【小説】エルフの結婚 #4
その晩もうまく寝付けず、あたしは夜の散歩と言いながら、タバコを吸いに外に出た。
我が家の裏には湖があり、湖に張り出た木製の渡り廊下の先には、水上に浮かぶ東屋がある。
【ガードルート! ヒサシブリ!】
渡り廊下を歩いてるあたしに、光霊たちが声をかけてきた。蛍のような光を放ちながら、あたしの周りを楽し気に飛び回る。
こういうの、本当に久しぶりだな。と思いながら、パイプに灯をともすと、精霊がキーキーわめいて注意してきた。
【キンエン! キンエン!】
「大丈夫、魔法のやつ。火は使わないやつだから」
そういう問題でもないのだろう。煙の臭いそのものが嫌なのか、精霊たちは驚くべき敏捷性でどこかへと散って行ってしまった。
あたしは東屋のベンチに腰掛け、煙を吐き出した。しばらくぼうっとしていると、渡り廊下をこちらに向かって歩いてくる人影がある。
眼鏡がなかったので、あたしはほんとうに近づいてくるまでそれが誰だか分らなかったが、やってきたのは、寝間着姿の妹だった。
「お姉ちゃん?」
彼女があたしの姿を見つけて、意外そうな顔を浮かべる。
「こんな時間にどうした」
あたしは予想外の邂逅過ぎて、間抜けにも、お互い様としか言えない質問をしてしまう。
「変な時間に寝たから、さっき起きたの。緊張してたせいか、眼が冴えちゃって……眠くなるまで、精霊たちとお話しようと思って」
それは悪いことをした、やつらなら今しがた蚊取り線香を炊いたせいで逃げて行ってしまったところだ。
そう言ったところ、妹はちょっと困ったように笑いながら、控え目なガッツポーズをして小首をかしげた。
「でも、お姉ちゃんとも話したかったから、逆にラッキー?」
かわいいやつめ。こいつは自分のかわいさを分かっていて、けっこうこういうしぐさをする。
スピカは腕を背中で組んで、軽く左右に揺れながら周囲をぐるりと見まわした。
光霊たちの光が、夜の湖の上で、ひそやかな輝きを放って揺れている。
昨日と打って変わって、おだやかな表情だった。
「街の生活はどう? お母さんと、心配してたんだ。あんまり、治安が良くないって聞くし。エルフを狙った犯罪も多いって……」
「……でも、スリとか、押し売りとか、かわいいもんだよ」
「かわいくない。ぜったいに」
スピカが顔をしかめた。あたしは、そういえばまだ言ってなかったと思い、タバコを中断して、彼女に向き直った。
「スピカ、結婚おめでとう。昼は、ばたばたしてて言えなかったから」
あたしは本当にそう思っていることが伝わってほしくて、できる限りの真面目なトーンで言った。
「それとごめんな」
加えて、様々な意味合いを込めて詫びる。
「実は、少し心配してたんだ。お前が、親父に言われて、好きでもない相手と結婚するんじゃないかって。……ほら、森はいろいろ、古いからさ」
ちょっと重くないか? 大丈夫か?
お姉ちゃんをウザがらないでくれ、スピカちゃん。
あたしが言うと、彼女は本当におかしそうに笑った。
「もう、何十年前の話をしているの」
「何十年前って、最近だろ」
「ふふ」
スピカが東屋の手すりに手をかけて身を乗り出した。湖の向こう岸にずっと続く森を眺めながら、彼女はこっちを見ないままで聞いた。
「……もし、わたしが本当にそうだ。って言ったら、お姉ちゃんどうするの」
実際には、彼女の手紙からつたわる様子から、そして昔から知るコノワの人格から、そういう状況は想定していなかった。
けれど、もし本当にそうなら。を考えれば、何が何でも、彼女を森(ここ)から連れ出そうとしただろう。
あたしは思いつきを、けれど、正直にそのまま答えた。
「お前がそうしたけりゃ、街に来ればいいよ。アパートの隣の部屋が空いてる。実は、洗い物が溜まっててさ。洗濯屋に行くのも、おっくうなんだ。手伝ってくれるとうれしい。近くには美味いパン屋もあるし、緑が恋しけりゃ公園もある。風呂場は、すこし狭いけど」
「……楽しそうだね」
彼女がほほ笑んだ。声には、かすかな憂いの色があった。
「わたしは、同じ森の中でさえ、家を出るのは寂しいのに。お姉ちゃん、1人で寂しくない? 帰って、来たくならない?」
「そういう日もあるよ。けど、あたしは、あの街が好きなんだ」」
答えながら、あたしは何だか恥ずかしくなって、たまらずタバコを再開する。
「あの街の人たちは、いっしょにいるときも、あたしを1人しておいてくれる。あたしは、それが心地いんだ」
立ち上がって、横に並んで湖を眺める。んー。と、スピカが伸びをした。
「わかんないなー。わたしは、できればいつも、誰かといっしょだって感じていたいもの」
「それが好きな相手じゃなくても?」
「……コノワは素敵な人よ。クールで、かわいくて……」
「ユーモアはないけど」
「知らないだけ。結構、お茶目なところもあるんだよ」
「ねえ」とスピカがこっちを見た。真剣なまなざしで、あたしの顔を覗き込んだ。
「――お姉ちゃんがどれだけ、1人でいようとしても、それでも、お姉ちゃんはわたしたちの家族で、エルフだよ」
夏の夜風が、あたしたちを撫でた。スピカの長い銀髪が、ふわりと広がって、湖の光を反射してきらきら輝く。
これはあたしにとっての『託宣』だ。外れかけた人生を元に戻すチャンスがあるなら、きっとここが、その1つなのだ。
「『ほんとうの1人になんか、なれっこないのよ』」
「……わかってるよ」
あたしはそれに答えなかった。返事はしたけれど、応じなかった。
あたしはもう、外れたまま生きていく。これからもずっと。
「わかってる」
「わかってるだけじゃなくて、喜んで」
なんだかほんとうに悲し気な表情で、スピカが言った。
「そんな顔しないで」
あたし? あたし今? どんな顔してる。自分で全然分からないんだけど。
彼女が近づいて、抱き寄せてくれた。一方のあたしはというと、つったったまま、拗ねた子どもみたいに言い返すことしかできなかった。
「うれしいよ。ちゃんと」
スピカが腕の力を強めた。今さら気づいたけど、彼女はあたしより、ずっと背が高い。
「……お姉ちゃんの家、見てみたくなったな。洗濯物、溜まってるの?」
「ああ……でも、少しだよ」
「本当? 甘いものだけじゃなくて、ちゃんと栄養のあるものも食べてね」
「うん」
「お酒飲みすぎないで、髪はちゃんと洗って」
「うん」
「心配だよ。長生きしてね」
「……うん」
さっきからずっと、涙声だ。泣かないでおくれよ。
いったい誰だ。あたしのかわいい妹を、泣かすやつは。
「元気でね」
「うん、スピカも、元気で」
◆
帰りは迷わなかった。1週間ぶりの我が家の戸を叩くと、リラックスした服装のスヴェンが出迎えた。
2日と半日の復路を終えて、運動不足のあたしの脚はもう限界だった。靴の中が汗で蒸れて、とにかく気持ちが悪い。
そんなボロボロのルームメイトを迎えておきながら、スヴェンの第一声はあんまりな内容だった。
「先輩……またちょっと太ったんじゃないですか」
「――え、実家でウマいもん食って、だらだらしてたからかな……」
納得がいかない、こんなに運動したのに。多分疲れて顔がむくんでるだけだろ。そうであってくれ!
「それ以上太ったら、嫁の貰い手なくなりますよ。マジで」
「エルフ女は少し太ってるくらいがモテるんだよ。よく孕みそうで」
「何スかそれ」
彼女が苦笑いを浮かべる。おまえも嫌いじゃないだろ。とは、あたしは言わなかった。
「妹サン、元気でした?」
「元気だったよ。ラブラブだったし」
あたしは大荷物を降ろし、椅子にどっかと尻を落とした。スヴェンが持ってきてくれた、冷たい飲み物を一気に飲み干す。
お土産を渡すのはあとだ。早く休ませてくれ。
「スヴェン、あたしフラれたんだよ」
「誰に!?」
スヴェンが驚くべき速度で反応した。おい、そんなに嬉しそうな顔、初めて見たぞ。
「妹に」
そう言うと、ちょっとがっかりした感じで、「なんだ」と言いながらあたしの肩に手を置いた。
「……お風呂沸かしてますけど、入ります?」
入る。とあたしはぶっきらぼうに答えた。今はとにかく熱い風呂に入って、温かいふとんに潜り込み、泥のように眠りたかった。
【了】
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