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はじめての『マイカー、そして廃車』

出会いも別れも突然だった。
車が欲しいといろんな人に言っていたとき、ちょうど買い替えるから今乗っている車を譲ろうかと言われたあの日。
あれから3年弱、さみしい背中を見せながら、はじめてのマイカーは今日レッカー車に連れていかれた。突然廃車になったなんて言うと、何か大きな事故でも起こしたのかとも思うが、なんてことはない。ただ、車検が切れていたことに気がついたのだ。

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平成14年式、スズキ、アルトラパン。水色と白のツートンカラー。
学生のうちにマイカーを持つなんて想像もしていなかった。そして、こんなお別れも想像していなかった。車検が切れていても、業者に来てもらって検査してもらえばいいのだけれど、車検代、自賠責保険、駐車場代、自動車税等、これから発生する諸々の維持費と、残り神戸にいる期間を考えて、このタイミングで手放すことに決めた。そうと決まれば、「壊れた車も、動かない車も、どんな車でも買うわ!」でおなじみのカーネ●ストに電話し、16万km以上走ったラパンは見事、買取価格0円で廃車にしてもらうことに。車検切れの車をタダで引き取ってタダで廃車にしてくれるというのだから、ありがたい限りだ。

いやはや、私はラパンには大きな大きな恩がある。訳あって移住してから二年半も続いた淡路島生活。電車がないこの土地では、ラパンがいなければ身動きできなかった。ラパンと両親こそが、私が自分の意志で、自由に動き回ることを許してくれたのだ。

ラパンと一緒に旅をして、運転が大好きになった。ラパンといった場所は、神戸、大阪、京都、滋賀、福井、徳島、香川、高知、岡山、広島、島根、山口の全12府県。たいていは高速代をケチって下道ばかり走らせていたけど、たまに高速に乗ったときは大きな車をバンバン抜かしていた。

彼女を乗せた。両親と兄を乗せた。小学校からの幼馴染たちを乗せた。たくさんのはじめましての人たちを乗せて淡路島を案内した。なんなら、みんなに運転もしてもらった。たくさん可愛がってもらえると、私も嬉しかった。

一番怖い思いをしたのは、香川の山道でのことだ。もう日が沈んで真っ暗だというのに、Googleマップに明かりのない、獣道のような細くて隣が崖のようになっている最悪のコースを案内されると、雨の影響でできていたぬかるみにまんまとはまってしまった。まだ運転経験の浅かった私は、何度アクセルを踏んでも空回りするタイヤになんとか心を落ち着かせようとしたけれど、おそらく助手席の彼女には慌てふためく私の姿が映っていたことだろう。最終的に、ぬかるみに毛布かなにかを敷いて、はじめて実践で坂道発進をすることで脱出に成功し、やっとのことで目的地である古墳が見えるキャンプ場に到着できた。

ラパンとは2回引っ越しもした。大量の荷物をこれでもかと運んでもらった。小さい身体で、洗濯機やら冷蔵庫やらよく運べたものだ。本当は東京へ引っ越すときにも活躍してもらおうと思っていたのだけれど、ラパン的には助かったといった感じだろうか。

一時期は、淡路島からの片道2時間の通学に使っていたこともあった。明石海峡大橋を使って、海を渡った数は数えきれない。

正面からフロントガラスを見ると、運転座席側の隅に黄色いコアラが見える。千円くじで当たったコアラだけれど、さながらクラバウターマンとしてラパンを守ってくれていた。ラパンが無事故無違反なのはきっとそのおかげだと思う。

一方で、古い車だっただけに故障は多かった。窓が開かなくなったり、鍵が壊れたり、助手席側のドアノブが外れたり、エンジンオイルが漏れたり、タイヤが回らなくなったり。そのたびに車屋さんに来てもらって、元気な状態にしてもらった。

それでも旅先からの帰り道で突然、改造バイクのような音を出したときはさすがに焦った。アクセルを踏むたびに、けたたましい音を鳴らすラパン。たぶんあれは反抗期だ。慌てて近くの家族経営の自動車屋さんにマフラーをくっつけてもらった。あれから大きな故障どころか、しょっちゅう起こっていた小さな故障も一度もしなくなった。

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別れがこんなにも寂しいなんて思わなかった。ラパンは、青春時代をともにした仲間だ。はじめての車がラパンでよかった。ありがとう、ラパン。

しばらくマイカーを持つのはやめよう。必要ないというのもそうだし、すぐに別の車に移っては、なんだかラパンに悪いからだ。とはいえ、この先の人生で車がまた必要になるときは来る。そのときは、家族みんなが乗れるような、大きくて広い車だろう。高速もたくさん走るし、しょっちゅう故障なんてしない。でも、ちょっと物足りないかもしれないね。だって私のはじめての車は、あのラパンなのだから。

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