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キャリアブレイクっていう考え方が浸透すれば、いいのにな。

こんにちは、dadaです。

GW明け、ただでさえやる気がダウンしがちなのに、悪天候も相まって余計なんにもしたくない……そんな日々を過ごしております。

ありがたいことに今月も執筆案件をたくさん頂き、
PCにかぶりつくような日々が始まろうとしております…が。

そう、やる気がでない!!!
ベッドと人を駄目にするあいつを行き来して、腰が痛い!!!
そんな怠惰な気持ちを一旦、置いておいて。

今回は、昨日偶然見たイベントアーカイブについて
感じたことを残していこうかと思います。

キャリアブレイクについてのイベントを視聴して。

タイトルにもある通り、『キャリアブレイク』について。
正直私、キャリアブレイクって言葉知りませんでした。
誰かが期待を込めて作った造語かな?と思っていたのですが、
ヨーロッパでは当たり前に浸透している文化なのだとか。

一時的に雇用などから離れる離職、休職、休学など、キャリアの中にあるブレイク期間のことを指します。

造語ではなく、欧州やアメリカでは、一般的な文化です。


一時的に離れる目的は、旅、留学、自主的な挑戦、勉強やトレーニング、休養、療養、出産、子育て、家族のケア、など様々です。

キャリアブレイク研究所

イベントを視聴して、この考え方(文化)凄いいいな〜と思ったのです。
”休む”ことをなんとなく”悪”として捉えがちな日本にも、
もっと浸透してほしいな〜と強く感じました。

振り返って知った、自分のキャリアブレイク。

改めて自分自身の人生を振り返ると、
いわゆるキャリアブレイクを2度経験しているなと。

1度目は新卒で入社した会社を辞めて、
次の会社に転職するまでの約半年の期間。

このときは精神が崩壊していたので、心を休める期間として焦りはありつつも休まざる負えなかった結果でした。

みんなが一生懸命働いているのに、なんで自分は同じようにできないのかととても悔しくて、しんどかったのを覚えています。

2回目のキャリブレイクは、今。
正直キャリブレイクと言う状態なのかよくわからないけど、
まあ、ほとんど仕事してないし、今もそうかなと。

1回目と2回目の気持ちは雲泥の差。
これってなんでなんだろうと考えてみたら、
やっぱり知見の広さの違いな気がします。あと心の余裕と気持ちの諦め。

元々自分は絵に書いたような『完璧主義者』でした。
リスクヘッジを何通りも考えて、思うように動かないと不安で仕方ない。
(まあ今も不安症ではありますが、昔ほどではない)

なにをするにもこれを言葉にしたら、相手はどう思うかを考えて、
結局会議では発言できない、理解できない、不安と不満が溜まる…
書き連ねただけで最低じゃねえか!笑

誰に言われたわけでもないのに、誰かにいつも見られていると意識して自分を抑制し続ける。誰かの思っている私の理想像で居続ける。

こんな窮屈な日々を新卒時代まで続けてました。
辛いね〜頑張ったね〜って全力で過去の自分を褒めてあげたい。

キャリアブレイクが今の自分を形成してくれた。

1回目のキャリアブレイクは、正直『療養』のためだったので、大きく得たものといえば、自分は『完璧主義者にはなれない』と理解したこと。
完璧である必要もないし、できないからって無理して頑張る必要もないと納得したこと。誰かに頼る選択肢が無限にあること。

この考え方をするようになってから、自分の首に締め付けられていた鎖がパチンと外れた感覚になったことをなんとなく覚えています。

この考えを得て、転職先では変に気負うことなく仕事ができた。
なんだか着々と任される業務も増え、チームも担った。
でも責任感が大きくなるにつれ、私は充実感よりも不安感が大きくなった。そして、人の上に立つことってきっと向いてないなと悟りました。

会社員を辞めて、フリーランスでやっていきたいなと思ったのは、
この時期からだと思います。
そんでもって後先も考えず、一旦辞めます宣言して今になります。笑
でも私は人運が良いので、前の会社さんから今でもお取引させてもらえてるし、感謝感謝です、、、!

2回目のキャリアブレイクである今、
昔少しかじっていたデザインの勉強を再開したり、
まったく違う領域の企業さんの勉強会に参加させてもらったりと、
会社員時代の自分じゃ考えられない生活をしているなと。

キャリアを一旦離れることをブランクとマイナスに捉えるのではなくて、
心新たに前に進む準備期間と捉えてみると全然違う。
はたから見ればやっていることはきっと同じなのに。

なんか履歴書とかにもキャリアブレイクって書けたりしたらいいよね。
その期間自分はこういう時間過ごしてましたって胸を張って言える世の中になるといいよね。


『この期間なにしてましたか?』
っていう転職時の面接官の圧、凄い嫌だったな〜って思い出したんです。
私が壊れたことを正当化する理由を述べよって言われているみたいで。
自分も休んだことに負い目を感じていたのも事実だけど、そういう目に見えない圧力みたいな考え方が変わればいいのにな。と強く感じました。

イベント登壇者の方が最後になんども繰り返していた言葉。
『なんとでもなる』『大丈夫』
根拠なんてないけど、私もそう思う。


自分の人生一回きりだし、本当になんとかなる。
結果たどり着いた先なんて誰もわかんないし、道は続いてる。
やる気が低下しているこのタイミングで知ることができて良かった。

本当になんとかなる。締め切り間近だけど、そうなんとかなる…する!

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