見出し画像

『ダブドリ Vol.1』インタビュー04 石田剛規(東京エクセレンス)

2017年11月30日刊行の『ダブドリ Vol.1』(株式会社ダブドリ:旧旺史社)より、石田剛規ヘッドコーチのインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。なお、クラブの名称や所属等は刊行時のものです。

石田剛規という人格を形成したもの?「怪我」かな。それまでは順風満帆だったから。

大柴 最近湘南SUNS SHOWで週一で会ってるのに改めましてだけど、よろしくお願いします。
石田 よろしくお願いします。
大柴 石田とは俺が月1でゲストMCをやっているマークトゥナイト(NBAがテーマのポッドキャスト)で知り合って、それをきっかけに石田がオーナーをやっている湘南サンズに入れてもらった仲なんだけど。一年半ぐらい前かなあ、最初にポッドキャストに出て貰った時はさ、こんなフットワーク軽いプロスポーツ選手いるんだなという(笑)。試合見に行って「あー、あなたがあのマークトゥナイトの」みたいな感じで。
石田 「ちょっと飯に顔出しに行きますわ」みたいな感じでね。
大柴 そんなしょっちゅう、起こらないでしょ、そんなこと……。
石田 いや、起こらない起こらない。あれなんかは、もともとツイッターでグリズリーズファンの人たちをフォローしてて。こいつらなんか楽しそうだなっていう(笑)。ちょっと喋ってみたいなっていうのがあったから。
大柴 なるほどね、グリズリーズファンってのが……。
石田 そうそう。ツイッターの楽しそうな感じを見て、どんな人達なんだろうなというので。
大柴 (笑)。ポッドキャストは聞いてた?
石田 聞いてた。
大柴 NBAをネタに深夜ラジオをやろうみたいな、そんなテーマというか趣向でやってるんだけど、パブリックイメージの石田がさ、下世話な番組を見たり聞いたりしているイメージがないんだけど。
石田 ポッドキャストはよく聞いてるから。バスケのやつもそうだし(笑)。英語の勉強用にも……なんだっけ? バイリンガルニュースてやつを聞いてる(笑) 。結構車移動が多いから、それで耳に入ってくるようなものは聞いたりしてるかな?
大柴 なるほどね。下世話な番組を好きだからではなく……(笑)。
石田 下世話な番組……でもさあ、最近聞けてないけど爆笑問題のああいうジャンク? 違うな、なんだっけ?
大柴 ジャンク系ね。TBSかなんかのやつだよね。
石田 そうそう! そういうのは聞いてたから。結構ネットとかもそういうのが多いじゃん(笑)。そこからパクってきましたみたいな。
大柴 そうそうそう。
石田 だから楽しく聞いてました(笑)!
大柴 それをきっかけで知り合ってサンズに入れてもらってから間近で見てて思うことがあってね。下世話なのを聞いてるイメージがないからというのもあるけど、メディア対応とかファン対応とか凄い真っ当じゃん? なんか今まで失敗したことあるの?
石田 例えば?
大柴 こんなこと言ったらプチ炎上しちゃったとかファンに怒られたとか。
石田 プチ炎上はあるな、昔大学生の時にブログやってたから。
大柴 あ、そうなんだ。
石田 そうそう。
大柴 今のブログのサブタイトルがサードクオーターじゃん。じゃあファーストクオーターとかセカンドクオーターとか過去に実在したの?
石田 いや、そん時はタイトルとか決めてっていうよりかは、大学の授業で自分のホームページを作りましょうってのがあって、作って適当に書いてたかな? その時は誰が見てるってのは別に考えないで書いてたから、おいおいおいっていうのも時にはあったんじゃないすかね(笑)。
大柴 (笑)。具体例はなし?
石田 なし(笑)。
大柴 (笑)。そうなんだ、知らなかったそれは。間近に見てて1年間、だいたい俺の中での石田剛規像が出来てきたけど、そこに至るまでの道を知りたいんだよね。キャリアを振り返りながら、どうやって今の石田剛規になったのかっていう切り口で話を聞こうと。
 まず、ブログを始めたのは6年前の千葉時代? それともアメーバをやり始めたのが千葉時代かな?
石田 そう、アメーバ。その前にも他の会社でブログはやってたね。
大柴 それはもう閉じちゃって見れないんだ。
石田 閉じちゃったね、会社自体が多分無くなっちゃったから。
大柴 ああそういうことね。そうそう、それでインタビューのために6年前のブログを見てたんだけど、石田剛規34歳にしてまだ若いし老けないなと思ってたけど、6年前からは老けてるね(笑)。
石田 老けてますよ(笑)。
大柴 さすがに(笑)。イケメンってことでルックスから好きになってくれるファンも多い中、あんまり自分でイケメンを売りにしないイメージなんだけど、6年前はちゃんと自撮りとかしてこまめにアップしてたよね。心境の変化があった?
石田 6年前は千葉時代か……確かに自撮りも自分の顔も結構アップしてたけど、どんな心境だったかな……。その時は千葉ジェッツが出来たばっかりの時だったし、千葉ジェッツをこれから有名にしていきましょうと。俺自身も引退をしてから現役復帰した時期だから、注目集めなきゃいけないという思いもあったんじゃないかな(笑)。何かとこう注目を集めやすいようにとか、ブログのフォロワーとかツイッターのフォロワーとかにしても、どんどん増やさなくっちゃ意味がないと思ってた時期だったと思うから頑張ってたんじゃないかな。覚えてないけど(笑)。
大柴 (笑)。それを言ったらサンズも本来は必要なわけじゃん(笑)。自撮り撮ってるとかだけじゃなくてブログの文体も全然今と違うなと。石田の文章ってさ、本気で書く時って詩っぽいていうか散文詩っぽいイメージなんだけど。好きな作家とかいるの?
石田 別に好きな作家はいない。でも本をめっちゃ読んでた。
大柴 あーやっぱり……読んでた? 過去形?
石田 今は読む時間が無い(笑)。
大柴 (笑)。そうなんだよね、スケジュールがやばいよね。
石田 でも本は手術をした時……トヨタ自動車時代に前十字靭帯の手術を受けた時に、入院が長かったからメチャメチャ読んだ。実用書もそうだし小説もそうだし。
大柴 詩は入ってなかった?
石田 詩は入ってなかったけど、なんでもかんでも読んでた気がする。
大柴 じゃあ当時の文体が今と違うのは、もうちょっと一般受けを考えてたってだけなのかな。
石田 何も考えてなかったんじゃない? ただただ思いついたことを書こうって感じだったし。最近はブログ書く時間が無くなってきたから書いてないけど。書くんだったらなんかこうしっかり伝えなくちゃみたいな内容が多いから文体も変わってくるのかなー(笑)。
大柴 まあ6年前から見てもね、当たり前だけど石田剛規も変ってきてると……。だから現在の石田剛規になった過程を知りたいんだけど、やっぱり基本的にバスケでしょ人格形成も。
石田 人格形成的にはどうだろうなぁ。
大柴 家族?
石田 怪我。
大柴 怪我! いきなりそこに飛ぶ(笑)?
石田 でも大学生の時とか、キャリア的にも順風満帆過ぎてなんも不安も無かったけど、怪我して、ああこりゃあかんわ、という感じになって「ああ、こういう試合出れない人の辛さがあるんだ」みたいな気持ちになったのは事実だね。「生きてるって素晴らしい」みたいな(笑)。

優勝をしてそのあとの選考合宿でアンダー24に選ばれて、ってきたからトヨタ自動車に入って「これはもう行くぜ! このまま頑張るぜ!」みたいな(笑)。

大柴 バスケは小学校から始めたんだっけ?
石田 小4~6でミニバスやって、その後中学高校で。中高は楽しかったっていう感じだね。
大柴 ずっとスタメン?
石田 うん。
大柴 ずっとでかかったの?
石田 いや大きいっていっても高校の中で大きい位だから180ちょっと位で。県大会とか行ったらもちろん他にもでっかい奴いるし。で、中高の時なんか全国大会とか出れるようなレベルじゃ無かったから。県の中では頑張って決勝戦に行ったけど、決勝ではもうボロ負けだったね。
大柴 でも国体でスカウトされた……。
石田 うん、選ばれたから、なんやかんや続けてきて、なんやかんや評価されてきたから。まぁそこまでは変に悩みとかがあったわけじゃないと思うし、ただバスケットが好きでやってたと思う。大学に入って今度はレベルの高さで挫折を感じたね。例えば志村雄彦とか。
大柴 同期なんだよね。
石田 そうそう。2個上に佐藤健介って代表にも入った人がいたし。結構バスケもシステマチックな「ナンバープレー何十個あんだ?」みたいな感じだった。それまでセットプレイとかしたことなかったから、「スクリーンってどうやって使うの?」みたいなね(笑)。セットプレイを覚えるのに必死だったし、自分が何してるのかもわからない状態でバスケットしてた。俺はやっていけるのかなって思いながらなんとか続けてたら、2年生3年生ぐらいには慣れてきて。まあ1年生の時からコーチが我慢して使ってくれてたのがあると思うんだけど。で、4年位には主力になってきた。そうなってくると、そこまで大きな苦しみも無く成長できて。順風満帆といえば順風満帆な感じで、最後優勝できたわけだから。
大柴 そっか、優勝したの4年の時だっけ?
石田 そうそう。
大柴 凄い終わり方だね。
石田 そう、優勝をしてそのあとの選考合宿でアンダー24に選ばれて、ってきたからトヨタ自動車に入って「これはもう行くぜ! このまま頑張るぜ!」みたいな(笑)。
大柴 それ、サラっと言ってるけどさ、茨城のときセンターとかって言って無かったっけ?
石田 そう、4番5番だった。
大柴 大学で急に高いレベルになりました、しかもコンバートされましたって尋常じゃないと思うんだけど。
石田 ディフェンスがボロボロでできなかったから、ディフェンスをまずやりましょうってのと、チームで動くような訓練というか、慶應ってそういうバスケが多かったからそれを徹底的に覚えて……。シュートもやっぱ元々高校の時4番5番だったから3ポイントなんか打てなかったし、なんか打ててるなと思い始めたのは大学3年生とか4年生の時位で。その時も1試合の中で1本打つか打たないか位だと思う。3年生か4年生の時に代表合宿に行って「やっぱり1番2番できなきゃ駄目だよ、君の身長だと」って諭された。4年生終わった時の代表合宿で頑張って1番みたいなことやって、評価してもらってアンダー24に選ばれた。一応なんか全部のポジションを経験できたってのは幸せだったなっていう風に思う。
大柴 でも最終的に、怪我後の姿かもしれないけど3ポイントが本職になったよね。大学で覚えた3ポイントと大学で覚えたディフェンスが……。
石田 うーんそうだね、でも3ポイントも生粋のシューターってわけじゃないから。結局、本気でシューターっぽい動きを学んだのも多分社会人になってからだし、自分のポジションで、これ位の技術だったら、それをやんなくちゃいけないなっていう感じだったし。チームメイトがその時折茂(武彦)さんとか渡邉拓馬さんとかだったから……。
大柴 参考にできる人達がいたのね。
石田 1対1の動きとか、もらい方の動きとかを教わったり学んだりして。でもその時は怪我もあったし、試合には出られなかったから、辛かったと言えば辛かったけど。その頃怪我をして……、ずっと成長してきて自分のキャリアを上げていって、ここぞっていうときに1年目怪我して、2年目復帰する直前で同じ怪我をしたから、いよいよあかんなと思って。怪我自体はリハビリとか手術をすれば直るけれども、試合に出れる出れないはシンプルな競争だから。その競争にも追いつけてないような感覚になった時に「ああこうやって出れない人がいて、大学の頃も含めてやってこれたんだな」って凄い感じたし……(笑)。
大柴 殊勝な心持ちに……。
石田 そうそう。その時にね、大学に入った頃からそうだったけど、バスケットだけが人生じゃないってのもあった。それも含めて慶應に入ったわけだし、元々建築の勉強をしたいとかも含めて、色んなことを考えるようになった気がする。怪我をきっかけに。
大柴 なるほどね……しかもその怪我したのが晴れ舞台のアンダー24の試合の、なんだっけ?
石田 練習試合(笑)。
大柴 (笑)。練習試合。オーストラリア人の選手に後ろから押されて……。
石田 そうなんですよ。
大柴 挫折知らずから……そこで挫折して、ファンサービスとかも変わったって感じ?
石田 ファンサービスは……挫折してる時試合会場にいるけれども、することないから受付でいらっしゃいませって言ったりとか。
大柴 (笑)。そういうところからね。
石田 そうそう、あとは他の選手の水とか荷物とか手伝ったりとかしてたから。ファンサービスでは無いけど、そういう雑務というか、やってたりしてたかな。でもその時ってプロ選手として……いやプロ選手じゃないか……あの時期はJBLの選手としてそこにいるけれども、自分の存在価値を出すところがないから。そしたら、まあ「なんかしなくっちゃ!」っていう気にはなってたかな。

画像1

★ ★ ★ ★ ★

このあとも、一度目の引退後のことや現役を引退してヘッドコーチに就任するというチャレンジへの意気込み、そして湘南サンズのオーナーとしての想いなどを語ってくださっています。続きは本書をご覧ください。

#バスケ #バスケットボール #Bリーグ #東京エクセレンス #横浜エクセレンス #石田剛規 #ヘッドコーチ #湘南サンズ #オーナー #ダブドリ  

この記事が参加している募集

Bリーグ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?