見出し画像

矛盾

1ヶ月ほど経って幾分生活に慣れてきた時、早くも変化が訪れる。

仕事で東京や札幌へ呼ばれることが増えてきたのだ。
やや久しぶりに家を数日空けることになったが、以前の単身赴任とは違ってこれはただの出張。ほんの数日経てば、また子供たちに会えるのだ。何のことはない。
何より、これは子供や奥さん、はたまた親戚たちに自分がやっている仕事を伝えるのにはこれ以上ない話だった。関わっている案件が時折、プロモーションでテレビやメディアに露出し始めていた。実際の売上や収入は置いておいても、メディアの露出は親族に対して絶好のプレゼンになる。周囲が転職の話をチラつかせてくることは次第に無くなっていた。

反面、東京や札幌の現場に駆り出されることがぐんと増えたことで、家を空けることが多くなっていく。一家の暮らす環境は整うどころか、冬場に一軒家を空けたことで水道の元栓が凍りついたりして、ライフラインもままならなくなっていった。
徐々に、北海道と東京を1ヶ月置きに往復するような生活になっていった。これは結局、子供の顔を見る頻度で言うと引っ越す前とそう変わらない生活。東京の家は引き払ってしまったので、都内の仕事場に寝泊まりしながら過ごした。東京から札幌へ飛んで、家に戻ることなく東京へまた帰る、なんて事もしばしばあった。

矛盾を感じつつも、流れに逆らおうという気持ちは生まれなかった。

そんな中でも、何とか一軒家の環境を徐々に整えて、自分の居る時は家族5人で寝泊まり出来るくらいにはなっていった。しかし、自分の居ない時は子供たちは結局実家で過ごしていたので、環境は落ち着かず、奥さんもあまり一軒家で住むことに積極的になれなかった。一家5人での暮らしを望む気持ちが強い自分と実家にこだわる奥さんとの間に、深い溝ができているような気がしてならなかった。子守のストレスで、かなり気性も激しくなっていた奥さんとの口論は絶えず、離婚の2文字が何度となくチラついた。ある日、写真屋さんで奥さんが作った年賀状の住所が一軒家ではなく実家になっていたことに僕はひどく落ち込んだ。さすがに悪いと思ったのか、奥さんは修正シールで住所を書き換えたりしていたが、その年に僕が年賀状を出すことは無かった。
まだどこかで、一年前のとてつもない孤独感から抜け出せないでいた。抜け出すどころか、心がどんどんこじれていく。人が消えてもぬけの殻になった2DKのあの部屋の光景が忘れられない。どうしようもない負の感情に囚われてしまっていた。今でも少し気分が落ちると、思いが蘇ってくる。これが矛盾していることは、落ち着いて考えればすぐに分かるのだが、いちど生じた心のわだかまりはそう簡単には消えないのだ。

ここから先は

0字

父親目線での三つ子育児日記 退院後の子育て開始から北海道移住まで

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?