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この世界に踏み出したワケ。

お疲れ様です。sskです。

今回のnoteは、
「sskはなぜ演劇に関わりはじめたのか?」
そこまでの経緯を皆さんに今回初めてお伝えしたいと思います。
みんな謎に思ってたでしょ?思ってなくても思ってたって言ってね。

今回も長文になりますので、ぜひ家に帰ってからゆっくり読んでください。


小学校のころから、


秋田県内の劇団『劇団わらび座』さんのミュージカルを見て育ってきました。秋田市内でちょくちょく公演があったのですが、その公演に秋田市内の小学生をご招待、みたいなので学校行事でよく行ってました。
その時は正直言って、ただ遠足気分を楽しんで、劇はどうでもいいや、みたいなノリでした。見てもそのころの自分には内容はよく理解できず、劇の構造もよくわかっていなかったのかもしれません。
その段階で演劇に興味が沸いたわけではありませんが、根本はここにある気がします。

そして中学校。

中学2年生の時、学校の文化祭で劇を作らなければいけない
ことになったのです。
毎年恒例のイベントで、特定の委員会のメンバーで作らなければいけないのです。(何委員会かは言いません。個人情報!)
会場は体育館。全校生徒は630人、そして生徒の保護者が100人弱。700人の前で劇をやらなければいけませんでした。
内容は完全に生徒に一任。
脚本から照明プラン、音響まで何まで1からやらなければなりません。
委員会の委員長だった私は、劇の監督?的なのを勝手にやらされることに。劇のいろはもわからない、初心者の私。
一緒に劇を作る同じ委員会のメンバーと協力してまずは脚本。と思ったのですが、
メンバー、話し合いに参加せず。
困った私、近づいてくる本番。

当時の一連の会話↓
ssk「これどうしようかな・・・先生、これどうすればいいですか」
先生「もうお前が全部やるしかないんじゃないか」
ssk「!?」

のような会話を経て、
脚本・演出・主演・照明・音響担当の四役
を務めることになったのです。
この中でも脚本なんかまったく書いたこともなかったし、面白いのが書ける自信がありませんでした。書き終わって最初の練習。メンバーに脚本を配ったところ、


これめっちゃ面白い!


と言ってくれたメンバーたち。
今こうして脚本を書いているのは、この感覚が忘れられないから、というのもあると思います。
練習は日々続いていきました。毎日夜7時まで学校に残り、練習。とてもつらいことも多かったです。でも、練習が終わり、
下校中に友人と坂を下ると向こうには秋田市の夜景が見えたのです。
あの景色を思い出すと、あの初々しい記憶と、あの時の輝きを今でも感じます。
劇の本番も成功。
ここが演劇に一歩踏み出すきっかけになったと思います。

そして高校生。

私は最初演劇部に在籍していました。高校入学後、部活に入る気は全くなかったのですが、他中のクラスメイトに誘われ、演劇部に入部しました。小中と帰宅部を貫いていた私にとっては相当な決断でした。もちろん入部する時も、沢山の不安がありました。
「やらない後悔よりやる後悔だ」
と勇気を出して入部をしました。演劇の講習会などにも参加し、部活の先輩が作った創作脚本で、一本劇を立てる過程を踏むことはできました。そして、私は創作脚本を書いて次の地区大会で上演をする、という夢に向かって続けてきました。

ですが、7月ごろに私は部活を退部してしまいました
部をやめるころには、興味がなかったけど適当に始めた演劇が好きになっていました。演劇というものに触れる機会が無くなった自分。
ここから演劇に触れるには、自分で行動を続けなければ触れられない。それはわかっていました。演劇を続けていくための選択肢をずっと考えていました。他の劇団に入団するか、それとも自分で旗揚げをするのか。その選択肢は2つとも、自分にとっては高い壁であることもわかっていました。
なら、自分にできることは何なのか?
そこで私は
「脚本」
というところに着目しました。もともと自分は創作脚本を書いて、ホールで上演をする、というのが夢でした。

脚本を書いて、配布して上演をしてもらう。執筆は自分一人でもできることだし、自分の可能性はさらに広がるかもしれない。そう思い、sskという名前で脚本家としての活動を始めました。

部に所属し、大会に創作脚本で出場すれば、創作脚本賞など自分の脚本が評価される機会もあります。
でも自分は、誰かに評価されることはありません。(望まない限り)
独りよがりの、自己満足の脚本にならないようにだけは心がけてやっています。
こうして脚本家としての活動を初めて、最初は不安だったし、部に対する未練も正直ありました。
演劇を一本作るあの経験はもうできない。大会で創作脚本の評価を受けることもできない。
今でもたまにむなしく思います。

それでも、個人で活動を始めてから少しずつ応援してくださる方も出てきました。友人からは公演について訊かれたり、親からのサポートだったり。おかげさまで生ラジオドラマの脚本を手掛けさせていただいたり、夢だった創作脚本での上演に向けても動いたりなど。チャンスは待ってても来ないけど、自分からアタックするものだ、そう思わされています。

ここまで読んでいただきありがとうございました。言いたいことが多く、まとまらずに拙い文章でした、すみません。
今回書いたことはまだ氷山の一角ですが、とりあえず何者なのか分かっていただければうれしいです。

今後ともよろしくお願いいたします。

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