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続き

日記は4年前の出来事から止まっている。その日記を書いたのも四年前ではなく、おそらく一昨年くらい。
もうここを開くことはないかもしれない、と少しだけ思っていた。かなり早い段階で、ブログは非公開にしてただの日記として使い始めた。自分の人生などを文にして公開して何になる、箸にも棒にもかからない人生。他人が読んだ時の反応など想像するだけで少々吐き気がする。ただ、書かずにはいられないから、書いていた。こじれた承認欲求のかたまり。次第にそれを書くのも見るのも辛くなっていって、スマホのページをめくればすぐに出てくるブログページも無視するようになった。
だがこうしてまた開いている。ふと自分の足跡を辿りたくなる時があるのだ。次はいつになるだろう。ただ一応決めていることがある。日記は(もはや日記と呼べるか分からないが)必ず飛ばさず続きを書くこと。なるべく思い出して書く。リアルタイムに追いつくのはいつになるだろう。


続きに移ろう

北海道と東京を行き来する生活。長期出張でたまに帰る父。酪農と漁業で成り立つこの町の人々からするとその生活は漁師のそれに近いかもしれない(真偽は確かめていないが)。自分の職業を説明する際、「漁師のようなもんだ」と言えばある程度はわかってもらえる気がした。決して家庭をないがしろにしているわけじゃない、家庭を成り立たせる手段として、自分はこの仕事をやっているのだ、と、少々無理のある主張をしていた。
月に一度、1週間程度の帰宅。帰るたびに大きくなっている子供達。「大きくなったねぇ」という言葉は父親が口に出すのは不適切な気がした。そして少しずつ、細かく変化する子育てのルーティンに帰宅のたびに惑わされる。前のルーティンを忘れていることも多々ある。それらになんとか対応でき始めた時に、また東京へ戻らないといけない。結局父親は母親と同じ水準で子育てをするのは不可能なのだろうか。それが可能な生活を、結局選ばなかった自分の責任でもある。この状況で、家庭を保っていくにはむしろ仕事をするしかない、お金稼いで子供のおねだりに対応してあげなきゃ。そういう結論になってしまった。それが腑に落ちていたわけではないが、そう考えてしまう。父親に出来ることって、何だろう。

一軒家は相変わらず、なかなか家族の居着かない家であった。やっと冬を乗り越えようとした頃、ついに水道管が凍結破損してしまった。しかもこれは2回目の破損で、1回目の修理で業者さんが出した見積り(今度は見積りがあった)から大家さんが費用をケチって細い管にしたため、少しの凍結で破損してしまったのだ。業者さんの忠告した通りの結果になったわけだ。こちらとしては、少し費用を共同負担してでもしっかり工事して欲しかったがその話も通らず、大家さんにとっては自業自得の結果だ。そろそろ、この家主と付き合うのも嫌気がさしていた。大家という人種は基本的に、自分の家を「貸してやっている」と考えるのに対し、借主は「賃貸契約を結んでいる」わけなのでそれなりの条件やサービスを求める。ここの距離を埋めるために不動産仲介業者があるわけだ。貸す家が顧客に提供する商品であることを理解していない人は大家業をやらない方がいい。水回りをケチるなど言語道断だ。それが借主の傲慢な言い分である。負の感情はピークに達していた。

工事の見積もりを終えて、また東京へ戻った。
その頃、奥さんの実家の方で、離れ小屋を建てる話が浮上していた。牧場の期間雇用者向けの簡易住宅として売られている、2LDKほどの小屋だ。今まで使っていた、母屋に隣接した部屋では子供の泣き声騒ぎ声が義父母の部屋まで直に響いてくるのが、そろそろ嫌になってきたらしい。一軒家は引き払ってこっちに住んではどうか、という事だ。それを聞いた僕は最初、また何を訳の分からないことを…と断ろうとした。家を建てる?しかもいまさら2LDK?何のために?子供の人数分かっているのか?これから子供が成長してもずっと親と雑魚寝させるつもりか?いったいどんな視野でものを考えているのか、謎でしか無かった。

義父と直接話してみよう。
ガタイが良く強面で普段から口数が少なく、思い起こせば結婚のとき、スーツを着込んで初めての対面をしたときもその風貌に心底縮み上がった。ガチガチに固まった状態で「こ…このたび…娘さんを…」「おう、わかった」最初の会話は数秒で終わった。その後も一度につき数秒の会話を交わすのみ。そのうち本気でぶん殴られる日が来るのではと半分覚悟していた。

東京で両家の顔合わせをした際、酒好きで義父からしたら10歳ほど年上の実父と相見えて、ニコニコしながらほとんど無言でビールを数杯掻き込んで、その後トイレで嘔吐していた義父を見て、実は少しナイーブなだけで決して悪い人間ではない、とは感じていた。それより実父にはもう少し空気を読んで欲しかった。相手が酒に弱いのは少し見ればわかるだろう、酒に任せて相手を笑顔で威嚇するのは逆に恥ずかしいから止めてくれ、と実父には後ほど伝えておいた。

さておき

普段は相変わらず威厳のある風貌の義父に対しても、もはや引いている場合ではなかった。義両親にどう見られるかなど気にしている余裕は無かった。
時折、車で2人で乗り合わせる事があり、これ今かと実父の会社の話や、自分の仕事など切り出した。父がいたずらに働き詰めで、なかなか休みを取らなくて心配している。自分にも同じようなところがあるからこそ、たまに取る休みの重要さがよくわかる。父にはいちど旅行がてら北海道に来て欲しいと思っている…など。
義父も同じく、休みをなかなか取らない。牧場は通常業務を止められる日など無いのだ。しかしそこをひと工夫してしっかり休むことには必ず意義があるはず、という含みを会話に持たせながら、僕は実父の話をした。 「やっぱり男は、仕事やるもんなんだなぁ」という義父の言葉には共感した。最近では1~2ヶ月に一度くらい、牧場を派遣に任せて夫婦で遊びに出る事が増えているようだ。売り上げは落ちていないはずだ。

家の話をする。

義父に借家の愚痴を吐く。正直、話にならない。本当に弁護士でも立てて話したい気分だ。ただ、この小さい町で、義父母の知り合いでもある人間といたずらに揉め事を起こしたくないから我慢している、と。娘婿のまるで身勝手な主張に義父は「そりゃ大変だな」と苦笑いした。
正直、何年ここにいるか分からないし、自分から家を建てる気は無い。今の家賃以上の支払いをこの土地で暮らす住居費に充てるつもりにもなれないのだ、と伝えた。
ずっとその土地を守って暮らしている人間からしたら毛が逆立つような話かもしれない。ただ、そう伝えるしかなかった。義父は少々困ったような笑みを浮かべた。引き続き、会話は数秒で途切れる。

娘の婿に牧場をやらせたいのだろうか?それを確かめる術は無い。聞けない。こちらにその気があるか無いかのみが問題であるなら、その気は無いのだ。あくまで、長男である奥さんの実弟を優先して考える問題であると。こちらにはそれに取って代わる素養も意欲もない。ただ自分の家族の側にはいたい、ひどくわがままな主張を通したかった。それなら出て行けと言われれば、そうする、と。

どれだけ具体的に伝えたかは覚えていないが
ひとしきり話したあと義父が
「ただ、もう限界なんだわ…」
と小さく呟いた。それはおそらく子供の騒がしい声に関してのことだと思われるが、少ない口数から様々感じ取る以外に術は無い。そのとき少しだけだが心が動いてしまった。始めの形はどうあれ自分や、義父の孫である子供達がここにずっと留まる可能性を残しておいた方が良いのであろうか。分からない。が、僕はひとまず、一軒家を引き払って新居に引っ越す話を進めることにした。

新居は新しい物置や、期間雇用者や来客時の寝泊り部屋としても利用価値があると。だから子供のためだけに建てようとしているわけではない、ということだ。こちらが全て負債を抱えなければいけない話ではないのだ、と。その真意は定かではないが、気を遣ってくれていることは明らかである。そしてその気遣いは自分にではなく、実の娘と孫たちに対するものであることも明らか。その感情が理解できるくらいには、父親の自覚が芽生えてはいた。

自分の考え過ぎがそもそもの原因だ。最初から、細かいことにこだわらずにそうしておけばよかったのだ。一番最初に北海道へ奥さんと子供を置いた時、自分も留まってそこから始めれば、あの暗黒の一年は無かった。適切な判断など、全く出来ていないじゃないか。全てはこちらの蒔いた種なのだ。あのときもっと冷静になっていれば。あとの祭りである。

今、家族の生活を安定させるのに唯一の手段はここに住むことである。

広くはないが新築で、もちろん隙間風もなければ水回りも快適。義父母との距離感もある程度保てる。ひとつ妥協点は、牧場の敷地にはインターネットがADSLしか届いていないことだ。これは仕事を考えると致命的だったが、もうそれは公共施設を使うなりしてなんとかしよう。むしろ、なるべく北海道の家では仕事をせずに家事や子育てに専念するというのも良案だ。大いに迷ったが、これはもう仕方がないかもしれない。が、もう少し考えさせてくれ、と一旦保留にして東京へ戻った。雪が降り始める頃までには結論を出す、と。ここまで来ても煮え切らないのだ。

その後、自分が東京にいる間に義父母の名義で銀行から融資が決まり、離れ小屋の新築工事が始まった。

離れ小屋は簡易住宅なので、ものの1ヶ月程度ですぐに建ち上がり、水回り工事の終わりを待つことなく一軒家を引き払って、以前に成り行きで新品購入したヒーターは新居に移した。新品の洗面台は置き土産にしておいた。工事代金の補填として、1ヶ月分の家賃を追加で支払って契約終了。「これでやっと水回りがまともになりましたね」と捨て台詞を吐きたかったがやめておいた。
そうしてやっと、まともな家にありついた。ここまでまる一年を要した。
これで曲がりなりにも、家族が住む家を持てるじゃないか。後のことは後で考えるとして…

意気揚々と新居に入ると、設計図に無かった飾り棚のようなものが壁の上部一面に取り付けられていた。義母が「収納は多い方がいいから」と業者さんに追加注文したらしい。よく見ると部屋のドアや窓など細かいものが見積りより高価な、ちょっと高機能なものになっていた。結局100万ほど予算をオーバーしたらしい。もちろんそんな話は聞いていない。その飾り棚は、その夏に購入したエアコンのスペースを確保するために一部撤去することになる。さらに、設計図にないその棚は少し重量のある荷物を置いた数ヶ月後に重さに耐えきれず破損する。
ただ、ドアや窓は非常に良い感じ。ここはちゃんとした製品なので。そのドアの方のみを凝視しながら「おー、ここは良いですね〜」とにこやかに呟いた。

外に出ると、盛土の上に建てられた家から庭部分までがちょっとした坂になっていて、非常に転びやすい。その後、どこからか集めて来た石やレンガで簡単な階段が作られるのだが素人仕事で安定感はない。100万かけるならここじゃないのか?子供のための家だよね?
その階段も、家の前の私道を義父がトラクターで横切るたびに1段目がグダグダに崩れている。さらに、部屋をよく見ると明らかに奥さんの趣味ではないラグやカーテンなどがちらほら。これはもう既に自分の所有すべき資産などでは決してない。百歩譲って賃貸物件であるとして、入居時に、大家さんの趣味で、予定にない謎のインテリアが至るところに置かれている状況を想像してほしい。数日もしないうちに敷金を全て持って退去することであろう。
この謎の多い2LDK物件については、あくまで義父母の所有物件を一時的に賃貸する、という話にしてもらった。家賃は今までの一軒家と同額ということで。

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父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

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