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単身赴任 春

すっかり春。
12月から始まった奇妙な単身赴任生活も、思いの外慣れてきた。

1〜2ヶ月置きくらいのペースで、北海道にいる奥さんと子供に会いに行く生活。交通費がかなり心配だったけれど、奥さんが若い頃から貯めていたマイレージが北海道ー東京間を5〜6往復出来るくらい貯まっていて、それを使って良い事になった。自分と出会う前にどれだけ旅行してたのか…?と勘繰りたくもなったが、今こうやって助かっている訳なので気にしなくても良いだろう。此の期に及んで奥さんに乗っかっているようで、情けない気もしたが、このペースで飛行機に乗りまくっていたらたちまち破産するだろう。そんなセレブじゃないのだ。他にどうやって、子供の顔を見ることができようか、と開き直るしかなかった。
東京にいる間にも、奥さんから沢山送られてくる三つ子の写真や映像を毎日眺めていた。さっき送られてきた写真には、前回会いに行った時に買った雛人形の前に、初節句を迎えた娘が寝そべっている。まだまだ、理解はしていない様子。
たまに会う子供たちは見るたびに顔が変わっていく。写真や映像を繰り返し眺めている間に、実際の三つ子たちは物凄いスピードで成長していった。定期的に北海道へ出向き、前とは少し風貌の変わった子供達に会うたび、それまでの時間を奪われてしまったような気がして胸が締め付けられるような感触がした。この時期にそばにいない父親に、子供は懐くのだろうか?不安で仕方ない。これは父親のあるべき姿なのか?仕事って何のためにやるもの?


生まれたばかりの頃は、毎日やっていた子守も2ヶ月置きになれば、たちまちやり方がわからない。奥さんの実家では義母や義祖母も巻き込んで、レストランの厨房さながらの戦場ぶりで三つ子達を世話していた。何か手伝おうと思った頃には、もう出遅れていて一つも役に立たない。全く立場がなかった。
奥さんとのやりとりはどんどんギクシャクしていく。尋常ではない育児に追われて全く余裕のない奥さんは、夫のことなどもう目に入っていないように思えた。何よりとにかく、人手が欲しい様子、しかし中途半端に動こうものなら容赦ない罵倒が飛んでくる。こちらも一歩引けばいいのだか、時にはここが奥さんの実家であることなどどこかに置いたかのように激しい口論を繰り広げた。こちらも義両親の目やら体裁など、気にしている余裕が無かった。むしろ、相手親族の中に1人投げ込まれた形で意固地になっていた。飲み込まれてたまるか、というように。狂気の沙汰である。
こういう時はおそらく距離が必要なのだろう。家事で役立てないのなら、働いていればいいのかも知れない、が、北海道へは休暇をわざわざ取って来ているわけで、こちらにはもちろん仕事場もない。「日曜日のお父さん」的な状況が、一週間ほど続くわけだ。しかも、奥さんの実家で。夫が最も居心地の悪い場所、それは妻の実家だと思う。マスオさんはなぜあんなに飄々としていられるんだろう? どこにも居場所がない。立つ事も座る事も、ましてや寝る事も、まったくもってシックリいかない。もともと、つねに自分のテリトリーをある程度確保することで自分を保っている、極めて了見の狭い人間なのだ。口数など、増えようがない。軽い適応障害のような感じになっている。子供の寝顔もそこそこに、ギクシャクしたまま、また東京へ帰る。そんなことが続いた。東京へ帰ると、ワンルームの一面すべて粗大ゴミのような家財道具に囲まれて縮こまって眠る。なにかの残骸のような生活。僕の家は、どこに消えてしまったんだろう?噛み合わない歯車が、激しくぶつかったり、ギリギリと不快な音を立てている。そんな感触が、毎日消えない。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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