第2日/私が決めた、一杯のコーヒーを飲むべきタイミング
お金の使い方に関して、自分で勝手に決めた独自のルールはあるだろうか。
私が幼少期に決めていたルールはこうだ。
「お金は減点方式である。使えば使うだけ減っていく一方なのだから、その金額に関わらず、お金は使わないほうがいい。」
いくら収入が増えようともそれは関係なく、単に支出を減らせば貯蓄は増えるのだから、合理的な判断と言えるだろう。
だから例えば飲み物について考えた時、まず飲み物は自宅で精製できるのだから、自販機で飲み物を買うことは悪であり、お祭りで小さなカップに入った割高のコーラを買うことは全くの無駄で、スタバで500円以上かけて飲み物を買うなんて信じられないことだった。とにかく、お金を使うことはイコール財産が減ることであり、悲しむべきことだったのだ。
そんな私は今朝、一杯のコーヒーをコンビニで買った。寝起きが最悪で、時間に追われる朝だった。先のルールに従えば、コーヒー税込210円は痛い出費でしかない。コーヒーなんてKALDIに行けばタダで飲める。私はむざむざと大切な財産を失ったのだ。
だが今の私は、この一杯が減点方式のゲームの枠を超えたプライスレスの幸せを手に入れる行為だと信じている。むしろそれが通貨という単位に落とし込まれ、210円というお金を手放すだけで簡単に取引できるなんて、なんてありがたいことだと思う。私の一日は整い、道を行くのが楽しくなった。減点加点のゲームの説明書には、少なくともそのことは書いていなかった気がする。
今でも、むやみやたらにコーヒーを買ったりはしない。判断を見誤ったときの出費を後悔することもある。でもここぞというとき、このコーヒーが最悪な今日を変えてくれると確信が持てたときの一杯を口にするといつも、私はお金のマイナスではなくちょっとした幸せのプラスを愛したのだと思うのであった。
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