【小説】生命の初夜
さて、ぼくらはランデブーした。謎の研究機関と幾たびかの対決をくぐりぬけた23歳の夏、サン星系第3惑星地球人のぼくと、かに座55番星系e星人の彼女は今日、初夜を迎える。
町内初の星系外婚約のニュースは、実につつましやかに、地元の新聞の1面を飾った。
◆
新居の一室に、2枚の薄い布団が並べて敷かれている。ぼくと彼女はその上に正座して、向き合った。
はっきり言って、ここからどう、ことを進めるべきかは決めかねていた。40光年離れて育ったぼくらの文化の違いには常々驚くべきものがあったし、今日のこの日を迎えるまで、そういった話題になるのを避けてきた部分もある。
かろうじて共有しているのは、どちらの種族にも雌雄の区別があり、繁殖行為と夫婦のコミュニケーションが密接に関係しているケースが少なくない、という事実だけだった。
とはいえこれまでも、互いの愛情について、どのように表明するかという議論は行われてきた。
ぼくから願い出て、彼女を抱きしめて眠ったり、逆に彼女に乞われて、極めて敏感な個所を自由に触れさせることもあった。
その段階を経て、ぼくらは2人の抱く『初夜』のイメージに、さほど大きなズレがないことは確認していた。
それを裏付けるように、彼女は緊張した面持ちで、けれども、何かを期待する様子で、ぼくからそれを言い出すのを待っていた。
「……いいかな?」
ぼくが訪ねると、こくりとうなずいた。
擬態デバイスをオフにした彼女の顔には、人間でいう目の代わりに太い洞毛があって、周囲の様子をそれで確かめる。その小さなさざめきが、どんな高性能な翻訳機よりも鋭敏に、感情の機微を伝えてくる。
とびきりかわいいぼくのスパゲティ・ナポリタンちゃん。そう呼ぶと彼女は怒るけれど。
互いに、どこからスタートしたものかという逡巡があった。ぼくは迷いながらも、彼女のパジャマのボタンに手をかけて、1つ1つ外していった。
彼女も腕と、腰と肩のあたりから伸びる短い付属肢をぼくにからませて、それを受け入れた。とりあえず、第一段階は間違いではなかったことを確認して、ぼくは心の中でほっと胸をなでおろした。
「待って」
ボタンを外し終わり、下のパジャマに手をかけたぼくに、浅黄色のなめらかな鱗に包まれた上半身をあらわにした彼女が言った。
「自分で、その、できます」
やがておずおずと、ズボンの中から何かを取り出して、ぼくの布団の上にやさしく置いた。
手で握るのにちょうどよさそうな大きさの筒状のもので、その片側には小さな裂け目が空いていた。
それは地球で言う、いわゆる『ジョークグッズ』に、驚くほどよく似ていた。
もちろん、ぼくは混乱した。硬直し、すぐには動き出せなかった。はっきりさせなければならないタイミングが来たと思った。意を決してぼくは聞いた。
「これは?」
わからないことがあればそのままにせず聞くのが、ぼくらの絶対のルールだった。
彼女が答えた。
「これは、e星系人の外性器です」
◆
彼女が、かに座55番星系e星人の繁殖方法について、ぼくに耳打ちをした。たどたどしく、要領を得ない説明だったけれど、洞毛が鮮やかな蛍光ピンクの光を放って、彼女の一生懸命さを伝えてきた。
男性側の構造はどうやら地球人と似通っており、おおむね想像した通りの方法だった。e星人の母親たちは、このようにして子宮を含む外性器を取り外し、生まれるまでの赤子をそこで育てるのだという。
「地球人は、どのような方法をとるのですか?」
思えば、始める前に確認をとっておくべき項目だったが、とにもかくにもぼくも説明した。
彼女は「まあ」と驚きの声を上げ、いたく感嘆した様子でつぶやいた。
「ではお義母様は、あなたを10か月も、おなかの中に抱いていたの? それってすごいことだわ」
たしかにその通りだ。ぼくには、e星人のやり方のほうがずっと、進歩的に思えたけど、彼女の視点は少し違ったようだった。
◆
そこから、さきほどのムードを取り戻すのは、容易なことではなかった。
しかたがないので、ぼくたちは一度着衣を正し、再度、これから行う行為の意味するところについてのすり合わせを行うことにした。
これもどう考えてもあらかじめやっておくべきことで、改めて、今夜のことは勇み足であったと2人で反省する。
まず、ぼくは一般的に、e星人の若い男性が、どういう精神状態で男女の営みに向かうのかを、彼女に尋ねた。
ぼくが一番恐れていたのは、そこからあまりにかけ離れた、品のない態度を見せてしまい、彼女に軽蔑されることだったからだ。
彼女は付属肢を複雑に絡めて、思案のしぐさをしてから答えた。
「その、わたし、こういうことは初めてで……学生時代に、聞いた話で恐縮なのですが、翻訳機の精度を『きわめて口語的』に設定して説明するなら」
「うん」
「"晴れやかな空の下、春風を浴び、美しい花畑で小鳩と戯れる"ような心持ちがするそうです」
「そんな」
思わず、ぼくは動揺を口に出してしまった。自分の抱いていた心境と、あまりにかけ離れているように思えたからだ。
それを感じ取ったのか、彼女の表情が、青白い不安げな色にゆらめいた。
「……地球人は違うのですか? 地球人の男性は、どのような精神状態になるのですか?」
「人によって異なるから、一概には言えない。でも、ぼくの翻訳機の精度を『きわめて口語的』に設定して説明するなら」
「はい」
「"真夏の炎天下の中、ふんどし一丁で神輿のてっぺんに担がれ、和太鼓を乱れうつ"ような気持ちになる」
「そんな」
彼女は愕然とした表情で、ぼくを見た。そこに、40光年の理解の断絶を感じたのかもしれない。
その様子に、ぼくも大いにひるんだ。
「もし、きみが嫌なら、今日じゃなくても――」
「いいえ」
言いかけた言葉を遮るように、彼女がぼくの手を握った。
「わたしは、これから地球で暮らします。情緒のすれ違いなど、いくらでも経験することです」
「……うん」
「大丈夫です。きっと分かり合えます。……ううん、違う」
翻訳機が、ニュアンスがうまく伝えてないと判断したのか、彼女は軽く首を振った。
そして、すべての洞毛をぼくの顔に向けて、慎重に言葉をつづけた。
「2年半――うまく翻訳できていますか? 1年は、わたしたちの惑星が、恒星の軌道上を1回りする周期です。わたしたちの惑星ではそれを時間経過の尺度としても使います。産まれてからどれだけの時間が経過したかのひと区切りでもあります」
「うん」
「わたしは、2年半――我々の寿命からすると、決して長くない時間ですが――それでも、その時間をあなたと共有し、あなたがとても思いやりのある、優しい人間だと確信しています」
一方ぼくは、布団の上に置かれた、彼女の性器に眼を落した。
それをあまりじろじろと見るのは失礼になるだろうと思い、あくまでも目線の端で、その構造を確かめようとした。
見た目だけではなく、つくりも、あれとよく似ていた。裂け目からは、かすかな粘液の分泌があった。
「いける」と、ぼくも確信した。
「そして、こう思っています。あなたとならわたしはきっと、すれ違っても、分かり合えなくても、幸せになれると」
毅然と言い切る彼女を、安心させるように大きく頷いた。
「うん、きっとぼくも、同じ気持ちだ」
◆
しばしの間、ぼくと彼女は見つめ合った。
視線――もしくは洞毛の先端にある光源センサー――を交わしあいながら、ぼくはゆっくりと彼女に顔をよせ、口づけた。そして、地球人でいう口の部分に生えた無数の小さな触手の茂みの中から、特に鋭敏な部分を探り当て、舌を絡ませた。
彼女の洞毛が、さわやかなライムグリーンとポピーピンクのグラデーションにうっとりと揺れた。長いキスのあと、ぼくは考え得る限り最高のタイミングで、布団に置かれた『彼女』の上に、そっと手を置いた。
彼女がぴくりと身を震わせて、突如、すっくと立ち上がった。
「では、わたしは席を外します」
「待って」
そそくさと席を立つ彼女に、思わず声をかける。
彼女がきょとんとした様子で戻ってきて、ふたたびぼくの前に正座した。
「……あれ、待って。きみはここからいなくなるんだね」
「もちろんです。大事をとって……」
ちらりと、壁掛け時計の方に目を向ける。
「4時間ほどで戻りますので、それまでに、終わらせておいていただければ……」
「30分でいいかな」
ぼくは即座に訂正する。
「30分」
彼女がオウム返しをする。
「それは30分でいいけど。でも、そうか、見ててはくれないんだね。」
「――っ!? えっ……と……」
その発言に、いままでにないくらい彼女が動揺した。触手と付属肢の両方が、猫の毛のようにぴんと逆立った。
「……かに座55番星系e星人では、その――行為を他者に見られることは、非常に恥ずかしいことだと考えられています」
おずおずと、ぼくの顔を覗き込むように首をかしげる。
「……地球人は恥ずかしくないのですか?」
「地球人は、その」
ぼくは額の汗をぬぐい、すけべ心の弁明をするときのばつの悪い気持ちで、ごにょごにょと口にした。
「恥ずかしいけれど、その恥ずかしいのも共有したいというか……」
一瞬、彼女が無言になり、か細い付属肢を思案げにゆらめかせた。ぼくはそこに、恥じらいとためらいのサインを見とめた。
「あの、やっぱり……」
いいよ。と僕が言う前に、それを遮って彼女が言った。
「その……わたしは夫婦として、互いの文化に……歩み寄れたら……で、でも……」
洞毛をくねらせ、身をよじりながら、かろうじて絞り出したような小さな声だった。
「でも、でも今日は……あまりに突然で……」
真っ赤に明滅する彼女の触手の先端を眺めているうち、ぼくは胸の中が、とても暖かい感情で満たされていくのを感じた。
信じられないほど幸福なことだと思った。こんなにいとおしい相手が、こんなに近くにいて、そして、一生懸命、ぼくに応えようとしてくれていることが。
「うん、大丈夫だよ」
ぼくは"晴れやかな空の下"にいるような気持ちで、彼女にほほ笑みかけた。
「ありがとう」
◆
伝統的なゴム製避妊具の用意はあったが、彼女によると、e星においては服薬によるものが一般的であり、そのような文化はないという。また当然ながら、地球人とe星人との間に子どもができた例はない。
ぼくらは再三、保健所とNASAの検査を受け、2人の体液や、身体にまとわりつく種々の細菌が、互いに悪影響を与えないことは確かめていた。
ゆえに、ぼくはその日、それを使用しなかった。
意を決して、彼女の中に身を滑らせる。
思いがけないひんやりとした感触が、ぼくを包み込んだ。
最初、それは普段通りいかず、ぼくは外部刺激に頼ろうかと、端末の映像作品に手を伸ばして、やめた。それをやったとき、僕の心に浮かんだが感情が何か、変質してしまう気がしたからだ。
そこに神聖さを見出したわけではない。このこと自体は、重要な要素ではないし、いつかはそうする日も来るだろう。
だけど、今日でなくてもいい。そう思った。
地球時間にして2年半の間、ぼくは彼女と過ごした。1秒1秒が、それまでの味気ない時間が嘘のように、色づき、輝いて見えた。
かつてのぼくは自分の孤独に気づかなかった。
けれどぼくの孤独は彼女によって暴かれ、今、1人でいることにこんなにも胸が苦しい。
愛しい、愛しい。とぼくは思う。
「あっ」
その瞬間、ぼくはぎゅっと目をつぶり、右手の動きを止めた。
10秒か、20秒か、そのくらいの間、生まれたての赤子のように身を丸めた。
「はあっ……」
ぼくは荒い息をつきながら、右手に握った彼女に声をかけた。
「……どうだった?」
もちろん、返事はなかった。それで終わった。
壁掛け時計の音だけが、こちり、こちりと聞こえてくる。
ぼくは布団に寝そべり、蕩然と天井を眺めながら、彼女が戻るまであと25分、1人でどうやって時間をつぶそうかと考えていた。
(了)
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