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第七章の62◎寺子屋と藩校こそが世界一の教育だった

 江戸時代に最も優れた制度は、なんと言っても「寺子屋」「藩校」といった教育制度でした。
江戸時代の識字率は、簡単な読み書きに限って言えば70%を超えており、世界断トツ首位のレベルに達していたと言われています。
 その流れを引き継いで、現代の日本の教育においても、私塾が日本の教育を支えていると言って良い状況なのです。
1883年に文部省が実施した、『日本教育史資料』による開業数の統計では、全国に16560軒もの寺子屋があったといい、藩校が270校、郷学118、私塾が1076も存在していたのです。
寺子屋の教育は「読み書き算盤」と呼ばれる基礎的な読み方・習字・算数の習得に始まり、さらに地理・人名・書簡の作成法など、実生活に必要とされる要素の教育が行われました。
 教材には『庭訓往来』『商売往来』『百姓往来』など往復書簡の書式をまとめた往来物のほか、漢字を学ぶ『千字文』、人名が列挙された『名頭』『苗字尽』、地名・地理を学ぶ『国尽』『町村尽』、『四書五経』『六諭衍義』などの儒学書、『国史略』『十八史略』などの歴史書、『唐詩選』『百人一首』『徒然草』などの古典が用いられたそうです。
 その理由は江戸時代にも、より良い生活をするためには、教育が必要だったからなのです。
例えば、商人は帳面付けが出来なければ手代や番頭にはなれません。
職人は、図面や計算が出来なければ職人の棟梁にはなれなれませんでした。
農民も、リーダーになるには文書作成、その他多くの実際的知識が必要だったからなのです。
 教育を受けていなければ、最下級の人足と呼ばれた日雇い労働者以外の職にはつけなかったのです。
 そして、寺子屋教育の最も素晴らしかったポイントは、少数精鋭で先生と生徒が向き合い対話形式で講義が進められた事なのです。
「人生の師」として、教師が「生き方」を教え、人間そのものを育てる「人間教育」の場であったことなのです。師弟制度のように、生徒が尊敬する先生から直接手ほどきを受けて成長して行くシステムだったのです。
 ですから、この師弟関係は一生に渡り継続して行き、家族関係に近いような深い繋がりとなっていたのです。
現代教育に掛けている部分は「生き方」を教える、まさにこの「人間教育」の部分だからなのです。
そして、奮闘している全国の私塾や学習塾も、ペーパーテストの為の教育に重点を取られており、「人間教育」の部分が、如何してもおざなりとなってしまっているのが実情なのです。
 最近では、日本政府もやっと重い腰を上げ、中央教育審議会が文部科学省に答申した大学入試制度改革を進めていますが、中々上手く行っておりません。
 その目的は「受け身型」の教育から「発信型」を育てる教育にシフトして行こうと言う姿勢なのです。
 現在の世の中は、インターネットを活用した第4次産業から、5Gやブロックチェーン技術を活用する第5次産業に移行している最中なのですが、移行するには「発信型」で有ることが必須条件となるからなのです。
ですから私も、100年に一度の教育改革と言っても良い積極的な方向転換だと評価していたのです。
 ただし問題は、本物の「人間教育」を出来る「発信型」の教師が、日本国内でどの位育って来るかという事になるのです。ですから個人的には、甚だ懐疑的な見解となってしまうのです。
そして、義務教育(公務員)の先生だけでは、この「本物教育」をやりきる事は難しいと考えるのです。
 ですから、民間の私塾の先生達や企業を引退した国際的な社会経験が豊富な方々に、ボランティアとして寺子屋の師匠的な働きを担って頂く事で、江戸時代の「寺子屋教育」を是非とも現代の日本に復活させて欲しいと、切に希望しているのです。
 今後の私塾の使命を考えると、公立学校で実現できない部分の教育を、公立学校とは全く別の方法で実現して行くべきだと考えているのです。
   残念ながら現在の日本で、公立の学校はまともな「発信型」教育が出来ていないからなのです。
 これは、21世紀の5G、6G時代の日本を支えて行けるだけの教育かどうかでの基準判断だからなのです。
現在の公立学校教育では、30名以上の生徒に対して一斉に講義をするのですから、一人一人との対話をする
チャンスが少ないのが現実であり、無理もない状況なのかもしれません。
   例えば、欧米式教育の場合には、たとえ30名以上のクラスでも、出来るだけ生徒との対話を増やすように、生徒との質問回答のキャチボール中心の授業が展開されているのです。
しかしながら、日本の教師にはそのような教育指導法は教えられておらず、問答型の授業を実現する事が困難となっているのです。生徒達はTVを視たり、落語家の話を聞くがごとく、ひたすら黙って、先生の話に耳を傾けるだけだからなのです。
 そして、先生の言う事は100%正しく、それに対して反対の意見や感想を述べたり、先生に食い下がって質問をしては決していけない仕組みになっているのです。
 私は、これらの授業が当たり前だと考えている日本人に対して、まずは洗脳を解くことから始める事が、我々私塾で教えている者達の使命だと考えています。
 残念ながら、現在の公立の学校教育では、本当のことを教えられていません。
そして、学校で育てられているエリート像は、政府や官僚組織の都合の良いように黙って黙々と作業をこなす、イエスマンを輩出する為の、洗脳教育の現場と化してしまっているのではないでしょうか。
 ですから、私塾が公立学校に代わって本当の事を教えて行かなければならないと考えるのです。
政府や官僚には、本当に優秀な人材が送り込まれている筈なのですが、ひとたび硬直した組織の一員となるや、型にはまってしまい、蛸壺型の組織内で身動きすら出来なくなってしまうからなのです。
 1980年代に、日本に巨額の財政赤字をもたらした国鉄、健康保険、米(生産者米価)の3つを3Kと称していましたが、これらも硬直した官僚型組織による弊害だったのです。その後の国鉄は、民間会社のJRとなり、見事に活力を復活させた事からも明らかなように、大切な事ほど、国家に任せていては行けないのかもしれません。
賢明な親であれば、今の公立学校の閉塞感が決して子供にとってプラスとなっていない事は、解っている筈なのです。一方では、お金や時間や手間が掛かる事を、避けてしまう両親が増えてしまい、見て見ぬ振りをしているか、全く反対の現象として、モンススターペアレントとして、テロリストのように教師を貶める行為を平気で繰り返しているのです。だからこそ、我々の様な私塾の教師にとっては、硬直した国家の政策に惑わされる事無く、ただひたすら、若き子ども達の成長と、その子たちが新しい日本へと変革し、将来の素晴らしい日本を創り上げ、国家貢献する事を期待するばかりなのです。
 日本を愛する国民が、ひとりでも多くこの事に気が付いて、洗脳から抜け出して、受身型から発信型へと立場を変えて、一緒に日本人の教育に協力して貰える事を期待して止まないのです。

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