田口茂・西郷甲矢人「<現実>とは何か」感想

◇要約

1 実体から不定元へ
・「物」=いつでも誰にとっても、つまりどのような観測者にとっても同じようにある。
→「観測者から独立である恒常性」
・「場」=誰がどのようにそれを見るかによって変わってある。
→「観測者をも考慮に入れた変換規則の恒常性」
・実体論=現象の背後に「真なる実体」を仮定する。↔️「現象に即す」
・法則=「二度と繰り返すことのできない」、「出来事の間の置き換え」に立脚して物事を見ること。
→「問いがなければ答えはない」
・自然の「現れ方」=「それ自体としてつかめない」。
・不定元=ある状況が設定された時、場合に応じて「値を取りうるもの」。

2 「数学」とは何をすることなのか
・非基準的選択=何かを選ばなければならないが、一義的に決まらない選択。
・曖昧さ=入れ替え可能性。
・普遍性に至る=何か或るもを選択することから始めて、その選択を自ら消去する過程を経る。
・「同じこと」=多様な表現を通してつかまれるもの。
→何らかの表現によって出発するしかないにも関わらず、その活動の中で、この特定の表現が他の表現と交換可能なものという性格を獲得する。
・「空間」=「等しさ=置き換え可能性を緩くとる」ことによって、はじめて考えられるようになるもの。
・「数学」=「非基準的選択」+「それ自身を消す」→「置き換え可能性」=「一般構造」。

3 「現れること」の理論
・「圏」(category)=「対象」と「射」のネットワーク。
・「射」(morphism)=或る対象と別の対象との関係。
・「圏」の定義
「射」から構成されるシステムで、
「射」の「合成」が考えられ、
「何もしない射」を含み、
「結合律」を満たす。
・圏論において、あらゆる概念が「射」≒「矢印」を通じて表現される。
→「A=B」(同型)=「『A→B』∧『B→A』」(二つの対象の間に同型射=可逆な射が存在する)
→「不可逆性」(→)の特殊例としての様々な「可逆性」(=)
・「同じもの」=「多様な現れの間のプロセスの可逆性」。
→「圏化」=数学的概念やそこでの「=」を何らかの「圏」の「同型」から生まれてくるものと捉えること。
・「同じ個数」=二つの集合の間に「一対一対応」があること。
・「数」=「無数のもののネットワークのネットワーク」。
・「関手」=「圏から圏への関係づけ」
→「理解」、「翻訳」、「モデル化」、「座標化」等
→「理論化=関手の構築」
・「自然変換」=「関手から関手への関係づけ」
→「自然変換」=「座標変換」を一般化したもの。
→「関手の構築」=「曲を楽譜に書き出す」∨「楽譜を用いて演奏する」
・関手圏=関手を対象とし、自然変換を射とする圏。
→あらゆる圏=或る関手圏の一部分。
・自然変換の定義のために関手を、関手の定義のために、圏を定義する必要があった。
→圏論の根本的概念=自然変換
→存在論の根本的概念=現れの変化
→自然変換=関手の変換関係≒「現れの変化=置き換え可能性」という構造。
→根元的な思考原理としての「変換」=「置き換え可能性」

4 置き換え可能性から自由へ
・「私」=「不定自然変換」≠「実体」。
・「確かさ」への希求=「多様なものを通して同じものをつかむ」
→「実体化」=「何があっても不変のもの」
・「同じもの」から「変換プロセス」へ。
→「物」≒「実体」から「観測者をも考慮に入れた変換規則の恒常性」へ。
・現代幾何学=「変換」(「鏡映」、「平行移動」、「回転」、「拡大」、「縮小」等)を考えること。
→「合同」から「変換」への主役交代。
→「変換群」が「幾何学」を定義する。
→「変換に軸足を移すことによって、これまでの思考の束縛から自由になる」
・「自由」≠「無規定」
→「自由」=具体的な問いに対する「実践」
→「個々のものに固着しないが、個々のものを疎かにする訳でもない」態度。
・「自由」な思考
個別的・具体的なものに即しつつ、
それを「置き換え可能」なものと見なし、
それへの固着から離れる。

5 <自由>から現実を捉えなおす
・決定論≠因果性。
・決定論=Aがあれば、必ずBがある。
・因果性=Aがなければ、Bがない。
→決定論を否定しても、因果性を否定したことにならない。
→自由と因果律は両立可能。
・「自由」は「まだどこにもない」事実=「何であるか分からないもの」の次元に関わる。
→「不定なもの」の「非基準的選択」によって「比較可能なもの」が「同時生起」する。
・可換=操作の順序を変えても結果が同じになること。
・確率空間=選択肢の集合とそれに関する確率の重み。
・古典確率論=確率変数が取りうる値は予め定められており、確率変数の積は可数。
・非可換確率論=確率変数は不定元で、確率変数の積は非可換。
・「不定元としての現実」=「予め選択肢の集合や重みが与えられている」という前提がない非決定性。
→「問いがなければ答えがない」という構造。
→現実の構造が非可換確率論で描かかれる性質を持つ。
・自由な実践=或る具体的な場面における、誰かの実践。
→抽象的自由=無規定性・非決定性。
→何かを選ぶこと(非基準的選択)によって、「置き換え可能性」(普遍性の条件)を開く。

◇感想

 「現実とは何か」という問いを巡り、数学の圏論と哲学の現象学それぞれ専門家二人の対話による思索の軌跡。

 敢えて分類するなら「認識論」ということになるでしょうが、「『圏論』圏と『現象学』圏との関手と自然変換」圏を前提に、人間の思考や学的実践等を「圏化」する試みとしても読めそうです。

 個人的には、「圏論」という数学分野そのものが「メタ数学」の一種であると同時に、「メタ哲学」の一種であるとも言えると思います。

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