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機知可比①

⚠︎センシティブな描写があります。


第零章 機知可比(きちがひ)

貴方は、機知可比(きちがひ)という言葉に対して、どれくらいの理解を持っているでしょうか?
平安時代に起源を持つ言葉ですので、現代の私達が、明確な答えを断定する事は不可能なのかもしれません。
機知可比という語彙を、出来るだけ、正確に理解する為には、まず、機知と可比という語について正確に知らねばならないでしょう。
機知という言葉は、現代でも度々、散見出来、ウィットというルビが振られていたりします。
ウィットは、ユーモアの対立概念として、置かれています。最も、正式な対立概念に置かれるのは、どちらもラテン語で、湿気を語源とするhumor(ユーモア)に対して、 spiritus (風の一吹き) 乾いた印象を与える物を語源とするesprit(エスプリ)と呼ばれるものが、それに当たります。
しかし、ここで意味する、エスプリとウィットの違いは音だけで、意味の違いは、全くと言って良いほど存在しないと言っていいでしょう。どちらも、乾いた知性や、理性を持って、批評精神に基づいた、社会的な風刺を行ったりする、非個性的な営みの事を指しています。
次に可比という語は、シンプル、に比べる事が可能だという、意と捉えましょう。つまり、エスプリ、ウィットと比較するものとは、前述したhumor(ユーモア)の事です。エスプリやウィットに対立しているという事は、非理性、非知性、非社会であり、湿っぽい感情を前面に押し出した、ヒステリックなものなのです。
ここで言う、非社会というのは、社会というものを人工物として捉える、狭義としての社会を指しています。
というのも、私には社会というものが、人工物で無いのなら、全てを社会として捉える事ができる、限りなくシームレスな、意味の無い概念になってしまうと思うからです。
遺伝行動学が、発達した現代において、社会というものは合理的な自己保存の法則に於いて、自然と形作られる現象に、無理矢理意味を見出そうとした、こじ付けにしか、見られなくなってしまいました。
それならば、恒星が太陽に近づき過ぎない様に公転する事でさえ、パワープロセスに基づく、社会的な行動だと捉えても構わない様な気がしてしまうのです。
博学な読者はお気づきの通り、これらの主張は、私が原意や派生した意味を都合良くバラバラに流用し、意識的に恣意的な選択を行なって再編集された情報群であり、目的としている新たなる答えに、辿り着くよう作られた、自作自演の空虚な行為でしかありません。
こういった行為を好んで行うのは、私が本質的に陰謀論者と同じ類の人間であり、機知可比(きちがひ)だからなのです。
また、世の中には、世界を駆動させる大きなシステムの仕組みついて、科学的、理論的に構築された、否定し得ない様々な説があります。進化論、マルチバース理論、カオス理論、それら全てを、個々人が実感的に認識可能な範囲で、簡易的に説明すれば、世界は、環境の変化に従って、大きいものが小さいものに勝ったり、小さいものが大きいものに勝ったり、するだけを、唯繰り返し続けるに過ぎない代物だという事なのです。
少なくとも私は、この認識において、世界を愛する事など出来ません。だからこそ、世界の認識においても、非科学的な、第六感の覚醒や、魔力や魔法という、フィクションの存在で補完しなければ、受け入れ難いのです。
ユーモアの様に演出的に誇張された過敏な人間が具現化した姿こそ、機知可比(きちがひ)と呼ばれるべきなのかもしれません。
皆さん既にご存知の様に、(きちがひ)というのは、古典的な読み方で、現代仮名遣いで読めば、侮蔑的、差別的な意味として、現在、放送禁止用語にも指定されている気違い、気狂い(きちがい)という語になります。
ここで、一つ提案があるのですが、このきちがいという語に新しい分類を作ってみるのはどうでしょうか?
というのも、現在きちがいという語の表している範囲は、非常に曖昧で、かつ恣意的なものになっています。ですので、非常に不快な表現ではありますが、もしかすると、有用な人材まで、そこにラベリングして、不当に評価し、人的資源を無駄にしていないだろうか?という疑念は十分に考えられる事なのです。
そもそも、動物は本能的に異端を恐れるので、平均値から外れた存在を排除する傾向があります。しかし、平均値というのは、文化によって異なる物で、絶対的な尺度では無く、絶えず変化していくものです。なので、(きちがい)という語の中の分類に、既知の外に居る者を意味する、既知外(きちがい)と心の中で、名付けるのは、どうでしょうか?
その語に、凡ゆる侮蔑的、差別的な意味も込もっておらず、唯、現在自分が持っている知識だけでは、判断出来ないものとして、一旦置いておくという態度を表明するものです。
既知の情報だけでは、判断し得ないものに対しては、判断を保留するという、あの何処までも良心的で、かつ知的な態度に倣った、素晴らしい事では無いでしょうか?
もし、そうする事によって、酷い精神的ストレスを負い、身体を壊してしまう様な事が、無いのであれば、一度、決めつける事なく保留し、判断材料が揃ったと思えば、再び考え直してみるという事を、繰り返す生活を送って欲しいのです。
その生活は、きっと豊かな物だと思いませんか?


彼の目は、どこにも焦点が合ってないように見えた。それは、何処か遠く、僕達が考え付きもしない様な、大きな視点で物事を見ているからではない。目を開けながらも、彼は何ひとつとして、見ていないのだ。それなら、何処にも焦点が合わないのは、当然の事だ。つまり、彼は、機知可比(きちがひ)。だから、生まれた時代に感謝して慎ましく生きるべきだ。だって、世が世ならとっくに殺されて、当たり前の人間なんだから。でも、彼は、自らが狂っているのではなく、自らを取り巻く、全ての人間が腐った蜜柑だと信じて疑わなかった。こいつらは、揃いも揃って、程度の違いはあれど、救いようの無いヨゴレで、近づくと碌な事がないに違いないって。もし一度でも、深く関わってしまえば、天使の様に純粋な自分の心が、一瞬で穢されて、ダメになってしまうと。だから、彼は、ずっと綺麗なものを探していた。きちがいの肩を持つ訳じゃ無いけど、綺麗なものを探すのは、ごく普通の事だし、何も間違った事じゃない。それに彼の好みは、普遍性を持っていなかったので、社会の流動性を奪い、階級化を促進する危険性も無かった。

機知可比(きちがひ)の青年は、ずっと、一人、部屋の中で何度も呟いていた。ハイソ(ハイソサエティ)の象徴、ナチュラルローソン。ハイソ?、いやハイソサエティ、ナチュラルローソン、おお、また見つけたぞ、一体、何だ?この言葉は、何度も口に出して言いたくなる様な、凄く美しい響きじゃないか。ハイソサエティ、ナチュラルローソン。良いぞ、ロウの所で少し舌を丸めて、水に潜るイメージだ。ハイソサエティ、ナチュラァルロォウソン。ああ、何度聞いても、うっとりして溺れてしまう。英語の正しい発音なんて、関係ない。自分が心地よいと思う方向に身を任せてしまえば良いんだ。特に、ハイソサエティ、ナチュラルロォウの部分までは、ゆっくり滑らかに発音して、いきなりソンの部分で、弾みを付け、緩急をつけた音を出すと、凄くいいぞ。山のほとりに在る、不自然な程澄み切った神秘の泉に、浸していた身体を勢いよく起こし、大気中に一気に解放して、光に包まれるようなイメージ。うん、やっぱり、ズルゥンって、この世に、新しく産まれ直したみたいな、凄く爽快な、気分になれる。そして、最後のンッという耳に残る微かな余韻だけで、また美しい情景が、鮮明に浮かび上がっていく。
とても深い、深い森の中にいる。
木々の間から差し込む温かな陽光の中、光に照らされた水滴が満遍なく付着した身体に、澄みきった空気だけで、構成されている森の風が私を優しく包みこむ様なイメージ。
これはもう、実感を超えている。
ああ、何て素晴らしいんだろう、、、。

最近は、サウナで整うというのが、流行ってるみたいだ。暑いところに入って、冷たいところに入ってをひたすら繰り返す。人間の脳は、ギャップやコントラストを見ると、それがどんなに単純なものであっても、それを感じる度に、飽きる事なく、快楽物質を溢す。パブロフの犬がベルの音を聞く度に、涎を垂らしてしまう様に。馬鹿な大衆は、直ぐに脳みそをハック(ハッキング)しようとする、哀れな、彼らの中には、物質的な快楽しか存在しないのだ。本当に、愚にもつかないとはこの事だろう。人間精神とは、こんなにも雄大で、無限の広がりを持ち、喜びで溢れていると言うのに。

ふと私は、我に帰って、日課のネットストーキングをすることにした。彼女の事をもう何年も見ている。寝ても覚めても、毎日欠かさずに、一日の、殆どの時間を、彼女について調べたり、考えたりする事に使っている。本当に、何度考えても、本当に美しい人生だ。彼女は、二歳の頃から水泳を初め、次第に才能が開花していく。クロール100メートルという種目の中で、コンマ一秒を削る為に、貴重な青春の時間を使い、生活の全てを捧げて練習し、更にそれが本番の一瞬、たった数十秒で決まってしまう。結果はギロチンみたいに冷酷で、はっきり勝敗がつく。残酷で、儚く、だからこそ代え難い価値を持つ世界で、彼女は、圧倒的な輝きを放っていた。鎧の様な、外殻を守る為のボディでは無く、強固に鍛え上げられたインナーマッスルが、イルカの様な流線型のボディを保持する。水中を跳ね、滑り落ちるかの様な泳ぎで、異彩を放ち、凡ゆるジュニアの記録を塗り替え、その度、各メディアから、次世代のスター選手として祭り上げられていた。

だが、突然、オリンピアとしての生命を確約されているとまで言われていた彼女が、拒食症を患い引退してしまう。まさに、悲劇のヒロインに課せられる数奇な運命、神は彼女の輝きを独占したかったのだ。神の思い通りに、彼女は今まで、打ち込んできた血の滲むような努力が、水泡に帰した事を、深く嘆き、塞ぎ込むようになる。
しかし、その一年後、彼女、いや、貴女は、山姥ギャルへと急激な変貌を遂げ、それと同時に、拒食症を完全に克服し、不死鳥の如く、奇跡の再生を遂げ、一層輝きを増していく。
そして、彼女は、次第に夜遊びが激しくなる、毎日クラブに通い、幾度となく下らない男達に身体を許し、汚されただろう、しかし、彼女の物語を貫く、美しい一本の直線軸だけは、何があろうと、何ら、変わり映えのしない輝きを放っている。これが美しさだ。しかも、美しさの中に強さを持っている。強さを持った美しさは、穢すことが出来ないのだ。

彼女は最近、マッチングアプリを始めたらしい。もしかしたら、彼女に会えるかもしれない。僕は、思い切ってマッチングアプリを初める事にした。でも、私には、正式な性も名も無かった。コンドームが破れて、出来てしまった子供で、望まれて生を受けなかった為に、出生届さえ、出されなかったからだ。父親は、産まれた時から居なかったし、母親は、僕が死なない程度にしか、構わなかった。母が私を堕胎しなかったのは、実感的な罪を背負いたく無かったからだ。全ての動物にとって、生は無条件に称賛すべきもので、どんな理由があってもそれを奪うことは、許されない事だと思い込んでいるのかもしれない。だから、ゴミだらけの部屋に閉じ込め、決して愛そうとはせずとも、食べ物と水だけは、定期的に用意してくれていたのは、多分そういう事なのだろう。
でも、母親の事を恨むことはないし、運命を呪うこともない、それで別に構わないからだ。
全てはこの時の為だったんだ。おかげで、僕は真っ当な理由で、自分にハイソな名前をつけ、彼女に会いに行ける。
今から、僕の名前は、神宮寺栄一だ。
うん、凄くいい。気品もあるし、神と宮と寺が入っているところが、文化的な雰囲気も漂わせている。栄一という名前も、如何にも裕福そうで、普通の人が見れば鼻につきそうなものだけど、彼女はきっと気にしないだろう。そういう嫉妬心の様な、ある意味での、陰湿さを持つ感情から、最も掛け離れた性格で、寧ろ、その違いを楽しみ、慈しんで愛でる事ができる人だ。それなら、身の丈に合わない、文化的で裕福な、ハイソな階級の人間を演じずに、等身大の自分で挑めば良いと思うかもしれないけど、やっぱり、それだけは出来ない。何故なら、彼女はきっと、凄く優しい人間だからだ。僕は、惨めったらしい同情によって、親交を深めたいとは全く思わない。
彼女にとっても、僕の存在がプラスに働かないのなら、そんな関係に何の意味も無いと思うからだ。ただ、彼女の輝きが永遠のものになる様に、ほんの少しの手助けさえ出来たら、どれだけ有意義で喜ばしい人生だろう。それが出来るなら、このどうしようもない人生、全てを肯定できる。
世界の中で、僕が一番彼女の事を考えている。
それだけは、間違いない。動きようのない、確かな事実だ。彼女の為なら、僕は何だって出来る。

西園寺蒼は、ひどく退屈していた。生まれながらにして何もかもを、手に入れていたからだ。
この世で価値があると言われているもの、金、地位、名誉、全てが下らなく思えた。でも、最近の彼は、それまでとは、全く違っている。というのも、マッチングアプリという新しい玩具を見つけたからだ。

コンビニでバイトをして、世俗的な社会への解像度を高めようとした時には、一般客は全て小汚い猿に見えた。本当につまらない事で笑い、つまらない事で怒る。毎日、防腐剤塗れの、不健康極まりない弁当を、大喜びで食べる様は、長期的な自殺の様で、退廃的な人間が陥りがちな、ドン底の空元気に見えた。
マッチングアプリを初めたときも、一般大衆への印象は変わらなかった。実際にチャットで、たわいも無い世間話をしてみても、コンビニバイトで感じた時と全く同じ印象で、文化的な教養を著しく欠如している為に、発する言葉全てが、価値の無いものにしか感じられなかった。彼らのレパートリーは二つだけで、付け焼き刃の、質の悪い冗談で奇を衒ってみせる事と、もう一つは、何処かで聞き齧った凡庸な言葉を、自分の鳴き声に決めて、それをひたすら繰り返し喚き、私を不快にさせる事だった。話せば話すほど、失望を深めさせ、終いには、自分と同じ人間である事さえ、疑わしい事にしてくれる。
これは、はっきり言って拷問の様な時間で、これを人生の趣味にするには、極めて高度なマゾヒストになり、誇大妄想で補完し、全てをプレイとして捉え、興奮材料にしなければならない。
そんな、限りなく不可能で、非合理で、かつ面倒な事をいつまでも続けていく訳もなく、さっさと辞めてしまおうとようやく決意した直前に、ある一人の女性とマッチングした。最初は気付かなかったけど、この顔、奈美恵という名前、何処かで見た事がある。何だったっけ?芸能人、、、じゃないよな。それにしても、奇抜なメイクだな、表面的な印象は、大分変化しているような気がする。
パーツにフォーカスして見れば、何処を見ても印象の無い顔だ。
それでも、顔相と言うのだろうか、細部ではなく、全体の調和にエキゾチックな独自性を帯びていて、今現在、必死に思い出そうとしている靄のかかった顔と、同一人物である事は、疑いようの無い事実に思えた。よし、最後に、コイツと会って、それでも何も得られなかったとしたら、もうキッパリ辞めにしよう。
この女は、返信に考え込むタイプの人間だったので、会うまでの約束をこぎつけるまでの、少しの暇を潰す為に新しくもう一人の男と、話してみる事にした。
わざわざマッチングアプリを使って、見知らぬ同性とマッチングして、チャットし合うのは、奇妙だと、思うかもしれない。
蒼は、意図的にマッチング枠を異性だけでなく、両性にまで広げ設定していた。
ゲイでもバイセクシャルでも無く、性的趣向は、ストレートだったが、そもそもマッチングアプリを入れた目的も、男女関係に飢えていた訳では無いし、自分でも、鳥肌が立つ様な響きの言葉だとは、分かっているが、人間観察というのを主な目的として初めたので、これは、ごく自然な、選択だと言う事が出来ると思う。
それでも、いざマッチング対象に上がる男は、唯一人を除いて、全て、自分を性的対象として選んでいた。
彼の名前は、神宮寺栄一。そもそも、マッチングアプリ上でフルネームを表示しているのは異様で、大体は名前のみか、もしくはニックネームを使うのが、当たり前だった。その、行動や名前からして、浮世離れした、世間知らずのお坊ちゃんだろうと思ったが、彼と試しにチャット上で、話してみると、浮世離れどころか、人と話している様な気さえ、しなかった。
その人間としての違和感は、人工知能の様に、人を模倣して、取り繕っている様な感じでもない。
はっきり言えば、彼は何処の階級にも属していない、もっと言うと、社会という概念すら、持っていない。そう、そうとしか思えなかった。
彼は、空間に開いてしまった穴の様な人間で、凡ゆる秩序の為に、存在を許してはならない物だと、何故かそんな気がして、ならなかった。
だが、社会という関係を文脈から外し、フィルターの無い、一個人の主観として、彼を見た時、どう思うのだろう?
非常にユニークな存在である事は、間違いない。だが、そのユニークさは、余りにもユニーク過ぎるという理由において、異物としてしか受け取られない、のではないか。

単なる暇潰し、本命までの繋ぎとして初めた、神宮寺との交流が、今や最も強い興味の対象になっていた。この、深淵なる人間の奥底を、覗いてみたいと、そう強く、今は願っている。そして、ある、ささやかな奇跡が起こった。彼は、唯一人の女性と出会う為にマッチングアプリを初め、それは、私が会う約束をしている途中の、あの女だと、いうことだ。
彼女はやはり、芸能人の様なものでは無く、ジュニア時代に水泳で度々特集を組まれていた、アスリートであり、元天才少女だった。それを聞いた瞬間、必死に思い出していた、靄がかった顔のイメージが明瞭になり、限りなく深い疑惑が、確信へと変わっていく。
栄一は、彼女の大ファンで、一目みたら帰るから、彼女と待ち合わせている、その日の数分前に、その場所へ自分も呼んでくれないか、と何度もせがんだ。
最初は、実際に彼と相対することを拒んでいた。
彼女に会わせることは勿論、渋谷に彼を呼び込むという事でさえ、爆弾を持ち込む様な後ろめたい気分になったからだ。
だけど、頼み続けられている内に、いったい自分にとって、何がまずいのかは、ハッキリ分からなくなっていった。
私にとって最も優先すべき事象は、退屈の解消では無かっただろうか?
なら、彼の提案を断る選択肢など、最初から存在しなかったのだ。

頼みを聞いてもらってる側の癖に、偉そうにも待ち合わせ場所は、神宮寺栄一から指定して来た。何故か、人目につく所は、出来るだけ避けたいらしい。それにしても、待ち合わせが、入り組んだ場所で、すんなり迷わずに行けるか不安だった事もあり、15分前に目的地に着いてしまった。育ちが良く、時間にも、人一倍強い躾を受けていたので、10分前には、目的地に着いている習慣が身体に染み付いている。集合時間になった習慣、我慢が出来なくなって電話を掛ける事にした。
二回目のコール音で、滑らかに、電話が繋がる。
「おい、栄一。今、何処に居んだよ。いいから、速く来いよ。」いきなり、電話口で蒼が、怒鳴った。
「すいません、もうこっちからは、見えてます。あと少しだけ待って下さい。」
それだけを告げると、もう一方的に電話が切れている。
振り返ると笑顔で、手を振りながら走って来ている男の姿形が、プロフィールに載っていた栄一の写真と寸分違わず、一致していた。
これは、ギリギリ遅刻で無いと、一般的に言えるのかもしれない。
でも、そんな事は関係ない。彼が私を待たせたという事実だけが、最も重要だ。それに、頼みを聞いてもらう側の人間が、集合時間ピッタリに来る事について、文句の一つや二つ言う権利くらい当然あるだろう。
彼が目の前にやって来て、言葉を発しようとした、その瞬間、右肩に鋭い激痛が走った。
拳大の石を肩に振り下ろされたのだ。
直ぐに、今度は腕の隙間から、私の左胸を目掛けて石で殴ろうとしてくる。
私は必死に体を捩って、何とか急所を逸らし、頭を抑え、背中を丸めて彼の攻撃に備えた。
それから、連続で3回、背中を打たれ、痛みに耐え切れず、反射的に頭を抑えていた手を離してしまった瞬間、頭に2度鈍い衝撃が響いて、私は倒れた。

大量の出血で、意識が朦朧としている中で私は、財布とケータイを盗み、嬉々として駆け出している栄一の姿をぼんやり眺めていた。
やっぱり、彼は既知外(きちがい)だ。

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