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私が生きてきた痕跡エッセイ① 〜じじのこと〜

この2週間夢中になってある一冊の本を読んだ。
それは私の大叔父のエッセイ、太平洋戦争から生きた大叔父の人生が書いてある。
栃木で過ごした幼少期や、学生生活のこと、会社に入ってからの人生、経営者としてのマネジメント、会社を引退してからの余生。そのような内容がわかりやすい文体と表現力で書かれてある。

Amazonで電子書籍販売もしているこのエッセイ。
Amazonのレビューは2つだけ。しかしその2つのレビューの星はどちらも5だった。
そしてそのレビューのコメントも大変丁寧に書かれてあって、親戚の私も誇らしくなるようなベタ褒め内容だった。

この本を読むきっかけになったのは、彼がAmazonで見つけたことだ。以前兄がこの本を読んで、目を輝かせながら語っていたことを私は大して興味を持つことなく聞いていたが、彼がこの本を読んでみたい!と私に話したことで私も興味を持ち、実際に電子書籍を買った。

大叔父の本名で出版している本だから、私の身分がバレてしまうので、本のタイトルやリンクは載せないことをご了承いただきたい。

そして、この本を読んで私も家族や自分の人生についてエッセイを書きたくなった。
大叔父のような気楽で表現力のある文体は書けないけれど、大叔父をお手本に書き進めていこうと思う。

その第一弾は、大叔父のお兄さんである私のおじいちゃんのことにする。



おじいちゃんを一言で表すと「厳格」だ。
お酒も嗜む程度、タバコも吸わない、朝遅くまで寝ていようなんて思うことなく毎日6時には起きる。日経新聞も毎日読んでいて、気に入った記事があると切り取って集めている。

そしておじいちゃんのことはおじいちゃんではなく「じじ」と呼んでいた。
これからおじいちゃんのことを書くにあたって本来の呼び方の「じじ」と書く。

小さな頃の私はその風格を「怖いじいさんだ」
そうしか思っていなかった。

小さい私にホワイトボードを出して図や言葉を用いて、まるで講演していた。
正直頭の中では「早くおわんないかな」としか思っていなかった。

小さい頃から、じじは礼儀や態度、見た目などに大変うるさかった。
リビングの床で寝転んでいると「だらしがない!」と怒られた。
ますます怖い人で、私はじじの家に行くと常に上から引っ張られるように、姿勢をピン!とよくして脚を開かず手は膝に。まるで面接を受けているかのような姿勢でおじいちゃんおばあちゃんの家を過ごしていた。

けれど、そんなじじだけれど、孫の私には甘い部分がたくさんあった。
女だからだ。それは所謂男尊女卑というものではなくて、一族唯一の女の子として可愛がられた。

普段は質素な生活なのに、お金を使う時は豪勢に使っていた。
例えば、お寿司屋の大将を家に呼んでそこでお寿司を握ってもらい、一族や会社の人達を呼んで寿司パーティをしていた。
当時の私は、ゆでダコといくらしか食べることが出来なかったし、お寿司よりもステーキの方が好きだった。
今思い出しても、あの頃にタイムスリップして、しこたま高級寿司を頬張りたい。

じじが亡くなってから、じじの教えや生き方を思い出して、自分の人生を物思いに鑑みるようになった。

じじを慕う人達は、
「君のおじいさんはすごい人だ。」
としきりに言うのだが、何が凄いのか具体例を教えてくれないから、私には理解できなかった。いや、当時の小さき私には具体的な例を言われたとしても理解できなかったであろう。

大叔父の本にも、兄貴は凄かった!!とまるで英雄のように書かれてあり、そのじじとの思い出を読んでいくうちに、じじの英雄さを理解出来た。

じじは凄かった。
実は日本にある大手の飲食店、日本国民みんながお世話になっている便利アイテムのメーカーなどなど、じじの教えた経営方針でどんどん成長していった。
出身大学では、講演会をやったり本を出したりと、凄腕経営者として地位を確立した。

実際自分自身が成長し、企業のマネジメントはどんなものがいいのか意識するようになったら、じじの凄さを理解できるようになった(気がする)

ひとつの会社を大きくするのは至難の技だ。それは経営者の技量が影響する。
経営者がケチなら、社員の給与は削られ、ギリギリのコストで売上を上げなければならないし、経営者の心が寛大でなければ、すぐに社員の評価が下がり、またパワハラが横行し、また社員の意見を聞かないワンマン経営というものは、社員の不満を蓄積し、すぐに離れていってしまう。

このバランスが保てる人のみが経営者になるべき器であり、その他の人間は誰かの下で働かないとやっていけないものである。素人ながらそう思う。

じじは、家族には厳しかったけれど、じじを慕う人間たちには寛大だった。
家族に厳しかったのも、自分の「厳格さ」を家族にも受け継いで欲しかったのだと思う。
そして、その寛大さと威厳を思い出すと、我々家族にもそうだった。
(この厳格なじじからの教育を受けた父に対してのことも時期にnoteに書く)

ある人は、
「自分の人生を家族に押付けて!」
と憤慨していたのだが、自分が正しいと思ったものを家族にもさせようとするのは、一般的な親ならどこも一緒であろう。
スポーツ選手の子供が同じスポーツの頂点を目指すように。

しかしながら、じじは自分の働いていた会社で役員にはなったものの、トップにはならなかった。
なれなかったのかと思っていたのだが、最近このように思う。

会社の器が小さかったのだ。

じじの教えの中で、五か年計画というものを中学校に入る前に教わった。
当時の私は、あんまり意識することなかったが、結婚をするかもしれない今、この五か年計画を思い出して、彼と計画を立てたいと思っている。

5年後こうなりたいというビジョンを決めて、1年後はここまで、3年の後はここまで、5年後にそのビジョンに達成する目標を作りなさい。

私の5年後のビジョンは
「彼と結婚してマイホームを建てる」
ささやかな目標だけれど、これに向けて頑張る所存である。

今となって、お寿司のパーティよりも、じじの話を聞くためにタイムスリップしたい。

じじの教えを理解するまで、長い年月が経ってしまったことに哀しく心が締め付けられる思いだが、じじの教えを理解出来たことの喜び、じじの孫として生まれたことを誇りに思い、これからも生きていこうと心に誓った今日この頃である。

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