ひげのおじさん

小さい頃はいとことよく遊んだ。
いとこのお父さんはガタイの良い髭の生えた大人だった。
子供ながらなんて呼んでいいか分からず「ひげのおじさん」と呼んでいた。

たしか小学生高学年くらいの時だったと思う。
父親から「いい加減○○(いとこ)のお父さんのこと”ひげのおじさん”って呼ぶのやめなさい。」

子供ながら衝撃だった。
ひげのおじさんって呼んではいけない呼び方だったのかと。

優しく話していてくれていたあのガタイの良いいとこのオヤジは「なんで俺がひげのおじさんって呼ばれないけないんだ!」と内心思っていたのかと。

すごく申し訳なさがこみ上げてきたと同時に
知らず知らずで罪を重ねてきた罪悪感
そしてそれはもう取り返しがつかないという現実

それから10年以上たった今、私は髭を生やして生活している

そして10年以上前の自分に教えてあげたい。

別に子供から”ひげのおじさん”と呼ばれても悪い気はしないということを。

考えてみろ。おさるのジョージでも中年男性を”黄色い帽子のおじさん”と呼んでいるじゃないか。

なんなら黄色い帽子のおじさんと呼ばれることで黄色い帽子しか被れない状況を生んで苦しめていることの方が罪深いじゃないか

ときには青い帽子のおじさん、赤い帽子のおじさんにもなりたいはずだ。
それが人間に与えられた娯楽ファッションなのだから。

髭を生やすなんてものは怠惰が生んだアイデアだ。髭縛りの人生でも苦しくない。

それを10数年たてば分かる。

そしてもう1つ大事なこと知る。

いとこの親と言えど、嫁のの姉妹の夫。その関係性がそこまで近くないということだ。

我が子が人の旦那を”ひげのおじさん”と呼ぶことを黙認していることの違和感。
かと言って了承を得て呼ぶような呼称でもない。
だから”ひげのおじさん”を封印するのである。

これを大人は”大人の事情”という。

そして10数年後その意味を知る。

この出来事の点と点がつながった今、私は大人になったといえるだろう。







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