無くなれない日々 (10)2019.12.6〜
12月6日(金)。昨日は酔い方が悪く、日本が滅亡するような心地がして、日記に出鱈目なことを書いてしまった。滅亡したっていいじゃないか。この国も、けっこう長い間、頑張ってきたのではないだろうか。
12月7日(土)。平安時代の日本では釈迦入滅の2000年後から始まる「末法」は1052年からと信じられたそうだが、実際のところは、釈迦入滅は紀元前4世紀後半のどこかなのだろう。であれば、その1000年後からとされる「像法」の時代はムハンマドが神の啓示を受けて始まり(610年)、さらにその1000年後からとされる「末法」の時代はガリレイが宇宙の深淵を垣間見て、ケプラーが宇宙の法則をわずかに見出して始まった(ガリレイは1609年に望遠鏡を宇宙に向け、翌年に木星の衛星を発見して『星界の報告』を著している。ケプラーは1609年に惑星の楕円軌道と運行の法則を説明する「ケプラーの法則」を世に出している)。・・・そんな思考的遊び。
12月8日(日)。遊びを続けよう。ムハンマドから「像法」、近代科学が始まってから「末法」、という遊びの続きだ。・・・『サピエンス全史』を悲観的に曲解すれば、サピエンスは約7万年前に想像力を手に入れ身の程を弁えない動物になり、農耕や牧畜を始め、金属や文字、国家や貨幣などといった身の程知らずな道具を手に入れ、空前の繁栄と深刻な不幸を手に入れた、ということになるだろう。・・・その苦しみの世にあって、釈迦は自らの「悟り」を通じて苦しみから逃れる道を示したはずだったが、その感覚は忘れられて行った。ムハンマドはその道を、全知全能の神の思し召しというわかりやすい形で人々に説いたはずだが、それもまた衰えた。自ら悟って切り開くこともできなくなり、神を介して切り開くこともできなくなったサピエンスは、「科学」なるもので道を切り開こうとする。これが「末法」だ。・・・末法だからいけない、というのではない。どうせサピエンスは最後の華々しい打ち上げ花火のごとく人口増加と技術革新をして散っていくのだ。末法なら末法らしく、末法の中でいくらかマシに生きる道を探すよりほかはあるまい。
12月9日(月)。ムスリムはムハンマドが最後の預言者だと言う。私はムスリムではないが、それにしても、ムハンマドの後に、彼を超えるほどの影響力を持つ宗教・思想家が出るとは思えない。ついでに彼は政治家としても屈指の才能を発揮した。マルクスに、レーニンのごとき政治力があり、かつ、共産主義がイスラームに匹敵する広がりをこれから見せたとしたら、ようやくムハンマドと比較するに値するのかもしれない。今、共産主義は衰亡あるいは雌伏の時期にあるが、今後どうなっていくのか。
12月10日(火)。部屋がとても汚くなってきた。