見出し画像

神様のボートを読んだ

江國香織さんの神様のボートを読んだ。
最後のシーンを読んでから改めて本文を見返すともの悲しくうつる。
人は強烈な愛を過去に求めたまま生きれるほど強くはない。
この作品、葉子と草子の親子2視点から織りなされるのだけれど、その関係性が対等で心地よく感じる。「母親に引き摺り回される娘」の構図だけれど、深刻な家庭環境の暗さや洗脳的側面ではなく、むしろ愛を感じるのはきっとこの描き方のおかげ。そしてこの作品、草子がいるといないでかなり違う。当たり前だけれど。
草子の存在がなかったとしたら、幸せなほど愛に溺れた葉子の生き方を肯定できたと思う。ある意味では肯定的なことには変わりないけれど。だって、十数年疑わずに待ち続けられるほど、精神世界で彼に抱かれるイメージが湧くほど、彼を真剣に愛して、信じていたのだから。そんな愛を人生の中で抱けたのだから。でも、草子がいなかったら葉子さんはもっと早くに諦めてしまったような気もするけれど、、、うーん。
草子の存在はこの作品の中での問題提起だ。異なる宝物をどれも大切に持っていられるか。煌めく過去のひとときをお守りのように心に宿す力強さと、それがいつまでも過去であることの怖さ。世界は回り続けるということ。
どこまでロマンスに生きるか、どこまで現実平面を受け入れられるのか。
桃井先生とピアノ、あの人、草子。この三つの宝物を巡る決断の数々。読んでいるうちはすごく穏やかな描写も多く凪いでいたけれど、読了するとひとりぼっちの寂しさを思わせる、そんな作品。

人生を賭して愛したものを失った時、僕はそれを受け入れられるだろうか。
明日を生きていくには、今日を愛するには。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?