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年中のルーティンとジレンマ

羽田から飛行機で札幌、そこから夜行バスに一晩揺られて早朝に到着もしくは、札幌から汽車で夕方前に着、この2つが当時の「帰宅ルーティン」だった。後者の場合、そのまま母子の出迎えにまずは幼稚園へ車で向かう。

町立の保育園から寺院の幼稚園へ移ったことで、三つ子を取り巻く環境は少なからず変わった。特に次男の処遇は保育園の時は専任の保育士さんがひとり付いていたのだが、幼稚園ではそうはいかなかった。専任というより、クラスを持たないフリーの保育士さんがどこかしこへフラフラと動き回る次男のことを見守る、という形だ。奥さんは少し不満げだったがそりゃ仕方ないだろうと夫。

三つ子が在籍する間、自閉のある児童は次男だけだったが、保育士さんや他の園児も含めてとても自然な対応というか、すんなりと受け入れてくれていたように思う。これは保育園も幼稚園も同じだった。都会のように確立した療育のシステムがない中、まわりからいたずらに孤立しないよう受け入れられていたのは感謝の一言である。仲の良いというか、良く構ってくれる子が数人いて、親が迎えに行くと、「あそこでひとりであそんでるよー」と教えてくれる。だいたいが集まり部屋で疲れて寝ているか、木製の大きな遊具が並ぶ部屋で一人で遊んでいるかのどちらかだった。

講堂のドアを開けるとだいたい長女がこちらに気付いて、全力疾走で「ぱぁぁぱあーーーっ!」と抱きついてくる。短くて2週間、長くて1ヶ月以上間を空けての父と子の再会。色々な疲れが一気に吹っ飛ぶ。長女を片手で抱きかかえて長男を探すと壇上でなにやらおもちゃを持って遊んでいる。ここで不用意に声をかけてしまうと遊びの流れをぶった切ってしまって微妙な空気になるので、様子を見計らう。何度か「まだやりたかったのにぃ〜泣」とクレームが入ったことがある。いや、まだやりゃ良いじゃないと思うのだがそういうことではないらしい。

曜日によって持ち帰る荷物が違う。これは数週間の間にルーティンが抜け落ちた父親にはかなりのハンデがあり、初日はだいたい何かを忘れる。その度に奥さんに嫌味を言われるがそこは馬耳東風を決め込むことにしている。

3人と荷物をピックアップして車へ向かう。先ほど抱きついてから全く離れる気配のない娘を肩に抱え、何処に行くか分からない次男の手を引き、先へ行く長男に目を配りながら道を挟んで向こうの駐車場へ。ひとり手を引いていないので少しヒヤヒヤするが、幼稚園への来訪以外に車の通りは滅多にない。

なんとか3人を車に乗せて、そこから5分ほど走った先に奥さんの勤める町立病院へ迎えに行くまでが一連のルーティンである。

よほどの急務がない限り家では仕事をせず、一般的な休日の父親然に振る舞う。数日仕事を開けるわけなので影響が無いとは言えないが、これが1番バランスが良かった。コアタイムもない成果報酬型ならではの働き方だった。家族からは「家ではほぼ寝転んでいる父親」に見えてしまうが仕事モードのままだとどうしてもどこかピリついてしまう。寝転んでいる方が子供たちもとっつきやすいと思う。可能な限り子供と遊ぶ。

1週間ほどの休日シフトを家で過ごし、また東京へ戻る。この頃にはどちらへ「戻って」いるのか線引きがわからなくなってきていた。家を出る時の子供たちの泣きじゃくる顔が胸に刺さる。子供たちにハグしているとなかなか離れられない。一度や二度ならちょっとドラマチックな場面で片付くかもしれないが、いつまでこれを続けるんだろう。いっそ居ないならずっと居ないほうがみんなスッキリするんだろうか。もしくはニート同然でも家にいるべき?

後から知ったことだが、父親が家にいる時といない時で子供たちの聞き分けの良さが全く違うらしい。たまにしか会わない男親の緊張感と、感情で叱る母と理詰めの父との違い。自我の芽生えてきた子供たちを、母だけでは抑えきれなくなっていた。

子供たちが年中組になる年、契約していた会社との契約満期を迎え更新せずに完全なフリーランスになった。そろそろ暮らし方も変えていかないといけない。節目は近づいていた。

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父親目線での三つ子育児日記 保育園から幼稚園卒業まで

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