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初節句

次は息子たちの初節句がくる。例によって仕事に追われながら、合間で五月人形をネットで調べる。同時に2人いるからカブトも2つ要るのだろうか?毎年2つも飾っていられない。双子のいる家庭に話を聞くと、名前の入った旗や、小さな鯉のぼりなとを2人分用意してカブトは1つでなんとかやり過ごしているらしい。賢明な判断だと思う。なるべくしっかりしたカブトを一つ買っておこう。

北海道と東京の行き来が、もはや旅行のようなそれではなくなってきていた。都内に住んでいて、時折幕張メッセや、ディズニーランドへ行く時のような、ちょっとした遠出。飛行機の直行便で、渡航時間で考えてもせいぜいそのぐらいの感触なのだ。相変わらずマイレージで行き来しているのでお金がかかっている感じもあまり濃くない。相変わらず奥さんの実家の居心地は最悪だが、親族たちが人として悪いわけでは全くない。しかしながら、いくら結婚したからといって本質的に他人である家庭に突然入り込み、すんなり溶けこめるほど器用ではない。こちらの当たり前が当たり前でない。他人の当たり前に完全に合わせ切るには少々頑固すぎる性格でもある。そもそも、他人と調和していくということは自分の領域がしっかり保たれてこそ、だと思っている。ただ、もうその保つべき距離感も、次第にどうでもよくなりつつあった。脳みそがだんだん、とろけていくような感覚がした。

酪農を営む奥さんの実家では、家庭菜園という名の数百坪位の畑があったりする。火山灰の多い土壌でなかなか育たないものもあるらしいが、根気良く栽培を重ねたおかげで大きな野菜の採れる肥沃な畑になっている。それを農協におろすこともなく、自分達で消費するのだ。ここでは野菜は買うものではない。しばしば食べきれずに傷んでしまうくらいだが、それはまた肥料になるのかもしれない。自然の肥料でそだった野菜の味はどれも目がさめるくらい格別で、都内の飲食店にあるようなオシャレな味付けや盛り付けも皆無だが、そんなものはまったく必要ないと思えるくらいには美味しい。 相変わらず居心地のなかなか良くならない奥さんの実家で、唯一の救いは食事である。お世辞抜きに「うまい!」と声が漏れると、義母や義祖母は少し得意げな顔をする。奥さんにしてみれば、子供のころから食べ慣れているもので全く有り難みがない、というがそれは贅沢というもの。奥さんが椎茸を嫌いな理由も、義祖母が庭で菌床を持っていて、毎日のように特大の採れたて椎茸を食わされたからだ、と言うのだ。言うまでもなくその椎茸のバター焼きは格別の味である。贅沢極まりない。ただ、確かに味付けにバリエーションが無さすぎるきらいはあるかもしれない。都会で、限りある素材に工夫を重ねて食すのと、田舎で余りある素材を雑に食すのとでは、どちらが贅沢なのだろう。永遠の謎である。ウチの子達には、ぜひどちらの環境も両方知ってもらって、豊かな感性を持って生きてほしいと切に願っている。

子供が被ることのできるサイズのカブトが一つ。透明なアクリルの箱に収まっている。自分の小さい時、こんなカブトを被った写真を撮られていたような。息子2人には被らせることなく、箱の中身を眺めるのみ。箱から出したら最後、取り合い戦争が勃発してしまうからだ。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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