許すな!カレー理論
「暗い美人より明るいブスの方がマシってことね~女の青春は・・・・」
これは,名作ジョジョの奇妙な冒険第四部で言われたセリフだが,私はこのセリフに強い違和感を覚える。なぜなら,私は,暗い美人の方が好きなのだ。これは,明るいブスと比較して好きという訳ではなく,「明るい美人」よりも普通に「暗い美人」が好きなのである。
一方で,このセリフには「明るい美人」が最高の状態であるという前提が垣間見える。この前提の上で,「明るい美人」を「明るい」と「美人」に要素分解した場合,効果が強いのは「美人であること」よりも「明るいこと」なので,明るいブスであることを推奨していると考えられるが,私にとっては「明るい美人」が最高であるという前提がそもそも違うので違和感を抱くのである。
このような一般的前提を盾に振りかざす理論は他にも考えられ,卑近な例では「カレー理論」がある。
これは,「国民みんなが大好きな食べ物と言えば~?」という命題に対して
ラーメンとカレーと答えてしまうことである。
ラーメン,これは分かる。めっちゃ好き。
ただしカレー,お前はだめだ。な~にレギュラー顔しちゃってんの??
別にカレーが嫌いという訳ではないし,好きか嫌いかで言えば好きである。しかし,ラーメンと並んで,ザ・国民食という社会的前提はおかしい。だって,こんなの,米に煮込んだ野菜乗っけただけじゃない(空気の読めないゴロリ風)。
それにも関わらず,「おっしゃ!みんな大好きやろうし,オッちゃん奮発してカレーご馳走しちゃうゾ!」と,まるでカレーを嫌いと言ったら非国民と言われてしまいそうな昨今の風潮に辟易している。
カレーを振る舞うという行為は,一見,善意以外の何物でもないと見えるかもしれないが,実はその裏には情報統制,思考スパイ,没個性など我々を危険にさらす様々な事象が隠れているのだ。
明るい美人の例とも共通して言えるのは,みんながみんなそうじゃないのに,まるでみんなこれがナンバーワンみたいな前提で理論を組み立てないでほしいということだ・・・・(カタカタ)ダイヴァーシティが・・・(カタカタ)ますます加速すると考えられるグローバル社会において・・・(カタカタ)我々人類がすべからく持つべきスキルなのだ・・・・と(カタカタ)
ふ~書ききったな~今日も今日とて俺様のセンスがキラリと光る文書が書けちゃったな~。やっぱり俺様は文章も書けるし,センスもあるし,なにより,絶対にぶれない価値観があるもんな~。盲目的に明るい美人とカレーをありがたがってる衆愚共とはここが違うぜ~。
(ピンポーン!)
「(は?こんな時間に誰や)はーーーい!今行きます!」
(ガチャ)
明るい美人「あ,こんにちは!こんな時期にすみません!!ワタシ,昨日隣に引っ越してきた明子って言います!!!ちょっとカレー作りすぎちゃったんで,よっかったら一緒に食べません????カレーお好きですよね・・??」
はぁ~~ヤレヤレ・・
24杯食べた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?