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神田古本まつりを歩く

 2022年は十月末から月をまたいで文化の日まで、神田神保町では第62回神田古本まつりが催されている。
 例年秋に開催されていたものの2019年を最後に取り止められていたところが、今年三月の特別開催を経て三年ぶりとなる。青空の下に靖国通りを何百メートルにも亘って古書の棚が連なるさまは、何度みても壮観だ。この時期ばかりは神保町も祭りの賑わいで、よく知っているはずの街が見知らぬ様相を見せる。ひさしぶりの催しに私も舞いあがって、休みをとって初日から見て回った。

 神田古本まつりの日も、いつもとかわらず電車に乗って神保町駅に向かう。神保町駅を使うときは靖国通りと白山通りの交差点にある宝くじ売り場のそばの出口から地上に出ることが多い。古本まつりの棚は、宝くじ売り場の出口からは靖国通りをはさんで反対側、古書店が居並ぶ南側の歩道に展開している。この地上出口を使っているのはただの習慣であるものの、古本まつりの日においては、人波に呑まれるでなくまずは対岸の様子を眺められるので助かる。
 宝くじ売り場の出口あたりの対岸は、現在はなまるうどんがあるが、十年くらい前までは「うみ」という回転寿司があった。当時のひとは古書店をのぞく合間に寿司をつまんでいたのだろうか。いかにも風情があるように思えてうらやましい。

 神田古本まつりでは、各古書店に棚が割り振られて古本をならべている。東は神田小川町方面に三省堂書店神保町本店前まで、西は九段下方面に漢籍や印譜など中国関係の書籍を取り扱う山本書店まで、古書の棚が五百メートルは延びている。かつては三省堂書店も古本まつりの時期には軒先で古本をならべていたが、ビル建て替えのため一時閉店となり今回は参加していないようだ(現在は神田小川町の仮店舗で営業している)。街のランドマークでもある書店の建っていた地が、今はのっぺりとした白い仮囲いに覆われている。これからしばらく、神保町に来たひとはどこで待ち合わせをするのだろうかなどと余計なことを考えてしまう。

 靖国通りと白山通りの交差点は、延々と続く古書の棚のちょうど中央にあたる。だから神保町駅から地上に出ると、小川町方面に行くか九段下方面に行くか悩んで、結局最初は小川町方面から見ることが多い。本当は九段下方面のほうが、岩波神保町ビル前の広場や路地裏にも古書の棚が展開しているので量の見応えはある。ただし神田古本まつりの期間、神保町に店舗を構える古書店はたいがい軒先に棚を置いているので、より古書店の密集している東側のほうが見知った店も多く、見知った店はならんでいるものも把握しやすい。だから小川町側の棚を端から端までざっと見て三省堂書店まで着いたら折り返し、気になった棚は改めて見逃しがないか立ち止まって確認、そのうえで交差点の信号を越えて九段下側を見ることにしている。また、神保町に店舗を構えている古書店では、露店を見た流れで実店舗を見る導線が自然と形成されている。店舗を見る客がいるということは、外もすこし余裕がでる。古本まつりでは、そのようにしてふらふらと店の奥に吸いこまれていくひとをしばしば見かけるが、実店舗はいつでも覗けるものと念じて堪えている。たまに誘惑にまけることもある。

 だいぶ文章が遠回りしていて不甲斐ないが、そこで神田古本まつり初日である。初日とはいえ平日なのでのんびり見て回れるだろうと思いきや、初日から靖国通りはかなりのひとで賑わっていた。あるいは、この数年で長閑な神保町にすっかり馴れてしまっていたのかもしれない。古書店の棚配置は春の特別開催とほぼ同じようだったので、すいすいと棚を見ることができたのは勿怪の幸いだった。更に翌日、翌々日の途方もないひとの量を思い返すにつけ、初日からじっくり見て回れたのも後々になってみるとよかったと思える。

 神田古本まつりを歩いた感触でいえば、今年は例年より署名本が多かったようだ。存命の作家がここ十年単位で刊行した書籍であれば、署名本がならぶこともそうめずらしくない。ただ、たとえば名前を挙げてしまうと、阿部昭や中村真一郎など没後ひさしい戦後文学の作家の署名本がひとつの古書店といわず散見されたのは特筆すべきかもしれない。一部の署名本には共通して同じ人物への献呈署名がはいっており、どうやら岩波書店の編集者だったらしい人物に宛ててのものだったので、献呈された本人が亡くなって遺族が整理したものが流れたのかもしれない。それらが状態は芳しくないとはいっても廉価でならんでいれば、一部の好事家にとっては掘り出し物として有り難がられる。すこしうら寂しい気持ちになった。

 古書とはひとの手から手へと渡り歩くものだ。巡り巡って誰か(それは時に私であり、あなたでもある)の前に現れる。だから、新刊と遜色ない状態もそれはそれでありがたいかもしれないが、なにげなく挟まれたレシートやおよそ内容と関係のない書き込みに、私の前にそれを読んだ誰かの、あるいは書物そのものの来し方に想像をめぐらせるのも悪くない。署名はその原初的な、その書物を著した作者の痕跡であるからこそ格別に感じるのだろうか。奥付に捺された検印ひとつで嬉しくなる。

 見知らぬひと同士が肩をぶつけ、頭をつきだし、両指に紙袋の紐をくいこませたり、宝物を見つけたように胸に抱えたりしている。かれらの人生はどこかでまじわるわけでもなく、ただ本が好きである、というだけのささいな理由で、いま、こうしてひとところに居合わせている。夜になると、棚とならぶように吊り下げられた提灯がかれらの手元を照らす。古書の背を眺めていると、時折ふっと一冊と目が合うような感覚がある。かならずしも人工の光のせいだけではないだろう。古本市とは、ずっと探している目当ての本との出会いを求めるだけではなく、いわば事故のようにして、思いがけぬ出会いこそ楽しむ場と思う。

 第62回神田古本まつりで購った古書は以下の通り。

荒巻義雄『時の葦舟』(講談社文庫)
生島治郎『あの墓を掘れ』(ケイブンシャ文庫)
生島治郎『ザ・シャドウ刑事』(徳間文庫)
生島治郎『報酬か死か』(徳間文庫)
池内紀『ぼくのドイツ文学講義』(岩波新書)
石原吉郎『望郷と海』(ちくま文庫)
色川武大『あちゃらかぱいッ』(文春文庫)
大井廣介『紙上殺人現場 からくちミステリ年評』(現代教養文庫)
葛西善蔵/阿部昭編『葛西善蔵随想集』(福武文庫)
耕治人『うずまき』(河出書房新社)
後藤明生『思い川』(講談社文庫)
後藤明生『行き帰り』(中公文庫)
島尾敏雄『贗学生』(講談社文芸文庫)
白石かずこ『可愛い男たちと可愛い女たち―わたしの映画飛行―』(旺文社文庫)
高橋英夫『友情の文学誌』(岩波新書)
田島莉茉子『野球殺人事件』(深夜叢書社)
寺山修司『寺山修司俳句全集・増補改訂版』(あんず堂)
蓮實重彦『物語批判序説』(中公文庫)
正岡子規『松蘿玉液』(岩波文庫)
吉行淳之介/山本容朗編『自家謹製 小説読本』(集英社文庫)
ジョン・ヴァーリイ『ブルー・シャンペン』(ハヤカワ文庫SF)
アレッホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』(サンリオSF文庫)
ロジャー・ゼラズニイ『砂のなかの扉』(ハヤカワ文庫SF)
ヘンリー・ミラー『暗い春』(福武文庫)
マーガレット・ミラー『鉄の門』(ハヤカワ文庫M)
長島良三編『贈り物 クリスマス・ストーリー集1』(角川文庫)

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