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日本の絵画は影がない!?

タイトル通りなのですが、そのようなのです。

今、

「北斎になりすました女 葛飾応為伝」

を読んでいるのですがその中で

「意図的に排除された「影」」

という題の文章内に解説されています。

日本画は屏風などに描かれていることが多いということを前提に読んでいただくとしてそれによると、

「そもそも日本の絵画は美術品などではなかった。

例えば屏風はその名の通り風除けだ。日本の家屋は縁側を通じて外と明確な境目がないまま続いている。

その後、屏風は寝所の間仕切りや目隠しとして使われるようになった。

つまり、屏風は移動することを前提としたものであって決まった場所に置かれるとは限らないのだ。…そのため絵師たちは屏風や衝立にある仕掛けを施した。絵から「影」を排したのだ。

日本の家屋は基本的に暗い。光源は朝な夕な畳の間に差し込む外からの日光だ。夜にはろうそくや行灯の光が周りのほんのわずかな範囲だけを明るくする。

光源からの光が絵や畳に当たり、その反射光が部屋全体をぼんやりと照らし、部屋全体をほのかな優しい光で包む、いわば間接照明の効果が生まれる。屏風は干渉を目的とした美術品である前に、少ない光源を最大限活用する照明器具なのだ(!)。

そんな実用品として使われるものに、濃かろうが薄かろうが黒い影があったなら照明効果を期待することはできない。また畳に直に座って暮らす日本人にとっては屏風の絵は人間と同じ目線にあるもので、当然、見る人間たちの影が絵に映り込むはずだ。複数の影が絵に映っていたらどうしても邪魔になる。無論それが全ての理由ではないが、それも影が描かれないことの一つの答えだ。」

面白いですね。

影を描くという、今となっては当たり前な技法をあえて排する理由に

そんな理由があったんだなと感心しました。

そんないわゆる「タブー」を取り入れた先駆者の一人が司馬江漢で、富岳図という作品をみると控えめではありますが岩のところに影が描写されています。

歴史を学ぶことは今を学ぶことだと言いますが、色々な歴史本を読んでいて

「なんでそんなことを?」

と思うことがありますが、それにはそれなりの理由があって、そこには当時の人たちの人間味みたいなところが垣間見えるものだったりします。

学生の頃にこんな歴史の学び方をしたらのめり込んだんだろうなーなんて思うアラフォーです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

P.S.リンクを貼っておくので興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。

ちなみにこの作者は知り合いでもなんでもないですし、ここから買っていただいても私に一円も入りません笑なんなら私は図書館で借りて読んでます!


まだ途中でしかも今回は本線からそれた内容ですが、とても面白く読んでいます。

もし読まれた方がいらっしゃったら感想などを共有できたら嬉しいです。


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