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『ダブドリ Vol.3』 インタビュー07 ベン・コーエン(ウォール・ストリート・ジャーナル)

2018年5月31日刊行(現在も発売中)の『ダブドリ Vol.3』(ダブドリ:旧旺史社)より、ベン・コーエンさんのインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。なお、所属等は刊行当時のものです。

経済紙として名高いウォール・ストリート・ジャーナルのスポーツライターとして、他の媒体とは一味違う切り口から記事を書くベン・コーエン氏を、ライターの大西玲央が逆インタビュー。

フィギュアのザギトワ選手はヒューストン・ロケッツ。数字を使って自分よりも強い相手に挑んでいた。

玲央 今回は『ダブドリ』でもコラムを書いている7Aさんをウォール・ストリート・ジャーナル(以下WSJ)が取材するということで日本にいらしているわけですが、その前に平昌冬季五輪を取材していました。五輪はいかがでしたか?
コーエン 最高だったよ。五輪は2度目で、前回はリオだったから冬季五輪は初だね。
玲央 フィギュアスケートを取材していましたが、アリーナ・ザギトワ選手がヒューストン・ロケッツだとツイートしているのを見ました。あれはどういう意味ですか?
コーエン ザギトワはライバルのエフゲニア・メドベージェワ、ロケッツで言うならウォリアーズ、と比べると表現的な美しさが劣るのかもしれないけど、システムの穴をついて戦った。ロケッツは誰よりもスリーをたくさん打つのと同様に、ザギトワもプログラムの後半に沢山ジャンプを仕込んで得点を重ねていたんだ。
玲央 なるほど!
コーエン 数字を使って自分より強く美しい相手に挑んでいた。せっかくフィギュアを担当するならNBAとの繋がりも見つけたくてね。
玲央 男子フィギュアも似ていますよね、何度4回転できるかが重要になっています。
コーエン そうだね。でも男子の場合は羽生結弦選手がいたので印象が少し違った。会場にいると羽生選手が他の選手よりも上手いのは明らかで、彼が凄いのは見ためだけでわかるんだ。その振る舞いやいでたち、存在感にとても惹きつけられるものがあった。彼がベストプレーヤーなんだっていうのは明らかだったね。
玲央 NBA的にいうと彼には『swag(スワグ)』があるということですね。
コーエン そう、羽生選手にはスワグがある(笑)。例えば、レブロン(ジェームズ)は生で見ると、彼が試合をコントロールしていることが明らかなんだ。全てが彼を経由しているのがわかる。ファイナルの試合なんかでレブロンを見ていると、彼だけ周りが遅く動いているかのように見えるんだ。バスケットボールを見たことがない宇宙人が見ても『彼は誰だ、この試合は彼を中心に進んでいる』ってなる。
玲央 確かに。
コーエン 羽生選手もそうなんだ。そして僕が宇宙人で、彼を見ながら『彼は他の選手ができないことをやっている』ってなった。あとくまのプーさんがたくさん出てきたから、何か違うんだなっていうのもわかったよ(笑)。

マイク・ダントーニ時代のサンズはもっと優勝に近かったと言ってもいいはず。

玲央 ニュージャージー州育ちということで、(ニュージャージー)ネッツファンでしたか?
コーエン まあ、そうかな。ニックスファンではなかったから、どちらかと言えばネッツかもしれないけど、どこかひとつのチームが凄く好きで育ったという思い出はあんまりないかな。玲央 試合には行きましたか?
コーエン 会場から20~25分くらいの所に住んでいたから何度か行ったよ。凄く良い試合に行ったっていう思い出はないかな。90年代終わりとかでNBAが少し低迷している時期だった。
玲央 マイケル・ジョーダン後の時代ですね。
コーエン そう、ロックアウトもあって、ハーフコートではアイソレーションばかり。タフな(デトロイト)ピストンズがいたけど、見ていて凄く楽しいわけでもなかった。ラッキーだったのは、NBAを取材するようになったのが2014年辺りで、ちょうどリーグが面白くなり始めていた頃なんだ。(サンアントニオ)スパーズがレブロンを倒した直後で、彼らのスタイルは美しかった。1on1ばかりに頼らず、ボールを回してスリーを多く打つ。今バスケットボールで一番強いプレースタイルが、見ていて一番楽しいスタイルであることはとてもラッキーなことだよね。このスタイルで勝つことができるから、多くのチームも取り入れ始めている。面白いと思える試合が増えているんだ。
大柴 僕もそう思います。マイク・ダントーニHCのサンズも良いチームだったのですが。
コーエン そう、彼らは勝つことができなかった。でも今となってみれば、あのチームは本当はもっと優勝に近かったはず、と言えると思う。
玲央 出場停止とかもありましたしね。
コーエン そう。あと彼らは失点が多いからディフェンスを全然やっていないというイメージがどうしても強かったけど、当時はディフェンス効率やディフェンスのスタッツをちゃんと見るという傾向が弱かった。実際はリーグ平均くらいで、勝ち切るには平均より少し上でいる必要があるけど、決してリーグ最下位とかではなかった。ウォリアーズが優勝したことで、あのスタイルで勝てるんだということを証明し、そこからはさらに進化し続けている。
玲央 ウォリアーズとロケッツが凄いのは、ディフェンスもとても良いというところですよね。
コーエン そうなんだよ。最初の数年は特にみんなそこを見逃しがちだった。初年度のウォリアーズはリーグトップのディフェンスを誇っていた。攻守で1位なら、優勝できるよね。
玲央 コーエンさんはデューク大学出身なのでやはりデューク愛が強いですか?
コーエン レポーターになると、そういうファン感覚を少し手放すことになるのだけど、どこか応援するのであればやっぱりデュークかな。
玲央 何年に在学していたのですか?
コーエン 2006~2010年だから、4年生の時に優勝している。最初の3年間はそんなに強くなくて、むしろ大学史上最悪の3年間と呼ばれていたくらいだったんだ。
大柴 選手は誰がいました?
コーエン ジョン・シャイヤー、ノーラン・スミス、カイル・シングラー、ブライアン・ズーベック、ランス・トーマス、プラムリーが数人。
玲央 プラムリーが数人(笑)。
コーエン あの一家はいつも誰かいるから(笑)。
玲央 そのメンバーで優勝って凄いことですね。
コーエン でしょ? ケンタッキー大学にはジョン・ウォールとデマーカス・カズンズがいた。彼らはウェスト・バージニア大学にエリート8で負けたから直接倒したわけではないけどね。デュークはファイナル4でウェスト・バージニア大に勝利し、決勝ではゴードン・ヘイワードとブラッド・スティーブンズHCがいたベイラー大学を倒して優勝。優勝から卒業まで2週間くらいだったから、大学生活をあんな形で終えられたのはとてもワイルドだったね。
玲央 カレッジスポーツライターとしてキャリアを始めたのですか?
コーエン そうだね、最初の数年はカレッジスポーツについて書いていた。
玲央 そしてデッドスピン(スポーツサイト)とWSJでインターンをやっていたんですよね。
コーエン そうだね。
玲央 それはどういう経緯があったのですか?
コーエン デッドスピンはこれまでインターンを取ったことなかったのだけど、勝手に申し込んでみたらちょうど探していたところだったんだ。それが4年生になる前の夏だね。そして卒業した夏にWSJでインターンをした。
玲央 そこからどうNBAにシフトしたのですか? やはりドラフト関係?
コーエン ドラフトも少しやったね。2014年の夏、当時WSJにはフルタイムのNBAライターがいなかったんだ。WSJのスポーツ欄が始まったのが2009年で、まだそこまでリーグが面白くなかったからね。2014年7月、レブロンの去就が大注目されていて、当時の僕の担当編集が『NBA担当になった方がいいかもしれない』と僕に言ってきたんだ。適当な人にやらせるよりも僕にってなったのだと思うよ。彼の問題が、僕がNBAライターになるきっかけになったんだ(笑)。
玲央 なるほど(笑)。
コーエン タイミングとしては最高だった。最初に書いた記事のひとつが、ステフ・カリーが誰もやったことのないことをやっているというもので、彼の最初のMVPシーズンだね。バスケが大幅な進化をしていることは明らかだった。

ベン・コーエン締め用

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このあとも、独自の視点を追求している理由やバスケットボールの変遷、注目の若手選手など深く語ってくださっています。続きは本書をご覧ください。

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