無くなれない日々 (21)2020年2月下旬

新型コロナウイルスの感染拡大によって、これから日本においてもますます多くの犠牲が出るとしたら、それが最悪のシナリオであるのは言うまでもない。

一方、新型コロナウイルスの感染が、意外と大したことなかったとしたら、あるいは、多くの人たちの努力で被害を少なくできたとしたら、素晴らしいことだ。しかし、あの首相は、それを自らの手柄として支持を拡大して、ますます強権で傲慢になるのだろう。

そして、それを批判する野党、リベラル、護憲派などは、新型コロナウイルスの時も「桜」ばかりだったじゃないか、批判ばかりで何もしなかったじゃないか、とフェイク情報を塗りたくられる。そういった言葉がネットで自民党ネットサポーターズの皆さんの尽力のもとで大いに拡散されて、多くの"いいね"を得る。そんな未来があるのだろう。

そういえば、2月24日に、作家の百田尚樹氏が、Twitterに「保守論客の中には、官邸から仕事をもらったり、選挙のたびに応援演説に行き少なくない謝礼をもらったりしている人がいる」と呟いていた。普通なら問題になるのだろうが、きっと、野党やリベラルがこれを批判しても、「今はそんなことを議論している場合じゃないのに」「リベラルは人命より首相揚げ足取りに興味があるらしい」みたいな言葉の大合唱にかき消されていくのだろう。

そういえば、リベラルから人気の望月衣塑子記者が言っていた。安倍首相の「学習しない強さ」について。望月記者曰く、「学習しないということは、ある意味、無敵。言い換えると、『1+1=2だ』と言われても、『いや、3だ』と言い続けられる強さです」とのことだ(FLASH 3月1日配信)。

違う。『1+1=2だ』と言われても、『いや、3だ』と言い続ければ、アベはバカだバカだのリベラルの大合唱が起き、リベラルはますますバラモン左翼っぷりを増していき、民心から離れていく。安倍首相はそれを学習したのに、リベラルはそれを学習できていない。

安倍首相が「学習しない」のは強みになるが、リベラルが「学習しない」のは弱みにしかならない。学習するかどうかを尺度にしているリベラルが学習せずに、学習するかどうかを尺度にしていない安倍首相が学習しないことを一生懸命責めても、何にもならないだろう。

じゃあどうすれば良いのかって?

知りません。どうにでもなればいい。どこまでも安倍政権に任せてみたら、どうなるのか。ぜひ、最後まで見届けたいと思う。

おやすみなさい。