シューズデザイン鬼十二則
スポーツシューズのデザインや設計や開発や企画やらなんやらかんやらを1人で続けまくって早10年を超えました。さすがに経験を重ねまくってかなり練度は上がったものの、毎回なにか反省ポイントは出てきてしまうもの。そしてそれによって浮き沈みしてしまう。これはモノづくり全般の性質かもしれません。
しかしほんとうにこれに尽きるなあ、と毎回毎回しみじみと感じるわけですよ。
と言ってもなかなか主観と客観を入れ替えるってのは難しいもんで、どうしても思い込みが介在しちゃうんですよね。これは訓練で身についていくもんでもあると思うけど、やはり思い込みからは完全に人は逃れられない。我思う故に我あり。
更にフットウェアなんて半分ファッションに首突っ込んでるジャンルなんで、より主観のバイアスが強めにかかってくる。これはほんと厄介ですよ。何度これで唇を噛みしめ悶絶したか…(なお今もやってるもよう)
ということで今回は、そんな傲慢な主観で滾りまくる自分に対して、もし冷めた客観をセルフで自動的に供給できたら、この円環の理から抜け出し解脱して普遍的魅力を有するモダニズム的プロダクトデザインの極致に到達することが出来なくもないんじゃない???という仮説を自ら実践してみるべく、半ばキャッチーな「鬼十則」の名をお借りしてモーセの十戒的な自戒を刻んでおこうと思います。10じゃなくて12あるけど。
第1則:迷ったらアッパーの色は鉄板色か無彩色にせよ
なぜなら不変的魅力を有するからである。
いきなりめちゃくちゃ具体的です。
アッパーというのは甲部分のことですね。シューズはアッパー+ミッドソール+アウトソールの主に3つの部材より構成されてて、アッパーはいわゆる顔にあたります。最も視覚を奪う部分。
したがって着用するときも自分の服に合わせやすかったり、苦手な色が無いものが大勢のファンを得やすいのです。攻めてみることも大事ですが、やっぱ鉄板色はつよい。売れる。ほんとに。
決して攻めるなと言いたいわけではありませんが、迷ったならば鉄板色を選ぶと間違いないと思います。と言ってもこの鉄板色をしっかり見極めるのにも経験と熱意が必要なんですけどね。
なおスポーツシューズについて言えば、デザイン案やカラー案を決定してから実際に発売されるまで、基本半年以上かかります。つまりはその決定を下すとき、半年後の反応を想像しながら決めなければならないということです。
家具や車みたいに開発スパンが3〜5年かかって、10年スパンで使われて、単価が高いものならば、ほぼ確実に鉄板色が選ばれていくでしょう。実際に発売されてる車のカラー展開見たら一目瞭然ですよね。黒や白やシルバーやレッドの多いこと。でもシューズって開発スパンが半年〜1年とかなり短い(研究開発は除く)んで移り変わりが早い。でもファッションアイテムほど数は作らないし市場での入れ替わりが激しいわけでもない。2-3年は市場に存在し続けていく。そういう時間軸で生きているプロダクトなんです。
だからこそ売れていく、愛されていく事をメインに据えて考えると、ファッション的にいろいろカラー遊ぶ視点も大切だし、その要素は適宜抽出して反映していくべきなんだけど、なんだかんだ鉄板色って最強だよね!となるわけなんです。
なお毎週発売されるようなコラボレーションモデルのスニーカーに関してはこの限りじゃない。あれは同じフットウェアではあれど、全く異なる力場と時間軸で動いてる別の存在です。動物の寿命でいえばハツカネズミ的な感じですかね。季節ものってそういうことです。
第2則:過去の自分の選択を信じよ
なぜなら過去の自分は、間違いなく当時最高の選択をしているからである。
タイムリープものの台詞みたいですが、これ実は結構な頻度で心に立ち昇ってくるのです。後悔とも言いますね。しかしこれに囚われるとマジで進まない。ひどい時は稟議し直したいときすらある。時間ないのに。それやったらいろんな人にめちゃくちゃ迷惑かけるのわかってるのに無駄な妄想に心が囚われてしまう。夜も眠れず悶々と考えまくってしまう。いわゆる最悪の状態です。ほんときっっっつい。めちゃくちゃ嫌。けど抜け出せない。きっっっっっっつい。
でも一番声を大にして言い聞かせたいのは、現在の状況って、間違いなく過去の自分が選択した先にある最高の状態なんですよ。自然の公理と同じくらい、それだけは胸張って言える。
だから当時の自分を信じようと言う事です。そもそも過去改変なんてリーディングシュタイナー持ちでも無ければ出来ませんし、考える時間が勿体ないのは周知の通りなんで、そこで右往左往する不安定な精神を一喝する目的で書いておきました。とぅっとぅるー。
ただ、それでも悩んじゃう時は悩んじゃうんですけどね。そんな時は…
第3則:後悔する時はファクトチェックせよ
なぜなら次に繋がる改善点を見出せる絶好の機会だからである。
過去の選択を信じたい…
確かに過去においては確実に最良の選択だった…けどそれでも…やっぱり後悔してしまう…
なんであの選択をしてしもうたんや…
つら…この世の終わり…
頭ではわかっていても人間なんでこうなることも多々あります。だって過去の自分と現在の自分って違うんだから。選択する為に必要な知識の総量が違うんだから。つまり構造的に見ると、後悔するってのは、知識と経験不足だったってことです。
だからこそ、後悔した理由の分析や反省は、自分の成長の種になるのでちゃんとやるのが良いです。
具体的には、自分が悶々としてるポイントを、ファクトとしてつらづら書き出してみるといい。形状で悩んでるなら、どの形状がどう悪いのか。色で悩んでるなら、色が悪いのか使い方が悪いのか。みたいな感じで。そしたら解決策が出てきやすくなるし、案外先は開けるもんです。
逆に考えれば、そういう機会がなければそこまで真剣に悩むことも無かったということです。悩む=考えるなので、様々な要素について考え直す良い機会を貰ったと思いましょう。実際その通りだし。過去の自分が知識不足だったなら、未来の自分に向けて更に知識も経験も取り入れていこうと言うことですね。
それでも不安なときもあるかもだけど、最終的には、時間が全てを押し流してくれるからね…
2週間もあれば大概回復するから安心してね…
時間は偉大なので…
第4則:調査では木も見て森も見よ
なぜなら思い込みによる分断を避ける為である。
「広範囲にわたってファクトチェックせよ」とも言い換えられますね。言葉で書くと簡単に思えるんですが、これの克服って案外マジむずい。
なんでかっていうと構造的には、「良い方向に進めたい」というプラスの心持ちが起点になって、それが原因の1つになってるからです。より良いものを希求するほど盲目的になってしまうことは残念ながらある。具体的な流れとしては、
①良いもの作りたい…
②いっぱい調べてみよう
③うおー詳しくなったぜ!
④これで最高のやつができるぞ!
この流れって別に間違っても何でもないんですよ。知識をインプットしてアウトプットに還元する過程には何にも間違ったことはないんです。だからこそ気づきにくい。
気をつけないといけないのは③の時点。ここで「思い込んだ」状態に陥っちゃうことなんです。思い込んでしまうと、様々なファクトに対して少なからずバイアスがかかります。それで客観性が低下しちゃう危険性が高いんです。乱暴に言えば「都合良く解釈する」ってことが起こりうるんです。
重度の思い込みに陥ると、そこから脱するにはかなりの意識転換が必要。それには相当な訓練が必要ですし、そもそもそんな芸当ができる人間なんて現代でも存在しないんじゃないかとくらい思ってます。というか構造上バイアス消すのは無理だと思う。
思い込みは必ずしも悪ではありませんが、少なくとも人間は思い込みにより世界を認識し、その認識に沿って生を謳歌してることは事実です。人間は思い込みの奴隷なんです。
はてさてそしたらここから脱するにはどーすればいいのか。脱するのが激ムズだったらもう詰みでは???…と絶望感に苛まれたこともなくはないですが、案ずるなかれ。
③になる前の②の段階で、できるだけファクトを叩き込んでおけばいいのです。(超脳筋解決)
思い込みバイアスを完全に取り去ることが出来ないなら、それを最小限に抑えるようにすればいい。あらゆるファクトをインプットしておけばいい。知識の多さこそが何よりの武器。これこそがたぶんほぼ唯一の解決策だと思ってます。
こう書いちゃうとなんかえらく厳しそうに思えますが、①の向上心があれば自然にファクトはインプットされていくのですよね。あとはそれをミクロとマクロの両視点で見ていくことが大切であり…
と、いろいろ書きましたが、とりあえず名著オブ名著「FACTFULNESS」読んでみてください。ここに全てが書いてある。人生開けるマジで。
第5則:他者というスーパーフィルタからの指摘は素直に受け入れよ
なぜならその指摘は間違いなく自分に無かった視点であり、取り入れる事でアイデアが確実に強化される為である。
これ、言うとやるとでは難易度が全然違うやつの筆頭オブ筆頭のやつ。こうやって文字に起こすと「そりゃそーやんけ」と当然のように思うんですが、前述の通り、人間というのは思い込みの奴隷。自分はできてる!と無意識で確実に思っちゃってます。悟り開いてるか解脱してないと無理。
例えばアイデアを出していきますよね。いいアイデア出ますよね。めっちゃいいやん…って思うじゃないですか。そりゃ思いますよね。これは全然いいんですよ。むしろその調子でどんどん出していくべきです。
重要なのはこの次のフェーズで、アイデアを広げて打合せすると、ほぼ確実にいろんなコメントや指摘が入ります。
「ここのラインもっとこうしたほうがいいんじゃない?」
「この機構っていらんくない?」
「それだとこんな問題ありそうだし、別の視点のがいいんじゃない?」
…
…
うるせええええ!!!!!
何もわかってねえなあああああ!!!!
この!!
このアイデアこそが!!!!
どう見てもベストやろがい!!!!!!!!
😇😇😇😇😇😇😇
…って叫びたくなっちゃったりもするんですよ。たぶんデザイナーの人みんな経験者あると思う。そりゃ自信あるアイデアだからね。構造上そう思うのは当然だし、健全ですらあると思います。
でも、デザイナーの目指すべき終着点はかくあるべきデザイン解を見つけ出すことにあります。時には自我すら捨てて、ここに全振りしないといけません。そこを放棄したらもう良いデザインなんて生まれないんです。ほんとに。
うるせーなあ…と思っちゃうよねと書きましたが、他者の意見やコメントというのは実はめちゃくちゃ大切で貴重なものなのです。その人がそれまで何十年と蓄積した知識と経験を総動員して、その莫大な情報のフィルタを通して表出した印象が言葉になってるんです。これってよく考えればマジで凄いことですよね。そんな情報量や経験なんてどんだけ投資しても自分で身に付けるの無理ゲーなんだもん。そんなスーパーフィルタという篩に自分のアイデアを通過させられるのは、デザイナーにとったら本当は超ありがた過ぎるくらいなんですよね。
だからこそ、そのスーパーフィルタの判断はしっかり受け止めてみましょう。すぐには受け止めきれないかもだけど、なんでそういう意見をもらったか、因数分解して分析していきましょう。
断言しますが、絶ッッッッッッ対に良いアイデアに進化できる。ぜっっっったいに。ヘーゲルも言ってるし。アウフヘーベン!って。いやほんと、まさに対話こそデザインワークにおける「止揚」に他ならないと思います。アウフヘーベン!(言いたいだけ)
※ちなみに知識も経験も少ない人の意見はあんまり適切なフィルタにならないんで注意してください。逆に改悪方向に持っていかれることだってあるので気をつけて。
第6則:線を描く際は力の流れを見極めよ
なぜなら普遍的魅力を持つ「かくあるべき」形態を見つけ出す為である。
さて、もしあなたがスポーツシューズの造形を担当するデザイナーだったとしましょう。目の前には紙とペンがあります。まずどんな線から描き始めていけばいいでしょうか???
…
いきなり言われると何から描けばいいか悩んじゃいますよね。何か始めるきっかけが欲しくなる。何をもとに描けばいいか知りたくなる。
何をもとにするかって言うと、シューズにかかる力をもとにしていきます。そして、どんな力がかかるのかを導くにはちゃんとやり方があるんです。それは主に2つ。客観から導くやり方と、主観から導くやり方。
①客観から力を導く
これはつまりデザイン条件を設定するってことです。対象シューズの使用環境、用途、足型傾向、動作内容、コスト、材質、重量、幅、対抗品シューズの設定値、and so on. 他にもめちゃくちゃある。
マジでめちゃくちゃあるんですよね。デザイン条件って。だからこそ、こいつらをちゃんと一個一個丁寧に、それぞれの力の流れを邪魔しないように結びつけていくだけで、実は7-8割がた形態は決まってくるんです(俺調べ)。だってデザイン条件めちゃくちゃ多いから。言ってしまえばしっかりリサーチするだけで形態は半ば自ずと決まってくるんです。すごいですよね。実は主観の入る余地ってそこまで大きくない。リサーチがどれだけデザイン行為において大事なものか、わかって頂けるかと思います。逆に言えばリサーチが不十分だったり杜撰だったりすると、主観で進める部分が多くなると言う事です。ことスポーツシューズにおいては、紐穴の位置、履き口の幅、ソールの反り上がりの位置とかそういう細かいところまで、ミリ単位で規定していきます。そういう世界。
②主観から力を導く
こっちはモチーフやイメージソースの設定だったりします。別分野から条件を引っ張ってくるやり方。なんでこっちが必要かって言うと、デザイン条件から導いた造形だけだと、ちょっとアイデアの広がりに欠ける事がある。レッドオーシャンな市場だったら尚更、かかる力(デザイン条件)は同じになりますからね。差別化する意味でもアイデアの広がりは重要なんです。残り2-3割をどう造形して、デザイン条件と組み合わせて新たな形態を発見していくか。そこでよく使うのがモチーフの設定という手法です。
モチーフになる対象がどんなものかっていうと、シューズだったら車や動物がまあ多いですかね。あとは別ジャンルのシューズとか。たまに何かの構造体とか。なぜ彼らが対象になるかって言うと、シューズと同じくベクトルを持つ存在だからです。つまり造形のジャンルが似てるからです。ベクトルを持つとは、前後がある、方向性がある、とも言い換えられます。
地球上に存在して方向性があると言うことは、そこにかかる力が丁度バランスが取れている調和状態だという事なんです。この「バランスが取れた調和状態」を、造形するデザイナーはスケッチを重ねて重ねて重ねて重ねて重ねまくって模索し見つけ出していくのです。
そういう調和状態の物体が何かって言うと、まず自然物。そして名作と言われる人工物です。これらは普遍的な美的価値を有している。だからこそそこからイメージを拝借するのです。力を見極めてうまく扱い纏めきっている形態を参考にするのです。つまりモチーフを設定するってことは、「かくあるべき」形態をうまく見つけ出すための一種の探索ツールみたいなもんなんです。
ちょっと長くなりました…
これでようやく①②でシューズにかかる力を抽出して、線を描く準備ができましたね!もうここからは怖いもんなし。全ての情報はあなたの中にある。あとは自らがオーケストラの作曲者となって、様々な力がそれぞれ調和するように、喧嘩しないように、譜面を作り上げて美しい音階を奏でるように模索していけばいいんです…!!!
と、あたかも自由に解放され非常に楽しいひとときの始まりだ…!みたいに書きましたが、ここがいっっっちばん脳を使いまくって疲弊しまくる、それでいてめっちゃくちゃに楽しく苦しいプロセスなのです… スッと出てくるときもあるけど、だいたい模索していきます。たまに吐きそうになる。良い線が見つからなくて。そういう時は苦しいし、ずっと脳内が沸騰してる感じ。絵は非言語だけど、時折言語化して絵を客観視したりもする。自分と絵の一対一のぶつかり合いです。ちなみに自分は考えながら描いてる途中で寝落ちしたりします(!?) 脳が疲れすぎて。。(たぶん)
絵を描くデザイン行為って、無から有を生み出すクリエイティブなものだと思われがちなんですが、実際は彫刻に近いものがある。物体から「かくあるべき姿」を見つけ出していく行為なんです。そこで見つけた造形は、それが普遍的魅力を持ち、半永続的な美しさを保っているんです。これが見つかればもうしめたもの。このイデアの平野に存在するかくあるべき造形こそが、デザイナーが追い求めていくべきものと言えると思います。
第7則: モチーフと現実の間にある「溝」を常に意識せよ
なぜなら意匠においての思い込みによる暴走を止める為である。
さてさて先ほど触れたモチーフというやつですが、運用する際にはちょっとばかし注意が必要です。
なぜなら前述の通り、モチーフから導いていくプロセスは、まさに創り出してる感をビシビシ感じるので脳内麻薬ドバドバ、まさしく全能感を持ってデザインが進んでいきやすいからなんです。もちろんこれはこれで大事なこと。ただしそれだけだと半分暴走なんですよね。しっかり現実に引き戻すブレーキを踏む事を忘れちゃいけません。(実際過去に暴走したことある人)
例えばとあるシューズの新色のカラー展開をやっていくとしましょう。
モチーフとして、あなたはいくつかの動物のカラーパターンだったり、大地のグラフィックだったりを選定したりするでしょう。いっぱい集めてイメージが膨らんでくるでしょう。そこ起点で進めていくと、もうバンバンいろんな案が出てきまくるんですよね。もう楽しい楽しい。この世に1つだけのアートピースが出来上がったぜ!!天才だわおれ…みたいに思うくらいなんです。
こうなると半分はアウトです/(^o^)\
だってアートピース作ってるわけじゃない。顧客に対してデザインしてるわけですからね。陥りがちな暴走の例なんです。そういうのってキワモノになりがちなんで、買う人があんま多くなかったり。
これ、複数名のチームでやってたら誰かがブレーキ踏んでくれてハッと気づけるんですが、自分の場合1人でやってるので暴走しまくれば後戻りできんのです。てことでなんとかして自分のゴーストに囁いてもらわにゃならん。
そこでちゃんと自動ブレーキを踏むために、そこに「溝」がある事を常に外部記憶に留めておけばいいと思います。現実と非現実の間に横たわる「溝」の存在を。
全能時はそっちでフルドライブすれよい。ただちゃんとその後に振り返ればよいのです。翌日とかにでもいいのでね。(夜中ラブレター効果とでも名付けられるでしょう…)
そうしないと、その溝に嵌まってしまい気付いた時にはもう手遅れになっちゃうのです。おおこわ…
※ただし2割くらいは本当にいいのが出てきたりするんで、そこはちゃんと見極めよう!
第8則:造形で言いたいことは1つにせよ
なぜなら線が乱立し秩序が保たれずダサくなる為である。
これね〜〜〜、、、、、
知識も経験も溜まってくるとやらなくなるんだけど、だいたいみんな最初は通るんですよね、、、、、、
なんで最初にやっちゃうかっていうと、やりたい気持ちが前に出過ぎて暴走しちゃうからなんです。気持ちはめっちゃわかるのよ。自分の造形が世に出るってほんと嬉しいことだから。
だからこそ思いがつよつよになって、あれもこれもとやりたいこと全部入れちゃったりするんですよね。いやわかるよ、わかるけど。
ここまで読まれた皆さんはなぜこれがダメなのかもうお察しと思いますが、ダメな理由はそれが自分の世界になっちゃってることなんですよね。ユーザーや顧客視点の不在。独りよがり。それってデザインとはちょっと違うんですよね。
秩序を持つ形状は、線に無理がありません。
それって普遍的魅力を持ってるってことです。名作の車とか椅子とか建築とかでも見てみるといい。線に秩序がある。無理がない。スッと入ってくる。喉越しがいい。それでいて新鮮さも併せ持っている。実際そんな極地に至るには相当な時間をかけてプロダクト自身と対話していかないといけないんですけど、短い開発スパンで回していくスポーツシューズ開発にそんな悠長な時間はない(悲)。
と言う事でタイトルにある通り、1枚のスケッチで言いたいことは1つに絞っておく事を強く薦めます。
直線的なテーマならそういう線を基軸にまとめましょう。Rの曲率もしっかり意識しましょう。直線と曲線のバランスや、空隙のバランスは、テーマ性にめちゃくちゃ大きく影響します。アッパーが曲線的なのにソールが直線的だとそれだけで秩序が乱れます。あなたが引いた1本の線が生み出す「力の流れ」を意識して、全体の造形が不自然になっていないか、混沌としてないか、余計な線になっていないか、全体のバランスは保たれているか、常に確認しながら進めていきましょう。でないと暴走して、取り返しつかないタイミングになってようやく気付いて後悔しちゃうのでね。大丈夫、正解は必ずあります。ただしその正解を正解と見抜けるかどうか、鍛錬も必要ですけどね。
第9則:他社シューズからの引用度合いを見極めよ
なぜなら同じ製品群内で似過ぎるのを防ぐ為である。
第6〜8則で、秩序ある造形の導き方について書いてきましたが、さてさてここでもう一個大きな壁が立ちはだかります。「既存の他社シューズに似てしまう」という壁が…
実はこれ、他社シューズの造形が名作であればあるほど、更に自分の生み出した造形も良いものであればあるほど、似てくる傾向にあります。だってシューズにかかってるチカラがほぼ同じで、秩序ある無理のない線を求めていったら同じポイントに収束していくから。
こんな構造上の落とし穴はあるんですが、もしその穴に落ちたときにすぐに役立つ具体的な脱出方法がこちら。
①似てる部分を見つけ出し、そこの要素を消していく。
例えば穴の位置が似てたらその位置を変えたり無くしたらいい。側面のラインが似てたりしたら、ラインの太さや傾きや本数を変えてみたらいい。これで結構印象は変わってくるもんです。
②別のシューズの造形を参考にする。
同カテゴリーの製品群にある別のシューズ参考にして、そこにある要素も参考にしてみましょう。同カテゴリーだったら、既に秩序ある線が使われてることが多い。あるシューズAに似過ぎたのであれば、シューズBやシューズCも観察し、造形を参考にしていきましょう。
シューズ開発の時って、対抗商品を設定するんです。だから対抗商品を一番よく観察する。するとイメージが残りまくる。知らないうちに自分の頭にインプットされる。それが無意識のうちに自分のアウトプットに反映されていく。それで似過ぎたりするんですよね。ある程度は引用の範疇で済むけども、閾値越えるとパクりっぽくなって急に魅力が低下する。知的財産的にも全然良くない。
だからこそ、最低でも3〜4種くらいは見ていって、幅広いインプットを心がけると良いです。本当はモチーフ設定とかで独自視点の造形が導ければ一番だけど、難しいときも必ずある。そんな時の応急処置的方法が、このやり方です。
しかも結構効力高いからいいんですよね…ええ…
※でも本来の造形展開力が養われなくなるし、めっちゃ独自性あるのは生まれにくくなるので、使い過ぎは注意ですからね!!
第10則:正と奇のバランスを見極めよ
なぜなら造形における独自性を担保する為である。
秩序ある線を見つけ出していくことの重要性をここまでせっせと説いてきました。そういった線は言うなれば「正」です。前述の通り、無駄がなく、スッと知覚されて、透き通ってる感じがあります。これは本当素晴らしいものです。基本的にはここを目指していきます。
ただ!ただね…!
そういう「正」の要素オンリーで構成されてるやつは、逆に面白みに欠けてしまうという諸刃の部分も持ち合わせています。
例えばJasper Morisson、Max Bill、深澤直人氏などがデザインしたプロダクトは限りなく「正」に近づいている。アノニマス・デザインとしての追求が徹底的に行われているからです。すごーく魅力的でずっと飽きずに使いたいと思うけども、いわゆる「奇」の要素、目に留まる感じ、意識に引っかかる感じ、ファッション的な面白みがある感じ、そういうのがあるかというと、ちょっと違いますよね。もちろん超細かいレベルで見たら、ちゃんと「奇」の要素もあるので補足まで。スーパーデザイナーの彼らは超絶緻密な計算で、正と奇の境界面を操ってる神的存在なので…。だからこそ彼らのデザインしたプロダクトは、何年経っても色褪せず普遍的魅力を保ち続けているんです。
さて、なんとなく「正」の要素はわかると思うんで、「奇」の要素にフォーカスしてみましょう。
さっき目に留まる感じ、意識に引っかかる感じ、と書きましたが、これってデザイン対象のプロダクトに個性を与える重要なポイントなんです。キャラクター性とも言います。そのプロダクトの印象を左右する要素なんですよね。
例えば普遍的な名作シューズのスタンスミスを見てみましょう。
もともとテニスプレイヤーのスタン・スミス氏が着用してたテニスシューズであるのは有名過ぎる話ですね。コート系シューズは素早い切り返しの為に地面との擦れ面積を高めるのでソールは平面で凹形状のグリップパターンを持ってます。なので側面がスッキリしてる。構成要素が少ないんで「正」の要素高いですね。
アッパーも非常にシンプルで、伝統的な外羽根式+多めのアイレットにより足とシューズとのフィット感を高めています。これが内羽根・少なめアイレットだとドレッシーな革靴みたくなって激しい運動には向かなくなっちゃうんですよね。ここまでが「正」。
「奇」の要素はとても細かいものですが、大きくは2つあります。まずはadidasのお馴染みであるスリーストライプを通気穴として配置したこと。「正」でいくならストライプを補強剤として縫製して配したでしょう。
次はカラー。「正」でいくなら色はシンプルにすべきところ、ヒールタブに色味を配しています。ヒールタブってのが絶妙で、履いたら見えないんです。つまり着用時のシンプルさを損なわない。いや〜改めて見るとやっぱ名作なんですよね。
この2要素が、間違いなくスタンスミスを名作に押し上げてくれたと思います。スタンスミスといえばこのビジュアルですもん。「奇」からのアプローチが無かったら、ここまで人々の意識に残るアイコニックなプロダクトにはなっていなかったんじゃないかと思います。そして時間が経つに連れて、その「奇」は「正」にゆるやかにシフトしていくんです。だからこそスタンスミスは今もなお名作として君臨し続けているんです。
つまりシューズデザイナーがやっていくべきは、「正」を追求して普遍的魅力を有するアノニマス的ロングライフデザインを基本的には目指して行きつつも、「奇」の要素も並行して意識に捉えつつ、正の要素だけでは付与されないキャラクター性をバランス良く配合していくことにあると言えるでしょう
(長っ…)
第11則:他人を想え
なぜなら主観でありながら客観的視点を持てる最も容易な方法だからである。
デザインは他者の為にある行為です。他者を知り、分析し、ニーズを導き、解決策を提案することがデザイン行為です。でもシューズというのは嗜好品なので、デザイナー自身の自己実現欲求が強く出がちになります。これはプロダクトの特性上ある程度仕方ない。
しかし、しかしですね、それじゃやっぱ弱い。だってN=1だから。自分がデザイン対象にふくまれてればまだいいですが、それでもカバーし切れない部分はどうしてもある。そんな状況を比較的容易に脱することが出来る方法が、この「他人を想う」という行為です。
例えば、ある特定ターゲット層に対してのシューズデザインをやってくとします。ここで、あなたの周囲に実際にいるそのターゲット層の人を1名だけでいいので思い描いてみましょう。できるだけ近い存在の人がいいです。リアルに想像しやすいから。
そしたら自分のデザインしたシューズをその人が履いてるところを想像してみましょう。
その人は実際に買ってくれそうか?
履いたらどんな時に使ってくれるか?
おすすめしてくれそうか?
その人の誇りになれそうか?
その人の生活は向上するか?
本当にその人のためになるシューズなのか??
たぶんいろいろ思うことが出てくると思います。
ここで出てくる疑問って、かなり真に迫った根源的な魅力を問うものになる事が多いです。自分の価値観からだけでは出てこない観点からデザインワークを推敲できるんです。これは本当につよい。なおこの方法、カラーの選定とかにもめちゃ有効です。
ペルソナ作ってやるのも良い方法論ですし、チームでやる時やプレゼンだったらみんなで共有できる人物像が必要なのでこれはこれでやらなきゃなんです。でも身近な人でやってみたほうが、圧倒的に情報の解像度が高まるんですよね。「こんなこと言いそうだな〜」とか想像するとすいすい批評ポイントが出てきます。だからチームで共有するペルソナも、みんなの共通の知人がいたらそっちのがいいのです。
何より、他人の幸せを想う行為自体が、デザインの質を何段階も高めてくれる事も、紛れもない事実なのですよ…
※なおこれを更に上の階層で適用すると「地球環境を想え」となり更に視野が広がります。機会あったらやってみてね!
第12則:広範な知識を付けよ
なぜならインプットの総量がアウトプットの質=センスの向上に直結する為である。
めちゃくちゃ長くなっちゃった鬼12則、いよいよこれでラストです。
じつは当初この記事、鬼十則に沿わせようとして10個にしようとしてたんです。まあ10くらいで全然行けるだろと思ってたし。そしたら出るわ出るわでどーしても10個に収まらなかった…こんなに長くなると自分でも思ってなかったです。
というわけで、シューズデザインにおいていっっっちばん大事な要素をこの最終則で記載しておきます。なんだかんだこいつさえみっちり抑えてれば、ここまでに挙げた11則をぜんぶ解決するするまであります。それは…
それは「知識」…!
知識知識知識知識知識知識知識!!!
知識は全てを解決する…!!
いいですか…知識は全てを解決します…!!!
いかに困難な課題を提示されようと、いつだって一番頼りになるのは自分が身につけてきた知識。知識がないと発想ができない。解き方を知らないと問題は解けない。数学や物理でも同じですよね。さまざまな情報や意見の中から進むべきベストオブベストの最適解を導く為に必要なのは、圧倒的な知識量。アイデアの質も知識量に比例する。知識こそが人類を救う。知識マジ裏切らない。
と言ってもここまで読まれたあなたなら、いかに知識を付けるか、いかに情報を自分の中にインプットしておくかが、どれだけ大事か分かって頂けていると思います。第4則「木も見て森も見よ」でも似たようなこと書いてるしね。
でもここで言いたいのはちょっと違います。第4則は、思い込みによる暴走を止める事が目的でした。今回知識を付ける最大の理由は、デザインにおけるアイデアの密度や質を向上する為に必須である、センスを向上させる事が目的です。
「センスが良い」
便利な言葉なので多様されますよねこれ。センスって先天的なものと思ってる人って結構多いし、実際そんな意味合いで使われてることが多い言葉だと思いますが、実際は違う。
「センスが良い」=「知識×経験の量」
これです。マジで知識と経験です。だって何も知らない人が急に良い線描けるわけない。未経験者が出来るわけない。(もちろん10年に一度の天才やビギナーズラックは置いといて)
経験だって言ってしまえば知識の体感や蓄積として言い換えられるかと思います。視覚情報や文字情報が点の知識なら、経験はそれらを繋ぎ実体にする線のようなもの。様々な点を繋げていくことで自分の中に肥沃な平野が出来上がってく。この世界こそがあなたの知識の絶対領域。この領域が広大であればあるほど領域展開がつよつよになる。(話が逸れた)
つまりセンスは自分の努力で何とかなるもんなんです。その為にはまず知識を付ける。それを実践して経験し、自分のものに変えていく。そして更に知識をつけていく。単純。この繰り返し。そしてこれが結局一番つよい。
なかなかハードボイルドなこと言いましたが、そんなに気負う必要もなかったりします。だって好きなら勝手に知識付いていくから。向上心や好奇心が原動力だから。より良くしようというその姿勢を、使命感を、ずっと心に抱いていれば、なにも心配いらないから…
という事で「好きという気持ちがあればすべてオッケー👌」という、なんだそれ感ある締めにはなりますが、以上が僕が自分自身に何度でも伝えたい、シューズデザイン鬼12則です。ここまで読んでくれたみなさまありがとうございました。
自分では出来てると思ってる時、調子がいいなあと思ってる時、凹んだとき、後悔するとき、いろんな感情の浮き沈みがあるときっていっぱいありますが、そういう時には偶にこの記事を見返して反芻し、プロダクトデザインの至るべき普遍的魅力の極致という特異点への飽くなき探索に、1デザイナーとしての情熱を注ぎ込みまくりたいと思います。
追伸1:
最近リリースしたやつ。造形的に自分の中でかなり「正」に近づいたモダニズム的デザインのやつが出来たと自負してるので良かったら見てね🥹
直線と足の有機的曲線とのバランス、図と地の空隙のバランス、色味の散らし方/配置、などなどかなり緻密に想像して形態にまとめ切ることができました。最終サンプル上がった時がほんと嬉しかった。この為にデザインやってんだわ…
追伸2:
この記事をちびちび書いてるうちに同じチームに新しい人が入って2名体制になりました。やったね!!!
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