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佐藤奈々美 ―Last Message― #3

佐藤奈々美(さとう ななみ)
1996年8月1日生まれ。北海道出身。両親と2人兄もバスケットボールをするバスケ一家。そのシュート力とユーティリティ性を活かし、チームになくてはならない存在として活躍。山の手高校卒業後、トヨタ紡織サンシャインラビッツに入社。2020-21シーズンより日立ハイテククーガーズへ移籍し、活躍。2023-24シーズンを持って現役を引退した。

#1と #2はこちら

私のプレーを見て、何かを感じてくれていたら

宮本 最後に引退を決めた理由、そしてこれからどんなことをしていきたいか。今の考えを聞かせてもらいますか?
佐藤 引退を決めた理由として大きかったのは怪我ですね。ここ2年ぐらいは脛の疲労骨折抱えながらプレーをしていました。簡単に言うと、今も折れてる状態で手術も考えたんですけど、半年はプレーできないって言われたので手術はやめたんです。最後の方は痛み止めの薬を飲まないとバスケができないぐらいになっていて、薬を飲み続けながらバスケをするのは、身体にいいのか……。これ以上自分の身体を酷使して続けるのもどうなんだろうって考えたりして……。そもそも骨がくっつくのかくっつかないのかもわからないから。
宮本 そうだったんだ。
佐藤 くっつかなければずっと痛い状態が続くわけじゃないですか。練習もこのメニューは抜けて5対5から入るとか、スタッフ陣が調整してくれていたんです。でも、練習を全部やっていないのにスタートで試合に出るっていうのは、自分が他の選手の立場だったら、あんまりよくは思わないよなっていう気持ちももちろんあって……。それならプレーできる選手が全力で頑張って、ハイテクを強いチームにして欲しいなって思いました。
宮本 そういう葛藤があったんですね。
佐藤 はい。あと、本当は2年前にやめようと思って上島さんに相談に行ったんです。そしたら、「来年、ホノ(森岡ほのか)がハイテクに入るから、一緒にやって面倒を見てくれないか」って。めちゃくちゃ考えたんですよ。やっぱりプレーするなら手を抜くことはできないし、そもそも全力でプレーできるのかなっていう不安もあった。でも、同じ高校の後輩が入ってきてくれるのは嬉しいし、何よりホノは世代のトップ選手だから、これから世界で活躍する選手になって欲しい。最終的には力になれるかはわからないけど、私ももう少し頑張ってみようかなって思いました。いろんな考えがあるので、この選択が良かったのかどうかはわからないけど、彼女のためになるのならっていう気持ちは正直強かったです。だからと言って直接何かを指導したわけでもないし、私は2人で話して何かを伝えるタイプでもない。私のプレーを見て、何かを感じてくれていたらいいなっていう気持ちで頑張っていたところはありました。
宮本 森岡選手自身が何かを感じてくれていたらいいなってことだよね。
佐藤 うん、でも……そうですね。これ以上は自分の身体ができないなって。結局1年とちょっとの期間を一緒にプレーして、私は引退することにしましたけど、会社には残るし、すぐ近くにいるので。なにかあればいつでも話せる距離にはいるから、彼女がもしもこれから壁にぶつかったときには力になってあげられたらなと思っています。
宮本 でも、すごいね。あえて何かを伝えるってことはしなかったってことでしょ?
佐藤 そうですね。
宮本 なかなかできないことだと思うよ。自分も18歳とか19歳のときにあんまりいろいろ言われたくなかったみたいな経験があったりしたの?
佐藤 そうですね。高校からWリーグに入ってきた頃の自分を思い出したときに、いろいろ言われることが苦手だったし、理解できなかったこともあったなっていう記憶もありました。それこそホノはずっと世代の中心選手として活躍してきたし、自分のスタイル自体は持っている。本人の性格的にもあんまり言わない方がいいかなっていうのが私の考えでした。でも、ホノが入社して最初の夏合宿のときに、やまぎんさん(山形銀行)と練習試合があったんです。私は怪我をしていたので試合には出ていなかったんですけど、その試合を観ていたときに、明らかに噛み合っていないというか。他の選手にも話を聞いたら、ホノがボールに寄っていってしまうとか、シュートを打つタイミングがないっていう意見が結構出たんです。もちろんホノの世代はホノがボールを持っている時間も長かっただろうし、それは彼女のスタイルで強みだと思うんですけど、このチームの目指すバスケとは違う。そこはこれからの彼女のためにも、早く理解をしないといけないと思ったし、私がプレーするだけでは伝えられないと思いました。そのときに初めてストレッチで隣に呼んで、「高校のときはそうだったかもしれないけど、ハイテクにはリーグのトップ選手はいない。全員が主役だからみんなでパスを回しながら、自分が行けるタイミングを探すことも大事だよ。周りを使うのもガードの仕事だから」っていうことを伝えました。そういう視点では、私は曽我部奈央(2019-20シーズンで引退)が1番いいガードだったと思っていて、その次は船生が……。
宮本 うまいよねー、船生さん(船生晴香)!
佐藤 そうなんですよ。あの子もすごく成長してくれて、曽我部と変わらないぐらいの選手になってくれました。ホノはこれからいろんな壁にぶつかると思います。自分の強みを伸ばしていくことも大事だけど、ガードとしてやっていきたいのなら、考え方のバリエーションを増やして、いろんなことを学んでいかないといけないよって伝えました。そこから本人がどう考えたのかわからないですけど、最初のころよりはよくなってきているかなって感じています。
宮本 僕から見ると森岡選手は中1のときからあのプレーで戦ってきている。それが彼女のすごいところだし、特別な能力だと思う一方で、トップの世界って自分が30点取れば試合に勝てるっていう世界ではないからね。
佐藤 うんうん、そうですね。
宮本 森岡選手にボールを預け続けたら、たぶん平均で20点ぐらいは取れると思うんだよね。でも、それでハイテクが勝てるのかっていうとまた話は違う。彼女は日本でトップレベルのポテンシャルを持っている。だからこそ、チームが勝つための視点を身につけないといけないと思うし、Wリーグがどういう世界なのかっていうことを、彼女自身がどう理解するのかっていうのがこれからすごく大事だと思います。本当に楽しみな選手だよね。
佐藤 そうですね。なんて言えばいいんだろう……そんな感じです(笑)。
佐藤・宮本 ハハハハハ。
宮本 能力は間違いないからね。そういう思いが少しでも彼女に届いてくれたら嬉しいよね。
佐藤 そうですね。
宮本 これからやりたいことはどうですか?
佐藤 これからは……そうですね。バスケには関わり続けたいです。引退して仕事が始まるまで少しお休みをもらったので北海道に帰ったり、日立に戻ってきてからはチームのクリニックに参加していました。そこからみんなは練習が始まったんですけど、すごく暇で、「なんか……この感じは嫌かも」って(笑)。やっぱり私はなにかをしてないとダメなタイプなんだって思いました。今までの生活にはなかった土日の2連休とかも家で過ごすのは違うなっていうか、なんか嫌で(笑)
宮本 どこかには行きたいし、誰かともいたい?
佐藤 そうですね。そういうタイプなので、バスケに関われるところを探しながら、並行してコーチライセンスを取りたいなって思ってます。どこかで教えられるところがあればいいなって思ったりもしています。

弱いところを見せられなかったけど、それが私だと知ることができた

宮本 これはこっちの勝手な気持ちなんだけど、ハイテクに移籍してきてからは、佐藤奈々美らしいプレーをたくさん見ることができました。それが個人的にも嬉しかった。3番で起用されるようになってからはシュート力も活きたし、もちろんスクリナーもやるけど、ポップアウトからのスリーとか、セカンドサイドに振っていく展開力とか。選手としての自由度の高さが活きるようになってきて、すごくイキイキとプレーするようになったなって。
佐藤 そうですね。ここにきた1年目は内海さんに、「3番ポジションをやれ」って言われて、不安もありましたけど、すごく楽しかったです。
宮本 内海さんからはなんで3番をやるのかっていう理由は言われたの?
佐藤 言われたことはなかったです。ただ、当時はセンターが何人かいたんですよ。自分はサイズ的に5番ではないし、4番をやるにしてももうちょっとサイズが欲しい。多分3番にあげることで平均的なサイズアップができるので、チームにとってメリットが大きかったんだと思います。私自身もハイテクの1年目はすごく楽しかったです。
宮本 楽しかったっていう言葉を聞けてほっとしたけど、今日いろいろ話を聞かせてもらって、大変なことがたくさんあったんだろうなって思いました。そういうのはどうやって消化していたの? たとえば高校のときは家に帰ってお兄さんに相談したり、Wリーグに入ってからはチームメイトに相談したりとか?
佐藤 そういうことはあんまりしなかったですね。私は自分の中で消化するタイプというか……。人に弱いところを見せたり、悩んでいるところを見られるのが嫌なんです。ハイテクのときも本当に悩んだことがあって、1回だけ「練習を休みたい」って内海さんに相談したことがありました。そのときもチームの人には誰に言えなくて……。よくないところだっていう自覚もあるんですけど、どうしても誰にも言えなくて、毎日3時間ぐらいしか寝られない日が続いたんです。むしろそうなっても誰にも言えなかった自分がいるので、私は誰にも言えずに自分の中で解決していくのかなって逆に納得したというか。
宮本 あー、そういう自分を受け入れていこうっていうね。
佐藤 はい。小学校とか中学校のときは母がいろいろなことを言ってくることが多かったんです。家に帰ったら試合のビデオが流れていて、そのまま反省会をしたりとか。でも、高校に入ってからまったく言わなくなって、本当に見守る感じになりました。兄も何も言わなかったですね。たまに試合を見に来てくれて、「お前、下手だなー」とか言っていましたけど(笑)。高校以降は3人ともずっと見守ってくれてたなって思います。あと、私はコートとコート外では別人なんですよ(笑)。コートではちゃんとやるけど、コート外ではふざけまくっている人間なので、周りからしたら悩みとかないんだろうって見られていたかもしれません。プレーがうまくいかなくてもすぐに切り替えられる人なんだろうなとか。でも、1回だけ占いに行ったことがあって、「たくさん抱えていることもあるし、言えないタイプですよね」って言われたんです。すごくびっくりして、占いって本当に当たるのかなって思いました(笑)。
佐藤・宮本 ハハハハハ。
宮本 じゃあ、高校のときもそうだし、現役をやっていた間はずっと弱いところは
見せないようにしていた?
佐藤 そうですね。でも、それが私だと思うし、そうやって頑張ってきたからここまでやってこれたと思っています。家族もそうだし、いろんな人がそんな私を応援してくれて、見守ってくれる人がいたからこそ頑張れたので、今は本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

取材・文・写真=宮本將廣

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