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単身の夏

東京は暑い。時々送られてくる北海道の子供達の写真が妙に厚着に思えて、見るだけで少し汗ばんでくる。
部屋で仕事ばかりしていても仕方ないので、時々街へ繰り出すようになった。たまたま近くに住んでいた、大学時代の先輩が飲みに誘ってくれることも何度かあった。話題は当然、子供の話。先輩の職業はコンサートなどの音響機器を扱うメーカーの技術営業で、コンサートホールの現場対応などで頻繁に出張がある。やはり、子供の顔をすぐに見ることができないというのは誰にとっても大変なストレスであるらしく、僕の話を聞いた先輩はとにかく不憫そうな顔で「大変だな、大変だな」と繰り返した。自分の子供の顔を見たときの、あの体の底から活力が湧き出る感じは父親なら誰でも共感できる、はず。そしてそれを知ってからの孤独などは、本当に、考えたくもない。
次第に、子供の話を切り出すのが億劫になっていった。聞く相手もどんどんツラくなっていくのが目に見えて分かるからだ。男の世間話というのは、常に解決方法を探す。とりとめも無い話で、それがしかも少し重たい話題で、解決案がなかなか見つからないというのはストレスでしかないのだ。女性だったらこういう時、ただ「つらいね〜」の言い合いで満足できたりするのだろうか? 子供が産まれて間もなく、単身赴任になり、子供の顔が見れなくてツラいなんていうどうにもならない話は1度聞いたらもう充分で、あまりそれには触れたくないであろうと僕は思う。また閉塞感がつのっていった。

井の頭公園の入り口近くにあるバーに良く出入りするようになっていて、そこで誰に向けて言うでも無く、どうにもならない話を一人で呟いては酒を飲んでクダを巻く、ということを何度か繰り返したある日、そのバーで一人の女性と居合せた。女性はおそらく50代くらいで、見た目は少し派手だけれど、そこはかとなく清潔感のある。アパレルの社長か、もしくは芸能系の、ちょっとしたご主人という感じ。さっき知人から頂いたという綺麗な飾り扇子をバーテンダーに嬉しそうに見せていた。
同じカウンターで2〜3席分の距離を取って座り、なんとなくお互いの会話に入りこんでいく。やはり女性はなにやらアパレル系の社長さんらしい。程なくしてこちらの子供の話になった。今にして思えば、ここで自分の子供の話など出す必要は無くて、もっととりとめの無いことを話していれば良かったのかもしれない。が、そのときの自分の頭の中は自分の境遇のことでいっぱいだった。10分ほど話しただろうか。その女性があきれたような顔でこう言った。
「ていうかさ、そんな状況で何であなた、こんなとこで酒飲んでるの?子供の顔見たきゃ、行けば良くない?ていうか今も奥さんは子守りしてるよね?」

そのとおり!!と思わず叫んでしまった。
笑ってしまった。彼女は相当イライラしてそう言ったのだろう。しかしその言葉で胸の引っかかりがスッと取れた気がした。そこからしばらくジンを数杯あおって、社長に深々とお辞儀をして店を出た。
かなり酔っぱらってしまって、店からの家路の途中、公園の外れにあるベンチに横たわって
1時間ほど寝てしまったのだけれど、半分眠った頭で、明日からの引っ越しの段取りを考えていた。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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