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花風には抗えず

 桜の咲く季節。いつもの河川敷に絶妙な間隔で植えられた桜たちが見事に咲き誇るあの季節が、今年も着々と近づいている。満開の桜を待ち望む気持ちの中に一抹の不安が宿るのを感じる。こんな風に日々そわそわしながら見守るのも、いつぶりだろうか。

 綺麗だと想うこころがある分だけ、寂しさが宿るのだろう。きっとこの人生という旅においても同じことで、この世界で見つける「好き」の強さの分だけ嫌いなものが現れて、期待する分だけの不安があって、出会っていく数だけ別れていく。

 良くなると思ったら悪くなったり、良くなる一方だったり、悪くなる一方だったり、世界はこれまでもこれからもずっとこんな風で、いずれにせよ僕はいつでも、静かにすべて満たされたいと望んでいるけれど、そんな日は多分来なくて。分かっている。それでもなお、こんな世界の中で、僕は、自然な本能ゆえ苦しみ、自らの生の満足を諦められず、かといって世間に流されることも辞められず、下らないと嘆きながら、良い方に悪い方に右往左往を繰り返していく。昨日も今日も、そしてきっと明日も、同じような希望を感じ、同じような絶望を感じて生きていく。

 しかし、そんな風に繰り返される日々の中、生きとし生けるものとして存在する僕たちはいずれ一つの流れに終着していくのだろうと感じる。世界は繰り返しつつも移り変わり、僕たちもその中でゆっくりと変わっていく。今年も去年とほとんど同じ時期に桜は咲くんだろうが、去年の桜を見る僕たちと今年の桜を見る僕たちはきっと別物だ。今年、どうしようもなく一人で満開の桜を見るであろう僕は、その孤独が少し心地よく、やっぱり少し寂しい。

 去年の春の僕は、君が救われたいとどうしようもなく願っていることを知っていた。君はいつだって、心臓の鼓動をその体の動きで打ち鳴らしてやろうと夢中で踊り続けていた。去年の春の君。たぶん、今年の春も変わらなくて。でも去年の君の踊りと今年の君の踊りは、きっと、この一年の分だけ違っている。僕は、変わっていく君に流れたはずの時の流れの重さを自覚するのが、怖いのだ。君がそれだけ変わっているのなら、僕はこの春の色の中でもはや何を想っているのか。思い出に浸っているだけで。


 もう全てがどうしようもないほどに下らないのに、全てが静かに愛おしくも思えてきて、もういっそ、時の流れなんてみんなリズムに乗せてしまって、リズムの流れに時の流れを巻き込んでしまうようなそんな音楽をしてみたいと、最近はそんなことばかり考えている。君がそうだったように僕のこころだって進みたがっている。僕だってこの一年で変わった。僕は、この人生のすべてで救われたいと今まで以上に強く願うようになっているし、それを現実にする可能性のある手段のあれこれを考え始めている。この一年で、ようやくそれを自覚したから。

 桜はきっと近いうちに咲き誇り、花風にのってひらひらと舞い散るだろう。きっと、桜に懸けた想いも、ときめきも、桜とともに舞い散り、じきに忘れてしまう。僕はそのときようやく、自らの歩みに気づく。


 そのときまでは、青くいよう。青いままで、春の美しさを想っていよう。


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