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特性について

次男の自閉スペクトラムが分かってから、ネットや本で資料をあさる毎日が始まった。東京でも北海道でも変わらない。移動中も関連書籍を読む。
産まれた時、次男は最も自分に顔が似てると感じていた。そして自閉スペクトラムが遺伝する可能性について、数々の資料で述べられている。自分はどうなんだ?という連想に至るのは当然の流れであった。

メンタルクリニック

東京に戻ってすぐ、メンタルクリニックで検査を受けてみた。結論からいうと自分の診断結果は軽度のADHD(注意欠如多動性障害)の傾向あり、である。ASDも少し入っているかもしれない。とのこと。

心当たりがありすぎる

もともと人付き合いの上手な方ではない。学校の成績は決して悪くなかったが、興味の薄い教科の取り組みの雑さは群を抜いていた。忘れ物が多く記憶ちがいが頻繁にあり、「たまに訳の分からない嘘をつく(忘れている)」通知表には「落ち着きがない」としばしば書かれた。学校の机の中はプリントや、いつのものだかわからない給食の残りパンなどで埋め尽くされていた。ある特定の知識がやたら豊富で、たまたま興味のあったカブト虫などの昆虫についての知識で右に出る者がおらず、一時的に「虫博士」と名付けられたが程なく飽きる。

感覚過敏

今にして思えばちょっとした聴覚過敏なのだが、ピアノを聴いてすぐハーモニカに起こすことのできる幼稚園児だった。しょっちゅうなにかを思い立っては行動して、割と早い段階で飽きる…というパターンが多い。元気に動き回る子供だったが反面疲れやすくもあり、休みの日は1日布団から出る事がない日もある。など。当時そして現在でも「ちょっと変わったやつ」と周りに認識され、自分はその「人と少し違う」感じを誇りにすら思っていた。

しかし、その特性が子供に受け継がれて今の状況を生んでいる。この事実は重くのしかかった。三つ子どころか、自分は子供を作ってはいけない人種だったのか?今までの人生そのものが否定されかねない、大きな事件だ。

語られ始めた特性

ちょうどタイミングよく、ここ最近は発達障害についてメディアが深く扱い始めている。今まで「性格の問題」で片付けられていた部分が実は視覚や聴覚のそれと同じ、障害の一種なのだと。程度によっては障害者手帳を取得することも可能であると。
こういった情報は、当事者たちを啓発しているようで、カテゴリ分けをして健常者の社会から分断しようとしているようにも見える。これは資料の執筆者や、メディアの演出によっても少しずつニュアンスが違うが、自分が生きてきた世界がひとつずつ、論理的に解明されていくこの感触は今までにない爽快感がある。


特性は理解した、その後

今はっきり分かっているのは、次男含めて子供達は皆、自分の遺伝子をしっかり引き継いだ継承者であるということ。その継承者たちになるべく多くの、適切な選択肢を与えるために、自分の人生をより生き抜くことが使命であると。親の愛情がどのくらい深いものであるか、そして自分とよく似た人間が何を考え、悩み、何と出会いどんな結論を出してどう生きているか、ひとつのケースとして提示すること。この日記の存在意義も、そのひとつになり得るのかも知れない。

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父親目線での三つ子育児日記 移住先でのくらしと発達障害の判明、その考察

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