本として、電子の海に記録するという目的には叶う。KDP(Kindle ダイレクト・パブリッシング)に何万冊の素人小説が登録されているのか分からないが、誰でも無料で出来ることを思えばかなりの数に上るだろう。SNSを駆使して宣伝の一つでもしなければほとんど読まれないはずだ。それでも、amazonが続く限りはずっと棚には並び続けるし、私が死んだあともお金さえ払えば誰でも読める。
KDPで売ったらもう商業作家は無理だと知り合いに言われた。無料のネット小説投稿サイトから商業に拾われる人は多いのに、KDPだとほぼ目がないというのも不思議な話だ。素人文章に値段を付けている浅ましさが出版社に嫌われるのだろうか。それでも二度と公募に使わない作品ならまあHDDでこのまま腐らせるよりは良いかなという気分になっている。
なので登録した。
それをお知らせする為だけにこの記事を書いた。
終わり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?