千束さんのどこが好きかを語りたい

 リコリス・リコイルという作品において、錦木千束とは、卓越した洞察力で相手の射撃タイミングと射線を読む。しかし、卓越しているのは洞察力と視力だけでなく、その人間性においても同様です。そもそも千束は放送初回の時点のインパクトからして、視聴者の目を引く存在であったことは間違いありません。綺麗なスタイル、顔、かわいらしい声をもちながら、どんなときもブレずに明るくふるまう姿を見ると、皆の心の中に隠れたモヤモヤのようなものが、ふっと軽くなっていくのを感じた人は多かったのではないでしょうか?僕も初めの方で既に、かなり千束にやられてしまっていました。思い返すと、三話の時点で(千束とたきながDAに戻ったときの話です)もうこのアニメでの推しは千束だな~と決まっていたものです。千束がリコリス皆が果たしている業務やみんなが持っている価値観にとらわれず、自分のやりたい仕事を心から楽しそうにこなしている姿が大好きだったんだと思います。町の人たちを助ける、というある意味リコリスの活動としては狭い範囲での仕事を選んでいるのもお気に入りポイントでした。自分の生きる場所を身近に見つけ出せるのは素晴らしいことです。そんなお気に入りポイントがあっても、序盤はやはり序盤です。彼女の背景が分かるとさらなる沼に引きずり込まれることになります。(ここからは解釈バリバリになるので他人の解釈見るの苦手な人はここから読むの控えてくださいね。このnoteはあくまで僕自身の語りたい欲を満たす自己満の文章だと思ってもらえるとありがたいです)
 
 作中で徐々に明らかにされてきたように、千束は先天性の心臓疾患からはなんとか生きながらることができたものの、結局のところ「千束の人工心臓の寿命=千束の寿命」であり、その寿命がそう長くはないことを自覚していました。それも、人工心臓を移植された10年以上も前、幼少期からです。この事実、そして時間の長さは大きな意味を持つと思います。一般的に見ても、自分の命が限られた時間のものであると明確に意識しながら生きていくことが、人生観及び生き方を大きく捻じ曲げてしまう力を持つことは、間違いありません。このアニメの場合むしろ、死や与えられた時間に真剣に向き合ってきた、という事実によって千束の生き方や考え方がより鮮明に浮かび上がってくるように思えます。ここからは、そういった点に着目した、僕なりの千束像について、そしてそれのどこが素晴らしいかを書いていけたらと思います。

 分かりやすい話では、千束は実弾を使わない上に、怪我のケアまで行っています。一見すると聖人のような振る舞いに見えますが、実際はそうではない。千束はこの理由について「悪人に『他人の時間を奪ってしまった罪悪感』を背負わされるのは嫌だ」「よしさんに生かされてもらった時間なのにその時間を人を殺すことに使えない」と言いました。(それぞれ、ちさたきで水族館にいったシーン、旧電波塔でよしさんと対面したシーン、での発言です) 様々な思いがこの言葉の背景にはあると思います。

 そもそも、先天性の疾患により、人工心臓というある種「不自然なもの」で生かされることになった千束は、自分の寿命の短さできないことの多さに絶望しながら生きていくことよりむしろ、自分の命が「当たり前のもの」ではないことを強く自覚し、与えられた時間への感謝をもってその時間を全力で生き抜くことを選んだ、そう生きたいと思ったんだと思います。(割り切れていない絶望はあるかもしれないけど、絶望的な事実を振り切って明るく生きられるその強さは、輝かしいエネルギーだと思います)そんな千束の選択は、命のある一瞬一瞬を大事にする「やりたいこと”最”優”先”!」というスタイルに強くつながっていると思います。そんな千束にとってリコリスの業務で殺人を行い、その罪悪感を重ねて生きていくことは「やりたいこと”最”優”先”!」のとおり全力で生きていくのが難しくなることを意味するし、なにより与えられた命で他人の命を奪ってしまっていることを意味します。こう考えると、千束が非殺傷弾を使うことは当然であるとともに、死という絶望的な事実を割り切って全力で生きていく、千束の強いエネルギーとそれを支えるよしさんへの感謝の裏返しということができます。千束が実弾を使うよう強要される場面はなんどもありましたがそれを跳ね返したのは、まぎれもなく千束のエネルギーとよしさんへの感謝でした。いや、千束ほんとにすごいよこれ、、よしさんは全然素晴らしくありませんでしたが、、、

 さて、じゃあそんな「やりたいこと”最”優”先”!!!」の千束が「やりたいこと」として選んだのは何だったのか。それは「自分を必要としてくれる人に自分の記憶を刻み付けたい」というものでした。(ブロッコリー頭こと真島との決着がつく直前の場面でしたね)このわがままさ加減、、本当に良いですね。。もちろん千束の記憶が残れば残るほど、残された人は別れがつらくなる。活動自体は人助けですが、残り命が短いと分かっているのに人助けをするっていうのには結構残酷な一面があります。でも、自分がいなくなっても誰かが絶対に覚えてくれているというその事実に自分の人生の意味を預ける、これは千束の生きる活力になっていたと思います。そしてこれが残された時間での千束の「やりたいこと」だったのです。千束にも自分を覚えていてもらうことに対する罪悪感はあったかもしれない。でも、いろんなことを恐れるがあまり大事なことを見失っては絶対に後悔が残ります。だから、いろんな人を悲しませることを割り切って、わがままだけど自分のことを周りの人たちの記憶に刻み付けようとする千束の生き方は、割り切り方として本当に美しい。限られた時間でいろんなことを諦めないといけなかった千束は生きる意味をそこに預けたんだと思います。

 死に向き合う時間が長いことや、千束のもともとの性格が千束をこういう生き方にさせたのかもしれませんが、この生き方は千束だからできる、、、と片付けられる話ではないと思います。生きとし生けるものみんなに終わりが来る、だから、千束の生き方はいろんな生き方すべてに共通するものを間違いなく持っていると思います。(だからこそミカは千束の生き方を眩しく感じて、千束のためにあそこまでしたんでしょうね…うぅ…)

 千束の生き方がすごいという話は大体こんな感じです。さて、ここからは最高傑作CPと名高い「ちさたき」(千束とたきな)について書いていきたいと思います。まずはちさたきの馴れ初めについて軽くおさらいをしましょう。そもそも、たきなはDAの人間だったのに理不尽に喫茶リコリコに更迭されてしまった立場で、最初はDAに戻ることを至上命題として動いていくことを目指していました。しかし三話で司令が聞く耳を持たず、それを千束がたしなめたことをきっかけにしてたきなはリコリコでの生活になじんでいくようになり(三話で千束がたきなに向かって「たきな、今は次に進むとき。お店での時間を試してみない? それでもここがいいっていうなら戻ってくればいい。誰かの期待に応えるために悲しくなるなんてつまんないって」と言った後にちさたきがフキとサクラとの模擬戦で見事に勝利したの例のシーンは何回も見直したものです)千束とショッピングに行ったり水族館に行ったり(さかな~ ちんあなご~のやつです)、同棲生活を始めたり(同棲生活については良質な二次創作がたっくさん投稿されているのでぜひそちらもご覧ください)ちさたきはどんどん仲を深めていくことになります。

 ちさたきCPの良さは、一見クールで合理的にしか見えないたきなが、千束との仲が深まっていくといろんな一面を見せるようになる、その過程にあると思います。そもそもリコリコに先にいたのは千束なので、千束がお姉ちゃんっぽい、リードする立場にいるべきだとも思えますが、実際のところたきなは千束より頑固で合理的ですので、基本的に千束をたしなめる役割をしています。しかし、たきなはリコリコでの生活を楽しむようになり(楽しそうに笑うたきなはかわいいですよね)その過程で先ほど書いたような千束の凄さや、千束の憂いをも吹き飛ばすような明るさに触れ、千束をかけがえのない、大切な存在だと感じるようになっていったんだと思います。旧電波塔でたきなが「千束が死ぬのはいやだ…」といった例のシーンは、たきなにとっての千束という存在の大きさが痛いくらいに現れていたと思います。要するに基本的にたきなは千束をたしなめる役割ですが、たきなの千束に対する思いには尊敬の色があり、その点千束がお姉さん的な役割をしているということになります。いやそれにしても、普段は千束に対して厳しめにあたるたきなが、蓋を開けると千束にクソデカ感情をいだいているのですから、これはオタク大歓喜のCPになるのもうなずけます。またそれに加えて、たきなのパンツを買いに行ったときのように、あまりにも世間を知らず合理的に動くたきなを逆に千束がたしなめたり、リードしていったりするこれまった逆転の構図が生まれることもあります。(4話のちさたきデートと9話のちさたきデートはこの構図が多かったですね)僕はこの4話と9話が好きで、何回も見直しています。

 しかし、千束はなんとか命が助かったのに、たきなに何も話さず宮古島に逃げてしまいます。どうやらたきなに対する感情はたきなが千束に向けている感情よりも少し軽いようです。(その軽さの背景にはこれ以上悲しい別れを増やしたくないという千束の感情がありそうですね。感情が重くなればなるほど別れは辛いものになってしまいます。)たきなはこれに対して少しモヤモヤしているようです。モヤモヤたきなさん、可愛いです。でも、たきなはモヤモヤしていても宮古島ではあまり千束に対して怒りませんでした。ここからは解釈の話ですが、たきなが怒らなかったのは、もしかすると「千束らしいから」という理由で千束の逃亡をある程度許せてしまったからかもしれませんね。この許しかたは好きな人を許すときの本質をついているようで個人的には大好きです。(たかなしとかさんの二次創作にあった解釈の転用で失礼します。)

 ちさたきは本当に無限に深められるCPだと思います。でも、字数も半端じゃないことになってきたのでここら辺で終わりにしたいと思います。最後にこれだけ言いたかったんですが、千束の見た目、本当に好きです。左の巻き髪とリボンも超かわいいし、もともと明るい女の子が好きなのもありますし、あと赤い服が似合う女の子が本当に好きです、好みです。まあオタク語るのもここら辺にしときましょうか。ここに書ききれなかった感動もまだたくさんありますが、それはまたの機会に書ければ良いなと思います。宮古島に行ってしまった理由についてのあれこれなんかが書ければいいかと思います。リコリコは続編が制作されているそうなので二次創作でも食べながら気長に待っていましょう。ではまた次のnoteで。 


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