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図書館だよりNo.1

こちらはあしあとの図書館として本の貸し出しを行っていた時に書いた活動についてのもので、現在は活動方針を変え、個人的な本に纏わる創作活動のことをあしあとの図書館と呼んでいます。当分オンライン上での貸出は行ません。


去年からカキコミが自由にできる図書館をやってきましたが、今年度からは新たな活動として図書館だよりを作ることにしました。実際に会える人には既に印刷したものを渡していますが、せっかくなのでネットにも上げようと思います。だだ配布してるものをそのまま載せても読みにくそうなので、noteの記事として上げることにしました。内容はフィジカルと同じものです。

創刊記念インタビュー前編

司書「今回は図書館だより創刊ということで館長インタビューをしていこう思います。よろしくお願いします。」

館長「よろしく。」

司書「では自己紹介をお願いします。」

館長「はい、濵田大史です。カキコミができる図書館の館長やってます。30歳です。去年仕事を辞めたタイミングで活動を始めました。」

司書「ありがとうございます。では図書館だよりを作ろうと思ったきっかけを教えてください。」

館長「そうだな。基本的に僕はパロディとかメタっぽいものが好きなのよ。いろんな図書館が図書館だよりを作ってると思うけど、それに乗っかりながらなんか変なことできないかなぁというのがきっかけかな。あとは活動報告する場所を持ったり、活動してるふりするのにもいいと思って。」

司書「ふりですか笑」

館長「ふりは大事だよ。飽き性なんでその時々で力の入れ方がどうしてもまちまちになるんだけど、活動自体はずるずると続けてやろうと思ってて、そのためにコンスタントにこうしてお便りをつくろうと思って。まあ目標を達成したらやめるつもりだけど。」

司書「えっ?図書館をですか??」

館長「うん。ちゃんと終わりは作ろうと思ってて。考え方としては、MCUで言えばフェーズ1.2.3みたいな感じ。一旦目的が達成されたらフェーズ終了で、また次思いついたら再開するみたいな。」

司書「なるほど、区切りをつけるんですね。」

館長「そうそう、ダラダラ続ける気はあるけど飽き性だから、続ける可能性を持ちながらある程度で終わらせられる状態にもしとこうと、個人的にはそういうやり方がいいんじゃないかと」

司書「ではそのフェーズ1?の目標は何なんですか?」

館長「100人に本を貸すこと。10人に貸して、それを知り合いの知り合いの知り合いって感じで10人に回してもらう。見える範囲内で繋げていこうと思ってる。」

司書「初めはインターネットを使って誰でもみたいな感じでしたよね。」

館長「ネットも使うんだけど、でもそんな連絡もこないし。こういうのって借り手が増えてからの方が面白いし、あと普通に知らない人から本借りないよね笑。」

司書「面白そうだと思ってくれる人もいるかもしれないけど、面白くなるまでは時間がかかるし、参加するハードルも高いかもしれないですね。」

館長「だからこれまで参加してくれた人も昔からの友達かリアルで会った人、あとはその知り合い。だったら友達に頼んで見える範囲で回してもらえばいいじゃんって思って。あとはコミュニケーションめんどくさいし笑」

司書「新しい人と連絡とるのがですか?」

館長「そう。知り合いの知り合いくらいならある程度関わり方もコントロールできると思って。ネットで募って、その人と連絡とってみたいなものって僕にとっては消費カロリーが高すぎる。でもそこで借りてもらって返してもらってだけでも面白くないとも思うし。」

司書「コミュニケーションは面倒くさいけど、全くないというのも面白くないということですか」

館長「その辺のバランスをうまくコントロールできたらと思う。」

司書「何かやってても1人では限界ありますし、でも人が増えて大変なこともありますよね。」

館長「そこは難しいよね。例えば図書館だよりで活動報告するとして、そうすれば仕事として人に会ったりコミュニケーションをとれるから、関係性のコントロールもしやすい。友達100人できるかなじゃなくて、知人?知り合い??友達じゃない適度な距離の人を作るみたいな。」

司書「別に仲良くなってたくさん友達が欲しいとかではないけど、人と関わることで面白いことが起こればいいなぁということですね。」

館長「そんな感じかな。これから図書館という活動を使っていろんな実験ができればいいなあと思う。図書館だよりで文章を書くとかも実験だし。あとはフェーズ?シーズン?で区切りながら、別のこともやっていく、お金も稼ぎたいかな。」

司書「お金も難しい問題ですね。」

館長「図書館はあくまで図書館だからそれ自体でお金になるような活動はないけど、人に繋げていく活動ってことは大きく見ればそれも経済活動と言えるわけで、そういう活動の仕方でどうやったらお金を稼げるかも考えていきたいかな。生きるのにお金はある程度必要だからね。」

→次号に続く。

新着図書

 本を読むことは難しい。棚から取り出しページを開くことは億劫だし、人の書いた文章を読み解いていくのは簡単なことではない。さらにこの本では「再読」まで薦めてくる。新しい経験は刺激的だが、再読のような繰り返された体験には新鮮味がなく面倒に感じる人も多いだろう。では何のために再読をするのだろうか?
 先月ミステリー小説『殺戮にいたる病』を読んだ。我孫子武丸による本格ミステリーを代表する一作で物語は犯人、犯人を追う元警察、被害者といった様々なキャラクターの視点から代わる代わる描かれていく。犯人パートでは殺人のシーンが細かく描かれ目を背けたくなるような刺激の強い描写も沢山ある。
 3月には大阪でお笑い芸人Aマッソのライブ『滑稽』を見た。これは一生忘れられないような体験をさせてくれる刺激的なエンタメ作品で、舞台と客席というラインを超えて安全だと思っている私達を巻き込むような危険なライブだった。配信も行っていたが客席で感じるような危機感は決して家で味わうことはできないだろう。
 これらはどちらも新鮮で刺激的な体験ができる作品だが、それは作品を面白く見せるための演出であり本質ではない。このような作品を語る時、人は安易に刺激的な部分を作品そのもののように語りがちだ。しかし先の作品を少し距離を置いて見てみると『殺戮にいたる病』は叙述トリックを使ったミステリー小説であり読者に対して様々なミスリードをするための工夫がされていることが見えてくるだろう。『滑稽』はよくあるお笑いライブの流れを汲みながらもそれ自体をパロディにし、さらに笑うこと笑われることについて改めて考えさせるようなメタ的作品になっていることが分かる。この本では再読の際意識するものとして「フラットに読む」ことを挙げている。読み直す、見直すことで作品から少し距離を取ると怖い、面白い、グロい、エロいといった刺激的なものとは違う側面が見えてくるのである。
 コスパ、タイパといった言葉がCMに使われ短い時間で必要なものだけが求められたり、考えなくても理解でき手軽に刺激が得られるものが求められたり、社会がどんどんと窮屈になっているように感じる。しかしそこから離れフラットに時間をかけて考えるということを大切にすることで多角的な方向から物事を見ることができる。そしてその第一歩が「再読」ではないだろうか。

館長日誌

 胃の調子が悪くなったのはもう2年も前で、薬をもらっていた時期もあるのだけれど、結局原因は分からず、病院に通っては少し落ち着くとやめて、また気になると別の病院に通い薬を飲んではやめるということを繰り返していた。昔から心配性で小さなことですぐに不安になってしまうのだが、他人に相談することが苦手で自分の中で大丈夫大丈夫と言い聞かせては強がって生きてきた。コロナウイルスが流行して何年経つだろか。2回の感染で健康について考えることが増え、気になるところがあれば早めに病院に行ききちんと相談しようと決めた。
 少し前からまた胃の調子が悪くなり徐々に不安を感じるようになったので新しい病院を探すことにした。これまでは評判の良い病院を探していたが、今回はあまり考えず近くにある消化器内科を選ぶことにした。インターネットで予約をして、病院に行くとすぐに胃カメラを勧められた。それまでは薬物治療で様子を見てきたが、きちんと検査をした方が気持ちも楽になるのではないかと考えていたし、絶対にしたいかと言われればカメラを呑むことにも不安はあったので、問診票の胃カメラ希望の欄には希望するに丸をつけず隣の要相談に丸をして提出することにしたのだが、すぐに検査をする流れになり少し安心した。でももし大きな病気が見つかったら、と考えるとまた不安にもなるのだった。
 検査当日、治療室に通されるとまず胃を洗浄するためだと言われ白濁の液体を飲まされた。得体の知れないものを飲めと渡されるのはなかなか怖いもので少し躊躇もしたが、恐る恐る口に含み飲み込んだ。次に苦いゼリー状のものを3分か5分くらい口に含まされた。喉の麻酔のようなものらしく、それがうまく効かなかったことを考えると不安なので上を向いて少しでも奥の方にゼリーを流し込んできちんと麻酔がかかるように我慢した。時間になりゼリーを吐き出したが少しだけ喉に違和感を感じるくらいできちんと効いているのか分からなかった。そこからしばらく横になり先生を待っていると、じわじわとその違和感が広がり喉周りの感覚がなくなっていく。そして先生がやって来ると、何やら機械の設定をして検査が始まった。
 胃カメラを持ちこちらに向ける。ホースのようなもので先端にカメラがついておりピカピカとライトも光っている。ライトが顔に当たり、眩しい。そのままホースは口の中に入れ、喉まで来ると「呑んでください」と言われた。私はゴクンとそれを飲み込む。そして地獄のような時間が始まる。麻酔が効いてるとは言っても喉の異物感は強烈で耐えられずえずいてしまう。しかしそれでは奥に入って行かないのでゆっくり呼吸して我慢するように注意を受ける。深く深呼吸をしながら看護師に「大丈夫だよ」とさすられとにかく耐える。チューブが入っていくとどんどんと胃の中が満たされるような感覚になってくる。呼吸には段々と慣れ、えずくことは減っていく。そこで先生はもう半分終わったよと励ますように教えてくれた。「もう」ではなく「まだ」半分しか終わっていなことに私は絶望する。慣れてきたとはいえ、早く終わって欲しい気持ちは変わらない。なんとか耐え検査を終えた。気づくと涙と涎でベトベトになっていた。口を濯いでくださいと洗面台に通され、その際看護師に何か注意を受けた。ただ疲れ切った体にははっきりと言葉は入ってこない。コップを持ちうがいをしようと頭を傾けたが、先ほどの注意はうがいをしてはいけないというものだったようですぐに止められる。すみませんと頭を下げ、口を濯ぐと待合室に戻り、もう一生胃カメラはしたくないと思うのだった。

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