第五章の37◎記紀は日本のダビンチコード
古事記及び日本書紀は、もともとは聖徳太子の命に始まったと考えられています。
唐からの迫害から逃れる為にヤハウェを天照大神に改竄する為のものなのです。
そして唐に対してダビデ、イエスキリストの血統を隠し万世一系を守り抜く事が最大の目的であったと考えられるのです。
その為に日本の出雲族すなわちユダ族蘇我氏とエフライム族物部氏の歴史を完全に隠ぺいする目的で書かれた書であると私は推測をしています。
したがって「記紀」では、蘇我氏、物部氏は滅亡してしまった事になっているのです。
聖徳太子は言語では、あえて漢字を導入する事でそれまでの歴史書を完全に焚書、消滅させて、全てを隠し通すことを試みたのだと考えられます。
欧米のキリスト教関係者が聞いたら、飛び上がるほどにびっくりする情報ではありますが、調べれば調べるほど真実味を帯びて来ているのです。
もしも、伊勢神宮に奉納されていると言われる三種の神器が公開される事になれば、全てが本当の事実として認められる事になるのです。
そして、記紀の陰の編者で有ると言われている藤原不比等の出自については、中臣鎌足に養子として預けられた、本当は則天武后の子で有ると言う、大胆な仮説を提示させてもらいたいのです。
つまりは、秦の始皇帝の血を引くレビ族の皇子であったという事なのです。
藤原不比等の使命は、まさにカバラの奥義を使い「堂々と隠す」事であったのです。
その為、古事記や日本書紀において日本の歴史を完全に覆い隠し、自らの出自をも覆い隠してしまったのです。
カバラは、日本では聖徳太子が始めたと言われており、その後は天武天皇、藤原不比等、秦氏、そして安倍晴明の陰陽道へと繋がって行くのです。
そんな事から、藤原不比等に関しては未だに墳墓すらはっきりしていないのです。しかしながら私は、客観的な状況証拠から推測し、しかも平城京と近江を全て見下ろす事が出来る若草山頂上の鶯塚古墳こそが藤原不比等の墓であるとの仮説を立てています。
この地は、秦王国の重要地であったのですが、和邇氏、土師氏、羽田氏、宇治氏が藤原氏に簡単に領地を提供した事からも、不比等は彼らを動かせる強い立場であったと考えるのが自然なのです。
私にとっては、堂々と隠すカバラの奥義、若草山独特の山焼きの行事が逆に、なんとも白々しく感じられるのです。幼児の頃に、若草山の斜面から全力で駆けるように転がり落ちてしまった経験を持つ私にとっては、体全体でそのような威厳を誇示するエネルギーを思い知らされたからなのです。
万葉集の額田王の歌で「三輪山を しかも隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや」という歌が有り、この歌の解釈は、三輪山が雲で隠れて寂しい気持ちを唄っているという事なのです。しかし私には、カバラで封印された出雲族に同情を寄せている気持ちを表しているようにしか思えないのです。
これらの「隠す(ステルス)」戦略はロスチャイルド財閥やロックフェラー財閥やイルミナリティとも共通してちます。一般的には、「隠さなければならない」事は、たいてい「悪い事」なのですが、カバラの場合には「隠す為」にわざと堂々と「見せて」隠す「灯台下暗し」の方法を使うのです。
藤原不比等は、日本を乗っ取る為に「日本書紀」を改編し、日本国家の権威と天皇家の正統性を主張したかったに違いありません。ですから、カバラの奥義で隠したかった事は、
第一に、元々日本に住んでいた縄文人(蝦夷)の歴史を完全に封印してしまった事。
また第二に、徐福と伴に日本へやって来た、葛城・蘇我・物部氏が出雲族として大きな権力を持ち、大和地方から西日本を納めていた事。
そして唐・新羅合同軍と協力し、中臣氏(藤原氏)が中大兄を騙して「乙巳の変」というクーデターを起こし、蘇我氏を滅亡させたこと。また中大兄を追い込み、壬申の乱では唐・新羅合同軍の天武天皇が日本を乗っ取ってしまった事。
そして伽耶や新羅を中心とする朝鮮半島での歴史を拝借し日本史を書き直してしまった事。
ですから、天皇家の血筋が万世一系では無い事はいとも明らかなのです。
しかしながら、女系で天皇家を乗っ取る為に、男系の万世一系というシステムを捏造したのだと考えます。
そして、日本の天皇家や主要豪族が全て騎馬民族の渡来人で有った事。
天武天皇の命により編纂された日本書紀にすら、天武天皇の出自が書いていない事からも、天武天皇自身が渡来人であったことは明白だからなのです。
中臣鎌足は、天智天皇を助けた人物だと我々は学校で教わって来ましたが、その次男とされている藤原不比等は明らかに唐側の人間と考えられるのです。
不比等は、唐の李氏皇族と武族の血を引いている可能性が有り、出世するにふさわしい血統の持ち主だと言えるのです。とんとん拍子で出世出来たのは、血筋が良かった証拠だからなのです。
また藤原氏神を祭る鹿島神宮、春日神社は扶余族の鹿をトーテムにしています。
日本書紀の中で「乙巳の変」に至る蹴鞠出会いエピソードの例を見ても、朝鮮半島の金春秋、金庾信の歴史を投影している事は明らかです。また中臣鎌足が金庾信に船を贈っている事からも、金管伽耶出身の金庾信と強い繋がりがあったと考えるのが自然なのです。
韓流の歴史ドラマ「大王の夢」を見ると、金春秋は日本に来て中大兄皇子や中臣鎌足と会っており、百済のケベクとも会っている演出がなされていました。
そして、中大兄皇子が蘇我入鹿を直接殺害したとの解釈をしていました。
金一族も扶余族、女真族との関係が深いから金管加羅に近いのかもしれません。
となれば、邪馬台国の卑弥呼も同族なのかも知れません。
不思議な事に、日本書紀には卑弥呼や邪馬台国の記述が全く無いのです。
徐福「出雲族」の歴史を抹殺したと考えれば、辻褄が合うというのが、私の考え方です。この時代には、隋、唐、百済は任那も新羅も同族の扶余系でなければ国王と認めなかった時代でもあったからなのです。
天武天皇が、関係の深い唐の李世民と則天武后の子どもを人質として預かり、密約を交わしたのです。
藤原氏が継承したと言われている道教寺院には、則天武后が日本で皇帝との子供を生んだという伝説が残されているらしいのです。
新羅と協力して物部氏、蘇我氏、大伴皇子を潰し、仏教を使って日本を征服したと考えると、なるほど辻褄が合う点が多いのです。
藤原氏一族は、遣唐使や歴史編纂の責任一族であり、唐との繋がりがとても強く、また藤原不比等の妹が唐の高宗に嫁いだ事が能の「海人」では密かに伝承されているのですが、妹では無く母が嫁いでいた事を知らせる為のカバラだったのかもしれません。
藤原不比等の全盛期である聖武天皇の時代以来、唐や仏教の影響が著しく強くなります。また、遣唐使で藤原家が頻繁に行き来しています。
藤原鎌足は、長男の定恵を唐に派遣し仏門に入れるほど熱心に唐の繋がりと、文化の導入を試みたのでした。
藤原一族は明治以降には、伊勢神宮の天照大神を最高神とし、「国家神道」を操りました。そして、最後の藤原氏が近衛文麿元首相であったのです。
共産主義に洗脳されて、日米対戦を決定的にした張本人なのです。日本を共産主義化しようとし、「日米対決を決定的にして内閣を去った」。日本を破滅の直前まで引っ張ってしまった男なのです。
そしてゾルゲ事件やヴェノナ文書で、その事実が明らかにされてしまったのです。
日本人はそれらの教訓に学び、コミンテルの「共産主義」が諸悪の根源であった事を忘れないで欲しいのです。また、歴史的に藤原氏が、日本の歴史を大きく揺り動かしてきた「くせ者」である事も忘れないで欲しいのです。
最後に勝ち残った百済系大和朝廷族の親衛隊からのし上がった戦闘要員の中から平氏が生まれ、高句麗から落ち伸びた戦闘集団の中から坂東武者が生まれ、新羅の落ち伸び花朗集団の中から源氏が生まれたらしいのです。
藤原氏は、女系氏族のようです。「万世一系」と男系を主流とする一方で、女系で天下を収めたのです。
女系と言うのは、もともと騎馬民族の風習です。
商人がのれんを引き継ぐのに「婿入り養子」を取るのも、騎馬民族の名残という事が出来るのかもしれません。藤原氏は、女系で南朝百済系の皇室と北朝新羅系の皇室両方に関わって来た経緯から、南朝の藤原式家、北朝の藤原五摂家に分けられることがあります。
女系から見ると同族となるが、男系から見ると敵対氏族となってしまう悩ましい状況なのです。
もともと、百済、藤原、新羅系同士が混血を重ねて来た経緯もあるのです。
藤原氏が政敵を倒して来た手口は実に汚いのです。
①陥れたい勢力の最重要人物をターゲットとする。
②陥れたい勢力の同じ仲間の中から反逆分子をスパイにして裏取引する。
③重要人物を毒殺した後に、スパイに約束通りの恩賞を与え重要なポストを与える。
④ある程度時間が経ったら、そのスパイを処分し一族を全滅させる。
⑤これらを次々に繰り返して、手を汚さずに自分の思い通りにする。
⑥天武天皇の側室に自分の子をはらませ、直接天皇家を乗っ取ろうとする。
日本人は、古事記と日本書紀に騙されてはならないのです。
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