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♢和讃の時間;Time of WASAN ♢(random){Last updated:2023/07/01}


♢和讃の時間;Time of WASAN ♢ 

(random)
{Last updated:2023/07/01}


『浄土和讃』より
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諸仏の護念証誠は  悲願成就のゆゑなれば
金剛心をえんひとは 弥陀の大恩報ずべし

清風宝樹をふくときはい つつの音声いだしつつ
宮商和して自然なり 清浄勲を礼すべし

平等心をうるときを 一子地となづけたり
一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし

若不生者のちかいゆゑ 信楽まことにときいたり
一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ

たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり

自利利他円満して 帰命方便巧荘厳
こころもことばもたえたれば 不可思議尊を帰命せよ

一々のはなのなかよりは 三十六百千億の
光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし

染香人このその身には 香気あるがごとくなり
これをすなはちなづけてぞ 香光荘厳ともうすなり

『高僧和讃』より
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尽十方の無礙光は 無明のやみをてらしつつ
一念歓喜するひとを かならず滅度にいたらしむ

本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに
念仏一門ひらきてぞ 濁世末代をしへける

真の知識にあふことは かたきがなかになほかたし
流転輪廻のきはなきは 疑情のさはりにしくぞなき

濁世の起悪造罪は 暴風駛雨にことならず
諸仏これらをあはれみて すすめて浄土に帰せしめり

五濁悪世の衆生の 選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり

☛西路を指授せしかども 自障障他せしほどに
曠劫以来もいたづらに むなしくこそはすぎにけれ

☛弘誓のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆をいでん
 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし

生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける

罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし

名号思議ふの海水は 逆謗の屍骸もとどまらず
衆悪の万川帰きしぬれば 功徳のうしほに一味なり

男女貴賤ことごとく 弥陀の名号称するに
行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさわりなし

本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし

久遠劫よりこの世よまで あはれみましますしるしには
仏智不思議につけしめて 善悪・浄穢もなかりけり

無礙光の利益より 威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこほりとけ すなはち菩提のみづとなる

『正像末和讃』より
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『弥陀の本願信ずべし  本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり』

『不思議の仏智を信ずるを  報土の因としたまへり
信心の正因うることは  かたきがなかになほかたし』

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねを砕きても謝すべし

無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ

末法五濁の有情の 行証かなはぬときなれば
釈迦の遺法ことごとく 竜宮にいりたまひにき

正像末の三時には 弥陀の本願ひろまれり
像季・末法のこの世には 諸善竜宮にいりたまふ

弥陀智願の広海に 凡夫善悪の心水も
帰入しぬればすなはちに 大悲心とぞ転ずなる

仏智うたがふつみふかし この心おもひしるならば
くゆるこころをむねとして 仏智の不思議をたのむべし

弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ 有情をよぼうてのせたまふ

弥陀大悲の誓願をふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく南無阿弥陀仏をとなふべし

他力の信心うるひとを うやまひおほきによろこべば
すなはちわが親友ぞと 教主世尊はほめたまふ

煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり

『響流和讃 : 恩徳讃歌』(2001年作)
【親鸞聖人750回大遠忌記念献歌:2011年】
『響流和讃:こうるわさん』

★親鸞聖人御作;恩徳讃
如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし

★親鸞聖人御作
無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ

★親鸞聖人御作
願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず

 ★北條不可思献詩
弥陀の本願(ねがい)をたずぬれば 
さまよう我ら(泥凡夫の私)がためなりと
智慧慈悲際無き MAMO-AMIDA
あやしき闇夜に 響きおる

★ 親鸞聖人御作;恩徳讃
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
骨をくだきても謝すべし

Copyright
© 2001,2006 renewed 2009 by Special JION Music

WASAN BY SHINRAN SHONIN

❝親鸞聖人の御和讃はそのままが尊く、懐かしく、有難い
それでもなお湧き起こる言の葉があるなら詩を書き讃歌すればよい❞  
NAMOWAMIDABUCHI/Song & BowzuMan

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フォト・ドキュメント
親鸞聖人大谷本廟750回大遠忌記念
献歌コンサート「恩徳讃歌」 (2009年)
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-194.html

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⋆*****⋆
縁絆・野聖メッセージコンサートでは、
洋装の法衣と帽子を着けることが多い
理由としては、戦争中 この法衣を着け 各宗派の僧侶が
銃器を携帯し従軍したそうだ。
愚生は、銃器ではなく、ギターを抱え
「命の尊厳」「心の平安」 「真の縁と絆」
をテーマに 非戦(悲戦)の深意を
詩曲に込めて  歌い語るという尊きご縁を頂き
深謝のおもい 言葉に尽くせない。
帽子については、愚生にとっては叔父にあたるのだが
彼は、脳膜炎で幼くして人寿を終えた。
息を引き取る前に帽子をかぶり
笑みを浮かべて5歳の人生が終わったそうだ。
このことへの言葉にならぬ愚生なりの表現。
そして、祖師『親鸞聖人の笠のお姿』への
"Song & BowzuMan”としてのオマージュ。

南無阿彌陀佛:NAMOWAMIDABUCHI
―北條不可思―
法名・釋難思

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『曇り硝子の四行詩』
(2021年作)
作詩・作曲 北條不可思
WRITTEN BY: FUKASHI HOJO


馬鹿なMONK(僧侶)の絵空事 語りつくせぬ独り言
言の葉,紡ぐ老詩人【その実(unvoiced)】 空を見つめてうわの空
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻を踏む~ だから 音符は宇宙を舞う
夢と悪夢の空遠く 幸い住むと鷽(うそ)が啼く
今も昔も 未来まで 幸い住むと鷽(うそ)が啼く
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻を踏む~ だから 音符は宇宙を舞う
表拍子と裏拍子 凍(い)てつく瞼)の変拍子
朝な夕なの念佛は 閻魔が阿弥陀に還る音
人の心の奥の底 曇り硝子の四行詩,
詩人が韻を踏む~ だから 音符は宇宙を舞う
-親鸞聖人の御和讃を念ふ-
親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年(2023年)を機縁に。
Produced by GURAGYU
Copyright © 2021 by Special JION Music
Fantasia Records de JION MusicFactory


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❝Song&BowzuMan❞
【Born】
October 14, 1961
Hiroshima, JAPAN

浄土真宗本願寺派 僧侶
シンガーソングライター
1961年生まれ:広島県出身
1981年得度

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❝ 新型コロナウイルス ​❞​​​​​
敬愛する友よ​​-
お気​を付けて-


♦♦♦唯信:九坊院より言の葉だより♦♦♦
​&
​​​​♢和讃の時間;Time of WASAN ♢​2020-2023
​​​​​Me​ssage from KUBOUIN
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1964年


世襲の継承の多い浄土真宗の寺院の子女はよく聞かされる話がある。
「お寺に生まれたのはそれだけ阿弥陀様のご心配」
ものごころついてからは
「どうであってもお佛飯で育てられていることを忘れないように」
因みに愚生の離乳食はお佛飯のお粥さんだったそうだ。
両親は一度も僧侶になること、お寺を継ぐことを強制したことはない。
気がつけば“Song & BowzuMan”歌うお坊さん。

自由なのか、不自由なのか
封建なのか、否か
洗脳なのか、洗心なのか
 
今となってはどうでもよい。
わが人生は、他人の人生ではないのだから。
お恥ずかしながら
他者の気持ちに寄り添える程の余裕と力は・・・ない。
まことにお恥ずかしいかぎり。

我は何者?
何に生き、何に死ぬかは全くの自由だ。
何を信じ、何を信じないかは
完全にその人の意思。

《自由と尊厳》
如何なる状況下であろうとも
好き嫌いを離れ何人であろうとも
「あるがままにありのままです」
「ありのままにあるがままです」

信教の有る無しを
せせら笑うように
偶々今も限りある一息をしている。

次の瞬間のある保証は何人にもない。

実際

・・・詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうへは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、
面々の御はからひなりと[云々]。
歎異抄 第二条より
ありがたく、なつかしく、かたじけない
祖師聖人の尊い言の葉です。

縁絆

ENBAN

“彌陀の本願を縁じ、念佛を絆ず”
~この穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
NAMOWAMIDABUCHI
愚螺牛

北條不可思
法名:釋難思

“Song & BowzuMan”
Monk

(Buddhism: Jodo Shinshu Hongwanji‐Ha & singer-songwriter)
​ 浄土真宗本願寺派 僧侶/1981年得度♦シンガーソングライター
💎💎💎

"Song & BowzuMan”since 1981
&
ENBAN・ YAHIJIRIMONOGATARI
 “縁絆・野聖物語” 
message concert endlesstour since 1996

💎縁絆・野聖 EndlessTour 眞信讃歌 18minutes💎

ENBAN:縁絆 “彌陀の本願を縁じ、念佛を絆ず”
~この穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~

💎プロフィール&リンク:note:💎

【Activity history/活動略歴;1961~2010​】​​​#2​​
​【Activity history/活動略歴;2010~2023】​​​#3​


{道化の涙は弥陀の慈悲}
南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU
『心に慈慧の響きと平安を』
北條不可思


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