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【小説】流れ着きたる屍たち

 その湖岸には、しばしば異世界からの漂流物が流れ着いた。

 市場で小銭と替えられるものもあったが、ヘンミはむしろ知的好奇心から、毎朝早くに湖岸を歩き、目新しいものを拾って回った。
 いつものように木の枝で地面をなぞりながら、ときおり砂をひっくり返して歩く。

 複雑な造形の、柔らかく割れない、翡翠色の瓶があった。
 薄い金属と硝子を張り合わせた、小さな板があった。

 やがて今日の成果に満足し、そろそろ引き返そうかというころ、枝が何かにひっかかった。引っ張り上げると、埋もれていた背負い鞄が姿を見せる。

「やった」

 めったにない大物に、少女は胸を躍らせる。

 中には、上質な紙で作られた本が何冊もしまわれていた。
 ヘンミはそのうちの1つを取り出して読み始めた。つやのある真っ白な紙に、緻密な挿絵が、鮮やかな色でいくつも刷られていた。文字は均一で、おそろしく複雑だった。

(たぶん、〈外の国〉の歴史書だ)

 しばし、夢中になってページをめくったが、読み終える時間はない。
 あまり遅くなっては父親に叱られる。彼は愛娘が異世界の漂着物を熱心に蒐集することを嫌っていた。

 ヘンミは鞄を持ち帰り、それを秘密の宝物にすることに決めた。ベッドの下に隠した箱にしまい、こっそり読むために。

 本を開いたまま立ち上がると、ぐにゃり、と柔らかいものを踏みつけた。

 ――人の腕だ。

「きゃあっ!」

 ヘンミは最初、「それ」が水死体だと思って悲鳴を上げた。

 けれど、そうではない。

 それはたしかに人の形をしていた。しかし、人ではなかった。
 白い襟つきのシャツ、黒い細身のパンツ、革のベルト、いずれも上質で、このあたりでは見かけないものだ。
 横顔は痩せてあどけないが、背はかなり高いだろう。濡れて顔に張り付いた髪は、夜のように真っ黒だった。

 それらの特徴が、何を意味するのか、父から聞かされたことがある。

 異世界から流れ着く、生ける屍のことを。

【続く】

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