興味関心はエンディング♪

死を想い今を生きるためにと考えている私ですが、いつから死を考えるようになったんですか?とよく聞かれます。

どうやら何かしらきっと大きな経験があったに違いないとイメージする人も多いようです。きっと無意識の偏見(アンコンシャス・バイアス)ですね。

実際この数年は大きな経験があるからこそ、もともと興味を持っていた
「死」というキーワードを探究したくなりました。
しかしもともとはというと・・・
幼い頃からいつ人は死ぬかわからない・・・といつの間にか考えている人だったのです。
幼少期私のお気に入りの本は学研の図鑑「人とからだ」と「宇宙」
そしてブラックジャックに夢中になり、
上野正彦氏の書籍「死体は語る」が大好きで、エンディング産業に興味深々。
今日親が死ぬかもしれない・・・と元気で病院にご縁もないのにも関わらず、勝手に考え始めて急に泣き出すという不思議な人でした。
望まない孤独死をテレビで見て、どんな思いで亡くなったのか考えすぎてなんとかしないとと、10代の時に真剣に今後大変なことになる。と思ったものです。

死を考えていると自分や他者の人生の物語がありありと立ち現れてくる感覚があり、人は死と出会うことで大きく感情が揺さぶられ、経験の中から大事な感情や価値観に気づく大きな機会であると感じています。

喪失の中でも一番自分ごと(自分も死ぬという恐れと不安)が重なるがゆえ
なのかもしれません。
そう考えると、喪失(失う・手放す)ということは人にとって大きなストレスだからこそ本質が見えてくると考えています。

この本質に気づくことは、自分の人生の生きる意味につながるのではないかと最近思い、死を意識し、語ることが日常の中に織り込まれることで
喪失へのレジリエンス力強化になり、生きる意味に強く立ち向かえるのではないでしょうか。

では普段死を意識する、死と出会う場面はどれくらいあるのでしょうか。
最近は葬儀も自宅で行うことなく、ご近所さんのお手伝いもない
あそこのおじいちゃん亡くなったんだ〜と気づくこともない
霊柩車に親指を隠すことも無くなった。
*霊柩車が外から見てわからなくなったのは火葬場建設時、霊柩車とわからない車以外はダメと言われていることがあるそうです。
そして、親しい親族のみで執り行う・会館での葬儀。迷惑をかけないようにひっそりと執り行われています。
この死との出会いのチャンスが激減しているからこそ
私たちは生きる意味を見失うことに繋がっているのではないかと思ったのです。

死を忌み嫌うようになったのはどうしてなんでしょうか。
そんなことも今後こちらに書いていこうと思います。

今日もメメント・モリ♪

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