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♦♦♦唯信:九坊院より言の葉だより♦♦♦​​​​​&♢和讃の時間;Time of WASAN ♢​Me​ssage from KUBOUIN 


♦❖♦唯信:九坊院より言の葉だより♦❖♦​
💎和讃の時間;Time of WASAN 💎
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唯信◆2024(令和6)年 4月号


​唯信◆2024(令和6)年4月号

謹みて 有縁の皆様におかれましてはお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。新年度を迎え、新生活を始めた方も大勢いらっしゃる事と存じます。一方、昨日と今日に特段の変わりがない方もおられるでしょう。

だが、誰もが〝変わらない瞬間〟を我が身に留めおく事は叶わず、儚い諸行無常のただ中に有限の命を生きていますが、ご本願をお聴聞するご仏縁に遇わせて頂けば、無量寿無量光という限りのない〝永遠の今〟を阿弥陀さまに活かされ生きていると知らされます。 

いかなる人生であろうとも、「この私」が阿弥陀さまの救済の目当てであることをどんな時でも心に据えておきたいと存じます。一切の条件なく、『我が願いを信じ我が名を呼んで下さい。必ずすくいます』と誓われた阿弥陀さまに佛恩報謝のお念仏を申し上げるばかりです。

     *

南無阿弥陀仏をとなふれば    (なもあみだぶつをとなふれば)

四天大王もろともに       (してんだいおうもろともに)

よるひるつねにまもりつつ    (よるひるつねにまもりつつ)

よろづの悪鬼をちかづけず    (よろづのあくきをちかづけず)

【意訳】南無阿弥陀仏を称える身になると、四天王はみなともに、昼夜を問わず常に護ってあらゆる邪悪な鬼を近づけない。

四天王…須弥山(しゅみせん)の中腹に住し、帝釈天に仕えて仏法を守護する神々。すなわち東方の持国天(じこくてん)、南方の増長天(ぞうじょうてん)、西方の広目天(こうもくてん)、北方の多聞天(たもんてん[毘沙門天/びしゃもんてん])をいう。 

(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)

     *

 親鸞聖人さまは、四天王とあがめられる神々が、阿弥陀如来さまの智慧と慈悲のはたらきが尊く、真に完成されたさとりの道がゆるぎない理(ことわり)だと得心されて、阿弥陀仏に自主的に忠誠と守護を誓い、真実信心を護られている事を讃えて詠まれました。本願念佛に生きる「私」を、四天王は皆ともに、いつでもどこでも夜も昼もなく護ってくださっているとお示しされた和讃です。尊い神々は古来より人々を魅了して、各地の仏閣で大切にご安置されていますから、姿かたちに親しみを覚えますが、「冥衆(みょうしゅ)」と称され、私たちには、その実相を見ることは出来ません。

 悪鬼は、仏道を害する夜叉や羅刹などを指しますが、本当の悪は我が心のうちに巣喰うている疑いやおごりたかぶりや邪(よこしま)な、決して滅することの出来ないうごめく感情です。まさに、無明煩悩の闇です。

しかしながら、親鸞さまは「煩悩具足、地獄一定の私」こそが阿弥陀如来さまの救いの目当てだと教えて下さいます。「私」がご本願を信じ、お念仏を申させて頂くことこそ阿弥陀如来さまの大慈大悲そのものです。 

私の身をもって称えている『ナモアミダブツ』ですが、称えせしめられている不思議です。本当に阿弥陀さまのひとりばたらきは不思議です。

 この不可思議な阿弥陀さまのお慈悲が「私」をお念仏喜ぶ身にお育て下さるのです。お念仏と共にある暮らしは『当たり前』ではないと深く知れば、おのずと四天王のご加護までもが「おかげさま」と知らされます。

​誠に​有難く、真に尊き如来大悲の生死(しょうじ)出ずるべき〝おかげさま〟を賜って〝ありがと​う〟のお念仏を共々に申させて頂く日暮しを送らせて頂きましょう。​​​    

​​合掌称佛 住職 北條不可思​​ 


♦🔷唯信:九坊院より言の葉だより🔷♦

このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる

浄土真宗本願寺派眞信山 蓮向寺

【相模原市当麻・九坊院】 有縁の方々にお送りいたしました通信です。


◇ひっそりささやく愚螺の牛◇

~「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の幻影~
{御影向の眼差し}#2

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然聖人)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。
念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。 たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。…

弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり

正像末浄土和讃
夢告讃

無明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ
正像末和讃

願力無窮にましませば
罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば
散乱放逸もすてられず
正像末和讃

「本願を信じ念仏を申さば仏になる」
歎異抄第12章より

聖人(親鸞聖人)のつねの仰せには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
歎異抄第18章より

~この逆謗の穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~

南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU


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❝白道の願船❞『野の聖』
1986年 
Drawing By Fukashi Hojo :cassie
 

知人曰く: 「陽の沈む西方に向かう白道を歩いているようにも、
船に乗り海を渡り西方に向かっているようにも見える」そうだ。
野聖物語★★★親鸞聖人
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-243.html
北條不可思
浄土真宗本願寺派 
《本山 西本願寺♦首都圏 築地本願寺》
広島・呉市:蓮向寺 住職 {安芸教区安芸南祖}


http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-11.htmlSilk Road; photographCopyright © DAIJI HOJO JAPON
敦煌;絹の道 仏様の道 撮影;北條大慈 
北條大慈
浄土真宗本願寺派 
《本山 西本願寺♦首都圏 築地本願寺》
神奈川:相模原市:蓮向寺 住職 
{東京教区神奈川祖}


北條大慈《東京教区神奈川組蓮向寺住職》北條不可思 :釋難思《安芸教区安芸南組蓮向寺住職》 

♦🔶♦唯信:九坊院より言の葉だより♦🔶♦
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♢和讃の時間;Time of WASAN ♢​

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このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる
浄土真宗本願寺派 眞信山 蓮向寺【相模原市當麻九坊院】
有縁の方々にお送りいたしました通信です。

九坊院より言の葉だより♦

♦唯信:九坊院より言の葉だより&和讃の時間♦


"Song & BowzuMan”

北條不可思
法名:釋難思


💎唯信◆2024(令和6)年 4月号💎

唯信◆2024(令和6)年2月号{休筆}

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❖和讃の時間;Time of WASAN❖

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『浄土和讃』より

南無阿弥陀仏をとなふれば 四天大王もろともに
よるひるつねにまもりつつ よろづの悪鬼をちかづけず

善知識にあふことも(ぜんぢしきにあふことも)
をしふることもまたかたし(をしふることもまたかたし)

よくきくこともかたければ(よくきくこともかたければ)
信ずることもなほかたし(しんずることもなほかたし)

☛十方微塵世界の (じっぽうみじんせかいの)
念仏の衆生をみそなはし (ねんぶつのしゅじょうをみそなはし)

摂取してすてざれば (せっしゅしてすてざれば)
阿弥陀となづけたてまつる (あみだとなづけたてまつる)

諸仏の護念証誠は (しょぶつのごねんしょうじょうは)
悲願成就のゆゑなれば (ひがんじょうじゅのゆえなれば)

金剛心をえんひとは (こんごうしんをえんひとは)
弥陀の大恩報ずべし (みだだいおんほうずべし)

清風宝樹をふくときはい つつの音声いだしつつ
宮商和して自然なり 清浄勲を礼すべし

平等心をうるときを 一子地となづけたり
一子地は仏性なり 安養にいたりてさとるべし

若不生者のちかいゆゑ 信楽まことにときいたり
一念慶喜するひとは 往生かならずさだまりぬ

 ☛たとひ大千世界に みてらん火をもすぎゆきて
仏の御名をきくひとは ながく不退にかなふなり

 ☛自利利他円満して 帰命方便巧荘厳
こころもことばもたえたれば 不可思議尊を帰命せよ

一々のはなのなかよりは 三十六百千億の
光明てらしてほがらかに いたらぬところはさらになし

染香人このその身には 香気あるがごとくなり
これをすなはちなづけてぞ 香光荘厳ともうすなり

『高僧和讃』より

尽十方の無礙光は 無明のやみをてらしつつ
一念歓喜するひとを かならず滅度にいたらしむ

本師源信ねんごろに 一代仏教のそのなかに
念仏一門ひらきてぞ 濁世末代をしへける

真の知識にあふことは かたきがなかになほかたし
流転輪廻のきはなきは 疑情のさはりにしくぞなき

濁世の起悪造罪は 暴風駛雨にことならず
諸仏これらをあはれみて すすめて浄土に帰せしめり

五濁悪世の衆生の 選択本願信ずれば
不可称不可説不可思議の 功徳は行者の身にみてり

☛西路を指授せしかども 自障障他せしほどに
曠劫以来もいたづらに むなしくこそはすぎにけれ

☛弘誓のちからをかぶらずは いづれのときにか娑婆をいでん
 仏恩ふかくおもひつつ つねに弥陀を念ずべし

生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
 弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける

罪障功徳の体となる こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし さはりおほきに徳おほし

名号思議ふの海水は 逆謗の屍骸もとどまらず
衆悪の万川帰きしぬれば 功徳のうしほに一味なり

男女貴賤ことごとく 弥陀の名号称するに
行住座臥もえらばれず 時処諸縁もさわりなし

本願力にあひぬれば むなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし

久遠劫よりこの世よまで あはれみましますしるしには
仏智不思議につけしめて 善悪・浄穢もなかりけり

無礙光の利益より 威徳広大の信をえて
かならず煩悩のこほりとけ すなはち菩提のみづとなる

『正像末和讃』より

自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず
常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべき

往相回向の大慈より還相回向の大悲をう
如来の回向なかりせば浄土の菩提はいかがせん

『弥陀智眼の広海に 凡夫善悪の心水も
帰入しぬればすなはちに 大悲心とぞ転ずなる』

『弥陀の本願信ずべし  本願信ずる人はみな
摂取不捨の利益にて 無上覚をばさとるなり』

『不思議の仏智を信ずるを  報土の因としたまへり
信心の正因うることは  かたきがなかになほかたし』

如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も ほねを砕きても謝すべし

無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ

末法五濁の有情の 行証かなはぬときなれば
釈迦の遺法ことごとく 竜宮にいりたまひにき

正像末の三時には 弥陀の本願ひろまれり
像季・末法のこの世には 諸善竜宮にいりたまふ

弥陀智願の広海に 凡夫善悪の心水も
帰入しぬればすなはちに 大悲心とぞ転ずなる

仏智うたがふつみふかし この心おもひしるならば

くゆるこころをむねとして 仏智の不思議をたのむべし

弥陀・観音・大勢至 大願のふねに乗じてぞ
生死のうみにうかみつつ 有情をよぼうてのせたまふ

弥陀大悲の誓願をふかく信ぜんひとはみな
ねてもさめてもへだてなく南無阿弥陀仏をとなふべし

他力の信心うるひとを うやまひおほきによろこべば
すなはちわが親友ぞと 教主世尊はほめたまふ

煩悩にまなこさへられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり


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