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佐藤奈々美 ―Last Message― #2

佐藤奈々美(さとう ななみ)
1996年8月1日生まれ。北海道出身。両親と2人兄もバスケットボールをするバスケ一家。そのシュート力とユーティリティ性を活かし、チームになくてはならない存在として活躍。山の手高校卒業後、トヨタ紡織サンシャインラビッツに入社。2020-21シーズンより日立ハイテククーガーズへ移籍し、活躍。2023-24シーズンを持って現役を引退した。

#1はこちら 

コーチをやってみたい気持ちは正直ある

宮本 素朴な疑問で、山の手からトヨタ紡織サンシャインラビッツ(以下紡織)に入社するけど、大学に行きたいとかはなかったんですか?
佐藤 実は大学に行きたくて、最初は大学進学を考えていたんです。でも、上島さんが、「お前はWリーグに行け」って(笑)。
宮本 まさかの東藤なな子選手(トヨタ紡織サンシャインラビッツ)と同じパターン(笑)。(※詳しくはダブドリVol.13をお読みください)
佐藤 そうなんですよ(笑)。
宮本 お母さんはどっち派だったとかあるの?
佐藤 母は「自分で決めなさい」って感じだったんですけど、やっぱり大学はなんだかんだお金がかかるので、Wリーグに行って欲しかったのかなって。聞いたことはないですけど。
宮本 なるほど。引退して、今から大学に行きたいとかは?
佐藤 いやー、もう勉強はできないですね(笑)。高校のときもバスケを続けるより、教員免許を取ってバスケを教えたいっていう気持ちが強かったんです。だから大学に行きたいなって思っていたんですけど。
宮本 今は教えたいっていう気持ちはないの? たとえば……こちらとか。(日立ハイテククーガーズのロゴを指さして)
佐藤 こちらですか(笑)。そうですね……コーチをやってみたいなって気持ちは正直あります。アシスタントコーチとかができたら、いろいろ学べることもあるだろうなって。紡織に入ってから4年間ぐらいは1番年下で、新しい選手も大卒が多かったから、年齢的には毎年先輩が入ってくるって感じでした。だから常に教えてもらう側だったんですけど、ハイテクに来てからは年下の子が多くなったし、入社してくる選手に教えることも増えたんです。ふとしたときに、「あ、自分はバスケをプレーするよりも教える方が好きかも」っていう気持ちになったときがあって、それも選手をやめる理由のひとつではありましたね。
宮本 選手と並行してコーチライセンスを取ったりは?
佐藤 取りたかったんですけど、練習とタイミングがかぶるので講習にいけなかったんですよ。これからは自由な時間も増えるので、取れるところまで取りたいなって思っています。

自分を証明することがひとつのモチベーションだった

宮本 Wリーグの話を聞いていきたいんですけど、まず紡織での5年間はどんな時間でしたか?
佐藤 高校を卒業したばかりだったので考えが甘かったのもありますけど、高校の3年間はずっと試合に出ていたのに、紡織ではまったく試合に出られなくなって。その切り替えが当時の自分はうまくできなかったので、すごく辛かったですね。試合に出られないってこんなに辛いのかって。
宮本 それって最近のWリーグの問題というか。当時と今はちょっと違うけど、女子バスケも選手寿命が伸びてきたから、18歳で入っても簡単に試合には出られないじゃないですか。ウインターカップですごく活躍しても、1シーズンのほとんどをベンチで過ごす選手も増えた気がします。僕もいろんな選手と話す中で、試合に出られないストレスって選手としてはすごく大きいとあらためて感じています。でも、そのストレスは自分でどうにかするしかない。その中で移籍も活発になってきたから、「移籍しちゃえばいいや」みたいな軽い考えも増えてきた気がするんだよね。
佐藤 あー、はいはい。
宮本 佐藤さんも実際移籍をするけど、移籍先のハイテクでの活躍を見ると覚悟が違ったと感じています。試合に出ることのできないストレスとどう向き合っていたのかっていうのはすごく興味深いし、女子選手のキャリア形成においてもひとつのヒントになるんじゃないかなって思ったんだけど。
佐藤 そうですね。私は負けず嫌いな性格なので、常に「なんで?」っていうのは考えていました。たとえば、「なんでこの人よりもできるのに試合に出られないんだろう」って考えられれば、自ずと答えが見つけられるというか。もちろん、その中で腐っちゃう人もいると思うんですけど、私の場合は「なんで出られないんだろう」っていうところからいろんなことを考えて、移籍がベストという考えになったんです。「他の人よりもできているのに、なんで出られないんだろう」、「出られたらやれるはずだ」、「絶対に見せつけてやる」って感じでモチベーションに変えていったというか。だから紡織で試合に出られなかったときも自分ができることを極めていこうと思って頑張りました。それは今も自信を持って言えます。試合に出られなくても自主練でシュートを打ち続けていましたし、練習をサボることは絶対にしなかった。やるべきことをやり続けていたつもりです。それでも試合に出るかどうかはチームが決めることなので、それを受け入れて移籍に賭けたというか。自分はこれだけできたんだっていうのを見せることがひとつのモチベーションではありました。
宮本 いろんなことをマイナスの方向に考えるのではなくて、自分の努力自体が正しかったと証明するための移籍だったってことですね。
佐藤 ちょっと偉そうな感じになっちゃいますけど、そういう感じです。めちゃくちゃ辛かったですけど、私はそう考えて取り組むことで自分の気持ちを保っていました。今だから言えますけど、正直いくら頑張っても信頼してもらえないこともあると思うんですよ。それってきっとバスケだけじゃないと思うんですよね。
宮本 そうだね。それは本当にそう思う。
佐藤 頑張った分を違うチームで証明するんだ。結果はわからないけど、そのほうが私自身も納得できるなって思っていました。そういう気持ちでハイテクに来て、試合に出られるようになったし、活躍もできた。自分の選択は間違っていなかったなって思えました。正直、紡織のときは辛いことのほうが多かったけど、腐らず頑張ったからこそ成長できたこともあるのかなって、今は思えるようになりましたね。

トムさんのおかげでまだバスケを続けようっていう気持ちになれた

宮本 結構前にSNSか何かで書いたと思うけど、僕はここ数年で佐藤奈々美がWリーグで1番伸びた選手だと思っていました。それは紡織であまり試合に出られなくても努力をやめなかったからこその結果だったんだと、話を聞いてすごく感じています。それに心が折れずに努力を続けたことがシンプルにすごいなって。
佐藤 紡織のときに心が折れなかったのは、2019年の日本代表合宿に呼んでもらって、トムさん(トム·ホーバス/現男子日本代表ヘッドコーチ)と話す機会があったんです。そのときに、「あなたはもっとできるよ。すごくいいシュートを持っている。どうしてチームで試合に出ていないのかわからないけど、このまま腐らずに頑張って欲しい」と言ってもらいました。それがあって、「頑張ろう。ここで腐ったら終わりだな」って思えたんです。
宮本 その言葉はキャリアの中でも大きかった?
佐藤 すごく大きかったです。日本代表の合宿に呼んでもらったシーズンは全然試合に出ていなくて、プレーオフのセミファイナルでシュートの調子が良かったから、ちょっと出たぐらいでした。それを見てくれていたのか、それだけで選んでくれたのかはわからないですけど、「なんで?」っていう驚きしかなくて。
宮本 その前に、今の男子でいうディベロップメントキャンプみたいな合宿も呼ばれていたよね?
佐藤 呼ばれました。私としてはそれで終わりだと思っていたんです。ただ、そのときも5対5では結構シュートが入ったんですよ。それを見てくれてなのか、本当にわからないんですけど、あれが私にとっては大きな分岐点になりました。さっきはちょっとかっこいいことを言いましたけど(笑)、本当に辛かったので、「やめようかな」っていう考えもあったんですよね。でも、トムさんのおかげでまだバスケを続けようっていう気持ちになれたんです。
宮本 もしトムさんの言葉がなかったら、紡織でやめていたかもしれない?
佐藤 やめていたかもしれないですね。そのタイミングで、「ハイテクのヘッドコーチが内海さんになるらしいから、内海さんとやるのも楽しいと思うぞ」って上島さんに言われて、ハイテクも声をかけてくれました。内海さんは小さいときから見ていたし、日本のトップコーチなので、「一緒にやってみたいな」って思ったんです。何よりもトムさんに背中を押してもらったこともあって、自分の力を絶対に証明したいと思いました。いろんな気持ちが交差した時期だったけど、本当にタイミングが重なったというか。今振り返っても、あのときに移籍を決断してよかったなって思います。

取材・文・写真=宮本將廣

シリーズ Last Message 稲井桃子編

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