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新居探し

物件を幾つか見つけたけれど、決めきれない。
一つは練馬の10畳ワンルーム。「グランドピアノを置ける」という売り文句で出ていた物件だが、10畳の部屋にグランドピアノなど置いたら何処で寝るんだろう?ピアノは置かないので、悪くない広さだけれど少し家賃が高い。
ふたつ目は小金井のメゾネット物件。郊外なので家賃もいい感じで、上が住居で防音室が半地下にあるというオシャレな物件。こちらは半地下部屋の床が薄い上に下が空洞になっていて、あまり音を出すと隣からクレームが来るという、防音室の定義を問いたくなる物件。
3つ目は調布の1LDK。高層で全室防音、ロフトもあってかなり良い感じに思えたけれど、少しでも窓を開けるとけたたましい電車の音が夜中まで鳴り続ける。窓を開けられない家。

都内を散々回って、半ば諦めかけていた頃に知り合いからある部屋の紹介を受けた。住居ではなく店舗物件ではあったが値段も広さも丁度いい。その物件のすぐ近くにワンルームを借りて、ふた部屋で回していく事にした。
奥さんに引っ越しの連絡をする。どこか興味のない様子で、勝手にしろとでも言いたげな口振りで「いいんじゃない?」と一言。大家さんやお隣になんとか挨拶をしようと、Facetimeを繋いだのだけれど明らかに早く終わらせたい感じが顔に出ていた。半ばケンカ腰でFacetimeを切ったあと、言いようの無い孤独感が襲った。地理的事情ではない、とてつもない距離を感じた。

引っ越し当日。
岡山の実家から母と叔母が手伝いに来てくれた。おそらく最近の気苦労が顔に滲み出ていたのだろう、母が僕を見るときの目は哀れんでいるかのよう。この頃には口から出るのは愚痴ばかり。それを聞いて母はさして反論や説教をするでも無く「そうか、大変だな」と頷くのだった。

2LDKに入っていた家具はワンルームともう一部屋ではもちろん手にあまる。残った家具は叔母のマンションに置かせてもらうことにした。これは一時的な引っ越しだから、そのうちまた使うことがあるだろう、と、処分はせずにおいた。先の見込みは全く立っていないけれど。

自分の置かれている状況が、うまく掴めない。よくある里帰り出産や単身赴任、ましてや別居や離婚ともなんだか違う。 状況が掴めないので適切に何をやれば良いのか、わからなかった。身をまかせるしかない。ただその状況が自分の意思に反している事だけは明確にわかる。今までに感じたことのないようなストレスだけが、ずっとあった。何かの奴隷にでもなったような気分だった。

ワンルームには家財道具があふれかえっている。
とりあえず寝るスペースだけ確保したが、あとは全く整える気にならない。普通、引っ越し直後なんてものは新しく始まった生活にテンションが上がって、用もないのに家具を見に行ったり、家の周りの飲食店を探してみたり、するものだ。今は全くその気がない。ただただ、ワンルームと仕事部屋を往復する毎日が続いた。いつまでたっても片付かないワンルームに帰るのも面倒になり、仕事部屋のソファーで眠ることもしばしば。もうワンルームを引き払ってやろうか、と考えたりもした。

そんな気持ちとは裏腹に、近所の迷惑を気にせずに音楽を聴ける、楽器を弾ける念願の環境を奇しくも手に入れた訳である。ささやかながら来客対応もこなせる部屋で、仕事はいくぶん捗った。窓のない部屋で気がついたら翌日の昼を迎えていたこともあった。仕事に打ち込むことで、心のバランスをかろうじて保っていたのだ。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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