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単身の誕生日

どんな状況でも、誕生日というものはやってくる。

記念日には割と無意識にこだわっているところがあって、誕生日をはじめとする色々な記念日、結婚記念日などもそうだけれど、その日はわざわざ仕事を1日空けるというのが通例になっていた。土日も祝日もない、きわめて不規則な就業形態の中でその日だけは、寝ることと遊ぶこと以外何もしない。本当の意味での「休日」を作る為だ。

奥さんと日がな一日外出したり、食事を予約して食べにいったり、普段とのメリハリがとても気持ちがよかった。

今にして思えば、遠く離れているからと言ってそれをやらない理由は無いわけで、それこそ飛行機のチケットでも取って奥さんや子供達とゆったり過ごせば良かったのだけれど、このときはそうはならなかった。

なにかもう、どうでも良くなっていた。誕生日を祝うとか、そういう日常的なものをこなす気力が薄れていた。ただただ、仕事のスケジュールを埋めてその日をやり過ごしていた。

当日は一人、部屋でチューハイを飲みながら誕生日を過ごした。なんだかずっとこんなことが続くような、今までもずっとこうだったような、閉塞感だけがあった。今にして思えば、軽い鬱状態であった。

SNSに届いたお祝いコメントと一緒に、奥さんから何かいつもと違う雰囲気のメールが届いた。ここ最近あまりこちらに関心の無いような雰囲気だったのが、何やら嫉妬を感じる文章。

「昨年の誕生日も、一人だったような」と書き込んだ僕の投稿に反応したものだった。昨年の誕生日と言えば、奥さんの臨月間近でそろそろ入院しようかという時期だった。「今年を逃したら、しばらく2人で食事なんて行けないかもね」と、吉祥寺のレストランを予約してささやかにパーティを開いたのだった。


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%B8%8B%E5%BA%A7

やっちまった。これは怒っているやつだ。すぐに投稿を修正して、部屋の隅で土下座をした写真を撮って送りつけてみた。2人での思い出を忘れるなんて。。という奥さんの怒り。この感じにはすこし懐かしさがあった。奥さんの関心が子供達から自分に向いている。2人暮らしのあの当時のように。少し心が躍った。

誕生日から少し遅れて、飛行機で北海道へ向かった。ショッピングモールで買い集めたオードブルとケーキと、3つ子達と甥っ子達に囲まれた誕生日パーティが開かれた。自分を祝うというより、子供たちが食い散らかすケーキの後片付けが主な内容である。まったく祝われている感じはしない、が、東京の部屋で感じていた閉塞感はなく、ぐらついていた心と体がぴったりと合わさったような、安堵感。

程なくして東京に戻ると、少しだけ部屋の空気が変わったような感じがした。ここから時折、少しだけ街へ繰り出すようになった。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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