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好きなら止めない、けれども

ついに、この日がやってきた。

三つ子たちが生まれた時、オークションで度々出回っていたRhodes MK1 suitscaseを安く入手していた。都内の前オーナーが自宅で持て余していた品で、買い取った時にはトレモロユニットは故障しチューニングばグズグズ、トーンバーはサビにサビまくって外装は所々破れかぶれ。そんな掘り出し物を専門店に持ち込み可能な限りレストアした。

しばらくは自分の仕事で使用していたが、北海道へ引っ越す際に一緒に持ち込んだのだ。少なくとも都内ではもっと状態の良い個体は山ほどあるので置いておく必要はない。しかし楽器の運搬だけで、そこそこの引越し費用と同じくらいの出費だった。道東の片田舎でこんな趣味性の高い(実用性のない)楽器を所有しているのはうちの家くらいだろう。常識的な家庭では、よくあっても生ピアノかギター、ドラムセットくらいで、ローズピアノなんか置いてあってもやたらデカくて重い、篭った音のする得体の知れない鍵盤楽器である。ただ、子供達が少しでもその類の音楽に興味を持った瞬間にその価値は一変するだろう。そう、ゆくゆく子供達が弾いて楽しんでくれるように、と願って入手したのだ。

ただ引っ越し当時は、子供達も2歳くらいで全く興味も示さなければ、デカくて重くて万一倒れでもしたら非常に危険な物体でしかないので、ひとまずは町の公民館に頼んで置かせてもらった。

公民館にはなんとリハーサルスタジオが併設されていて、近所の高校生や大人達が時折バンドの練習をしているらしい。月並みにマーシャルのギターアンプや、誰かの置いて行った錆びきったギター類や絶望的なチューニングのドラムセットが置いてある中に、調整されたローズピアノが鎮座している姿は滑稽だったが、しばらく置いているうちに誰かが弾いてくれるのも一興かと思っていた。

辺境の田舎町というのは、思いのほか耽美なチル系の音楽が若者の中で流行っていたりするものだ。公民館の近くには古くからのレコードショップなんかもあり、ちょっと育ちの良さそうな店主がくぐもった遅めのhiphop(最近ではchillhopと呼ぶらしい)を店内で掛けて雰囲気を出していたりする。 やたらとやかましい音楽で会話がかき消される都会の町ではなかなか味わえない光景だ。

そんなジャンルの音楽を扱っているわりには、店主にローズの話が通じなかったのは少し謎だった。いや、いまあなたがかけてるCDでずっと流れてるピアノっぽい音が、それなんだけど。

まぁ良い


幼稚園の年中に入った頃、長女がピアノを習いたいと言い始めた。父親の影響か、幼稚園の友達のそれか、そんなことはどうでも良い。すぐに公民館からローズを自宅のおもちゃ部屋へ運び込んだ。

待て、父親それじゃない。娘が弾きたいのはもっと音の硬いやつだ。もっと良くある種類の方だ。

近所のピアノ教室の体験レッスンに連れて行くことになり、先生宅へ尋ねる。住宅街の奥にある立派なログハウスで、中に入ると広々としたリビングにヤマハのミニグランドピアノが鎮座している。

絵に描いたようなピアニストの自宅。教室で使うと思われる小さなパーカッションや鈴、ギターやドラムセットも置いてあった。長女は恥ずかしそうに先生に挨拶したのち、早速ピアノの前に座らせてもらった。

少し親バカが混じるが、筋は良いらしい。楽器自体にも全く抵抗は無さそう。毎日ではないとはいえ、自宅では本職が色々な楽器を弾き倒しているわけなので、環境は一般の家庭とは訳が違う。音感も悪くないようでひと安心。週一回、水曜日での受講が決まった。

一緒に見学に来ていた長男もドラムセットに興味津々で、一緒にやらせてあげたいところだったが、長男は既に幼稚園の体育クラブに入ってしまっているのでひとまずそちらを優先させることにした。心配しなくても、どうしてもやりたければパパが家で教えてやる。実のところ、楽器は父親が教えれば充分なのかもしれない、が、各々何か1つ外で習い事をやらせてあげたかったのだ。それは親のプレッシャーからは別のところで行われた方が良いと思うのだ。何を習うかは、興味さえあれば何でも良いと思っていた。モノになるかどうかなんて、今は一切考えなくて良い。本当に好きになったなら、別に止めないけれども。

体験を終えて帰宅、早速習ってきた練習曲をおさらいしてみる。「ライオンさーん!」と呼ばれたら低い鍵盤をぶっ叩き、「ひよこさーん」と呼ばれると高い鍵盤を優しく撫でる。これをMK1でやっている姿はお洒落なのか滑稽なのか。何ともシュールな絵だ。


長男は小さなおもちゃの太鼓で遊んでいる。実は小さめのドラムセットも東京にあるけど、さすがに家には邪魔だしまだ危ないかな。そのうちお前にやるよ。

父親のささやかな夢が1つ叶った瞬間であった。

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父親目線での三つ子育児日記 保育園から幼稚園卒業まで

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