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発達障害の生きづらい世界を当事者以外が考えることの大切さ

皆さんの周りにも絶対にいるであろう

かなり癖の強い変な人

それはけしてユーモアに溢れているような癖の強さではなく、傍から見ると「気味が悪い」と思ってしまう癖の強い人達のこと。

この世の中には様々な障害や病があるけれど、
癖の強さを思いっきり出してしまうのは

いわゆる発達障害である。

私自身も最近になって、強烈に癖の強い人に出会ったからこそ、彼女の世界というものを理解したく、言語化したnoteである。
(ちなみに彼女が発達障害だと言うのは、彼女から診断を貰ったと聞いたわけではない。私は彼女と接しているうちに、発達の疑問点を持ちそこについて彼女と行動することによって導き出した単なる考察である)


発達障害でよくちまたで言われてるのは
ADHD と ASD
である。
私が感じた特徴は以下の通りである。

ADHD 注意欠如多動性障害

・過度なお喋り、独り言
・落ち着きがない(多動)
・集中力がない
・突発的に物事を発言してしまう

実は彼女は
ずっと独り言を言って、話しかけると永遠と話してしまう。何かに気を取られてしまい集中力がない。

このことによって、周りの人々は
「面倒くさい人だな。関わりたくないな。」
と思ってしまい、なかなか人とコミュニケーションを取ることも難しい。

ASD 自閉スペクトラム症

・社会性の難しさ(周囲と同調できない)
・コミュニケーションの難しさ
・こだわりが激しい
・他人を思いやる発言ができなく、他人を尊重できない

最初ADHDだと思っていた彼女も、もしかしたらASDも入っているのだと思った。

なぜなら、大変こだわりが強く他人を思いやる発言ができなくて周りを鑑みることが出来ないのだ。

ここまで聞くと、え…そんな人ヤバいやつじゃん…と思われるであろう。

私的にとって「ヤバいやつ」というのは、単純な白黒思考の人間が簡単に人のことを、悪だと判定できる便利な言葉にしか過ぎないと思っている。


彼女はお節介過ぎるのが短所でもあるのだが、それほど人に対して尽くしてあげようと思えるサービス精神がある。

彼女はどんな些細なことでも誰かから何かをしてもらったら、礼儀正しくお礼を言う。


だからこそ、彼女のことを応援してあげたいのだ。

だが、厄介なことに
彼女のこだわりの対象が「私」であり、
「ダリアのために何でもしてあげよう」
「ダリアができない子だから、私が何とかしよう」
と必要以上に私を意識してしまい、私に執着してしまっている。

そこにASD特有の人の気持ちを考えられない物言いで、私が泣き出してしまうこともあった。

けれど、彼女はそれが何故なのか気が付かなくて、
「突然ダリアがヒステリーを起こしている。ダリアも敵なんだ。」

恐らくこういう解釈なのだと思う。

だからこそ、私に辛い言葉で当たってしまうし、余計私を気にしてしまう。

この世界観について、あなたはどう思いますか??

自分に近づいてきた人に対して、必要以上に執着してしまい、最終的には引かれて敵と思ってしまう。

ようやく気の許せる人ができてよかったと思ったら、去られてしまう。
この寂しさをあなたは想像できますか?

関わる人々に対して「敵か味方か」この2択しかなくて、敵になられないように人と接して、敵になったら突き放す。
この不安定な世界をあなたは想像できますか?

もし、彼女がそのような体質がなかったら、彼女自身のキャラクターは素敵だからこそ、頼られる女性になれたであろう。

ADHDの人の頭の中の世界というのは、沢山の思考が渦を巻いている。

要するにADHDの人は沢山の情報を短時間で素早く処理しているのだ。

思考の糸をぐちゃぐちゃにすることなく生きているのが、どのように凄いことだか想像はつくだろうか。

ASDの人は拘るとことん拘り、ひとつの事を究める。

多くの人間が三日坊主なのに真似できるだろうか。

人間にはこのように何か障害があろうとする人はそれに見合った素晴らしい才能が備わっているのだ。

だからこそ、このような人々に対しては「癖つよ!ヤバいやつだ!」と突っぱねるのではなく、「こういう所がいいよな。」といい所を見ていき、白か黒かではなくて様々な色で人を見る思考でいるのが発達障害の人々にとっても生きやすくなるのではないか。


一番厄介な人間というのは
「私はADHDだから、遅刻することは仕方ないの。好き放題発言しても仕方ないの。」

こういう、自らの欠点を何らかの名前をつけて相手にすがろうとする人間だ。

私は、私はこの現状から変わりたいんだ!

と思っている人は最大限サポートしたい。

恐らく多くの人々も、病気や障害を抱えている人が頑張っている姿を見ると、サポートしてあげようという応援したくなる気持ちになるはずだ。

けれど、今の現状で甘えていて変わろうとしない人、それによって人に対して危害を与えてしまい、その原因を探ろうともせず、他人のせいにする人には、誰も応援したくなるはずがない。

彼女自身が、社会生活においての不具合を感じ取りカウンセリングや病院に行くことをとても願っている。

病院で思いつかないとするなら、彼女が自分自身の生きづらさについて悩み出したら、変わる糸口を見出してあげようと思っているし、共にいい活動してる人達や、お医者さんを探すつもりだ。

人というのは他人を理解したくても、自分の当たり前から脱却できないから、他人を理解できないわけであり、その当たり前を他人に押付けてしまうからこそ、癖の強い人々が生きづらい世の中になるのだ。

だから、我々も本を読んだりして癖の強い人々について勉強しなければならない。

この世で生きづらさを感じてる人が少しでも心地いい世の中になるように、私はこれからも色んな人を支えていきたい。

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