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院内保育から町立保育

引っ越しだの水回りだの、話が脱線している間に子供達は幼稚園へ入ってしまった。父親がくだらないことにこだわっている間にも子供はすくすく育っていくのだ。

時間を戻して、保育園について少し書いていく。最初は奥さんの勤める病院に併設された院内保育所から始まる。これは保育園というより託児所。他県や都内などでは、託児所を確保するまでにも大きな苦労があるかと思うが、この地域のしかも町立病院勤務ということで、全く困ることはなかった。奥さんの通勤に合わせて院内保育所へ立ち寄り、三つ子たちを預ける。泣き叫んでいたのも最初の数回くらいだったかと思う。あくまで託児所なので、目立ったカリキュラムがあったわけではないけれど、節目には運動会などイベントもしっかりあった。運動会といっても、2歳児の駆けっこというのは親や保育士たちが泣き叫ぶ子供を抱えてゴールへ向かったり、借り物競走のようなものもあったがほぼ競技の形を成していない。だがしかし、この歳では皆で集まって何か行動をすること自体が大変なことなのである。子供もすぐ疲れてしまうので、時間もせいぜい2時間程度だったかと思う。しかし、数少ない屋外イベントに親子で参加するというなかなか大きな感動がある。娘と一緒に食べた、競技後の流しそうめんがとても美味しく感じた。すべてが初めての経験。

院内保育所での生活は、1年で終わりとなった。3歳で町立の保育園へ転園したのだ。院内保育所は当然、奥さんが勤務中しか預けられないので休みの日は子供の世話に追われてしまう。その点町立の保育園は基本的に平日は全て開いているので、奥さんの休日を作ることができる。ここで初めて、奥さんは休みを取ることが出来るようになったのだ。今までは事実上無休で働いていた状態である。毎週火曜日は公休を取り、買い物やたまにパチンコへ行ったりするようになった。正直パチンコはどうかと思ったが、この地域で唯一の遊び場であるし、博打をやりたいというよりエヴァンゲリオンの絵柄が見たい〜という方が強いようだったので目をつむった。特に自分が居るときは「勝つまで帰ってくるなよ」と、なるべくしっかり遊べるように仕向けた。この頃から、奥さんの口調や態度が出産前の柔和な感じに少しずつ、戻ってきているような感じがして嬉しかった。

相変わらずニュースなどで、ネグレクトや虐待の話題が飛び交っている。うちの家でも、子供に手を上げたことがまったく無い〜などとは言えない。三つ子がどうという前に、一日中まったく気の休まることの無い状態が数年続くのだ。奥さんはとっくに限界を超えていたはず。「私を解放して」と何度も言われた。きつく叱りつけたり、怒鳴る、叩く、無いはずがない。そのたびに奥さんは自責する。こちらからいちいち責めなくても、本人はよくわかっていた。ほんとうによく頑張っていると思う。ここで少々博打で負けたからといって何が悪いか、という話だ。別にホストでも何でも行きたきゃ行ってこい、とも思ったがこの田舎に幸いそんな店は無かった。この地をわざわざ選んだのは奥さんなので、そこは仕方ない。

息抜き、という言葉を実感したのは子供が産まれて、おそらくここが初めてなのではないか。保育園は子供の教育のためだけではなく、親がしっかり休む為にあると捉えて良いはずだ。休むというのは、回復というれっきとした業務なのだ。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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